「うちの理事さん」

     足本裕子さん森を楽しむ会

2001年3月号掲載・紹介者:園田安男

 

  今月は、足本さんです。これまで誰かが紹介して、いくらか本人もコメント、というスタイルだったんですが、足本さんは「私に言わせろ」派ですから。まずは、本人の弁を読んでやってください。

  う〜ん、理事紹介ねぇ。自分に番がまわってくるなんて、覚悟しておかないといけなかったのに、後何年か先、 なんて思っていた。何を書いたらいいのでしょ。

 だいたい私のこと何人の人に理解されているのかしら、そう思ったら自分で書いてみたくなりました。ご判読下さい。

以前、建築図面を描いていました

  任せられたのが構造図一式だったので、「美は構造に 有り」なんて言葉に酔いながら、仲間達と夢中で仕事して、自分のグループだけで毎年3,000 万前後の売り上げをあげていた。でも納期に追われての仕事はきつく、夜 中の12時をまわってから家に帰ることはざら、月に何度かCADの前で夜を明かした。いつか体を壊して、別の部 署に配属替え。木材業界の調査が仕事だった。新形態の集成材が事業として成り立つかどうかの。そこから森林 ボランティアの世界を知り、だんだんにのめり込んで、「JUON(樹恩) NETWORK」の立ち上げに関わり、その後、今日のこんな状態に。よかったのか、悪かったのか、人 生最期になってみないとわからないけれど、でも今の自分、嫌いじゃない。

事務局スタッフを引退しました

   自分がやっと自分になった気がしている。そう、森づ くりフォーラムの事務局を辞めることになったのです。常勤の海老根さん中澤さんという最強メンバーで事務局 が充実したのを機に、今までの週3回出勤、でも家にいつも仕事を持ち込んで、というプレッシャーから開放してもらうことにしたのですよ。そこで、この理事コーナーに引退のご挨拶を、と言うことから急きょ今回の順番になったというわけでして。

そんな中で今までに自分に影響を与えた人が2人

  今から5年前、宮崎県を横断した時、諸塚村の元村長、甲斐重勝様にお目にかかりお話を伺ったことがありまし た。「どうして山村に住んでいるというだけで、教育が受 けられず、教育が受けられないからと言うだけで人より劣る生活をしないといけないのか。若いころずっとそれを思い続け村長になりました。4期16年の間、ありとあらゆることをやった。けれど、山村、林業の状態は好転 しない。しかしあきらめてはいけない。自分たちがあきらめてしまったらこの国土は無くなる」と言うお話にしびれた。

   それ以来、自分でも出来ることはないかと考え、いつ しか建築の仕事から、こうした方向に自分の生き方が変わってしまった。要は恐ろしく人間が単純にできてる。

   もう一人は、徳島の可動堰の問題で堂々と賛成の論陣 を張っていた郷土史家の真貝宣光様。徹底してボランティアで通された。「吉野川の源水をはぐくむ会」「吉野 川学会」「吉野川文化研究会」の活動も有名だった。「ボ ランティアは苦しんで続けるものと違うぞ、いやになったらやめろよ」が口癖だった。ボランティアを続けるこ とでつながっていられることが嬉しかった。でも昨年秋突然亡くなられ心の中に穴が空いた気がする。

自分の存在

   自分が自分でいるために、この頃時間が足りないと思うようになってきた。私がすべきことはもっと他にある。

   以前、このフォーラムに投稿して「もっと木材を使おうよ」と訴えたことがあった。今でもそれは呼びかけている。少し賛同者が増えて、それぞれの地域で動き出している。賛同者が増える、仲間が増えていくのが嬉しい。

  また常々、「過疎問題は男社会の陰に上手に隠された女性問題」と思ってもいる。もう何年も前から、いろんな関係で森林組合や役場の方々との会合にでることがあ るけれど、何といっても女性が少ない。腹が立つほど少ない。私が女性優遇の政策ってできないのだろうかと話 すと逆差別だと反応する人がいる。彼には、現状が見えていないのだと思う。大事なことを決める場に女性もい ていい。意見をもっと言っていい。

