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山里紀行 W日本 <第150回>
所有権
(平成15年10月5日発行の「山林・No1433」より転載)
内山
節
(哲学者)
上野村の私の森は、これまで私が思っていた面積より多少広いらしい。境界線のことをよく知っている村人がいて、その人が言うには私が信じていた線より、もう少し外側が境界なのだそうである。
といってもそれは、私にとってはほとんどどうでもよいことである。木を切る予定もないし、山菜や茸を採るのなら、そこが誰の山であっても上野村では問題はない。どちらが境界線であっても、私の森との関係は、村の営みのなかでは、変わることはないだろう。
大地に線を引き、ここが自分の所有地だと宣言した人が、近代人のはじまりになったと述べたのは、かってのフランスの社会思想家・ルソーであったが、とすると村の営みのなかでの所有感覚のなかには、近代以前の伝統がふくまれていることになる。
考えてみれば「所有」の「有」という字は、元々は、存在するというような意味を持つ「アル」ではなかったかと思う。「有情(ウジョウ)」といえば、「心が有る」、「心が存在する」ということで、生物を意味する言葉として使われた。「所」も「…所(トコロ)のこと」というような使われ方もしていたから、場所を意味するだけの言葉ではなかった。おそらく「所有」とは、外国語の「所有」を翻訳するために登場した言葉であろうという気がするが、近代的な所有感覚と伝統的な村の所有感覚は、少し違っていたのではないかと私は思っている。近代的な所有なら、所有者の権利とともに、管理者でもある所有者の義務も発生するが、伝統的な所有感覚では、森と所有者との関係が表現されているだけであった。だから森を所有しているといっても、自分のものであるのはそこに生えている立木だけであって、それ以外のものはみんなのものであるという感覚が村にはあった。つまり所有者が主張できる森との関係が示されているだけであって、それは近代的な権利、義務の意識とは少し違う。
同じようなことが「入会権」というような言葉に対してもいえるのではないだろうか。伝統社会は村人の入会慣行を認めてきたが、それも森と村人の関係のあり方を示しているだけであって、それを権利として提示したのでは、伝統的な慣行を近代的な権利として読み替えた結果のこと、という気が私にはする。もちろん明治期の地租改正以降の近代的森林所有権が確立されていくなかで、村人が入会権を主張せざるをえなくなっていく過程は私も理解するが、それでも、伝統的な入会慣行と近代的な入会権との間には、微妙なズレがあるように思えてならない。
こんなことをあえて問題にするのは、現在の山村を見ていると、近代的な森林所有感覚が、どんどん崩れていっているからである。たとえば間伐の遅れた人工林があっても、村人は、所有者の権利とか義務という視点からそれを論じることはない。所有者やその父母たちが植えた木との関係を、捨てた人とみなすだけである。
所有森林がどこにあるのか、境界がどこなのかも、村内在住者にさえ明確にはわかりにくくなっているが、それも近代的な所有権が内部から崩れていく過程、と考えたほうがよい。なぜなら立木の所有に価値が感じられなくなっている現状では、所有森林がアイマイなままであっても、村人と森との関係が変わることはないからである。
実際は次のようなものだったのではないかと思う。伝統的な慣行では、元々は森林に対する私有は存在せず、村人と森との関係の結び方だけが、地域の決まりとしてつくられていた。それは共有林の取り決めに残されてきたが、ここにあったものも共同所有者の権利ではなく、共有林と共同所有者の関係を定めたものだったのではなかったか。
ところが木材が商品になる時代を迎えると、森林の私的所有がはじまる。といってもそれも、地域社会にとっては、所有者が独占的に立木と関係を結ぶことができるという面を承認しただけであって、立木以外のものは地域社会の「共有」下におかれるのが普通であった。つまり所有権をこえた村人と森との関係を認めてきたのである。
その後、明治以降の商品経済の展開のなかで、森林の所有意識は高まっていく。木材としての立木の所有価値が重要さを増していったことがその基盤にあり、政策としての近代的所有権の確立の推進がそれを促進させた。ところが、それをもなお村人たちは、近代的な所有権をそのまま受け入れたのではなく、所有者の立木に対する独占的な関係の承認と読み替えたのではなかったか。
とすれば立木の商品価値が低下すれば、所有者の独占的関係の意味も低下させ、森と村人との他の関係が重要さを増すのは当然のことであろう。その結果としての近代的所有権の村のなかでの崩壊。村ではいまそんなことが起きつつあるのではないかと私は感じている。
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