   先日これまで私が関わってきた活動(有機野菜の会での生産者との交流、PTAを通しての市民運動、森林ボランティアを含めての山村との関わりなどなど、)女性 が主体の活動経験から、山村との交流をする場合、どちらの女性も陰で支えるのではなく一緒に主体的に活動しないと長続きしない。女性の知恵とパワーがもっと前面に出てこないと組みにくい。そんな話をさせていただく 機会があった。町の方々の反応にお話して良かったと思った。

   私の父は厳格な人だった。女は人前で新聞など読む な、とおこられて育った。自分の娘は、女の子だから可愛くなければいけない、なんて価値観で育てなかった。 完ぺき男も女もない、自由な感覚の持ち主でいる。こんな娘が山村に行ったら摩擦が起こるのは必定。でもどう しようもない。

  でもそんな風に育った女性が、其の土地に住むことを主体的に選び、主体的に其の生き方を選び、そしてそこに住んで良かったと言えるよう、なにかしらの支援ってできないのかと思う。そんな研究会を作りたいと思って今スポンサーを捜している。

幸せさがし

  つい最近、山の中の町で、ひっそりと暮らすご婦人お 二人に昔の楽しかった頃のお話を聞かせてもらった。

  2年前に同じころご主人を亡くされたお二人、一人暮 らしは淋しいと言いながらも「ここ動きたくないなぁ、ずっと住んでいたいなぁ、」とうなずきあう。思い出がたくさんあればあるほど人は幸せに暮らせるのだろう。お二人のお話を聞いた後、そう思った。 

  町の魚屋さんが店を閉めたという。今、息子達が月に2回、2時間余り高速を走って来てくれる。その時買い物はちょっと離れた町のスーパーに連れていってもらうと言ってらした。隣町のスーパーも撤退した。

  決して女性が報われることが多くない時代に生きてこられた筈なのに、年取って、苦労したことも悲しかったことも全部ひっくるめて、家族のいなくなった家で、 たった一人でもそこに住んでいたいという。思い出にみちた土地に住み続ける、それはどのくらい幸せなことな のだろう。昔話に花を咲かせたお二人は華やいで今日は楽しかったなぁと言って下さった。抱きしめたくなっ た。

  楽しかった思い出の引き出しを開ければたくさんの記憶がよみがえる。お二人の住むあの静かな町並みも、人が住んでいるかぎり、思い出が生き続け昔を彩る。

  空や山や海、川の流れ、風のささやきやお日様の光、雲の翳や雨の落ち具合、雪の深さにも、その時々の思い出が重なり合う。

   都会に住んでいると、どのくらいの部分を知らずに過 ごしてしまうのだろう。

   ふるさとを守りたいと思う。お年寄りが最期まで自分の好きな土地で暮らせるようにするには何を支援したら良いのか。今そんなこと、一生懸命考えてる。

「森林を楽しむ会」

  「JUON(樹恩) NETWORK」や「森づくりフォーラム」の他に「森林を楽しむ会」を3年前に地域の友人達と作っ た。(代表・牛込節子さん)今会員が40名程いる。

・先日東京農工大の秩父にある演習林(FMセンター)で林業体験をさせてもらった。生憎の雪の中での枝打ちや徐伐作業。夜更けてまでの討論に合意形成の難しさを再認識。

・3月3日は杉浦銀治先生をお招きして炭の講演会。小 平市で炭焼きをしたいと模索しているのだけれど(玉川上水や市中の庭木など、材料提供はいくらでもあるの に)においの問題で先に進めない。難しい。理解者を増やすしかないのかな。

・3月24日〜25日には。栃木県の矢板に間伐作業研修に行ってくる。ふるさとに山を持っている人たちが帰りたくなるよう、帰った時にすぐ仕事ができるよう技術習得に力を入れている。あと親睦!!(これはまだ参加者募集しているので、希望者はご連絡を)

・また、4月か5月に東京農工大で「選木・間伐の理論を学習する」予定

  とまぁ、事務局引退のご挨拶のつもりがこれからのことばかりになってしまいました。事務局在任中は大変お世話になりました。心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

足本さんの思い出          園田安男

  正直、あまり、事務仕事が得意とはいえないなかで、 昨年の「全国の集い」の事務方を引き受けて奮闘しました。本人にとって本意ではないこともいろいろあったで しょうが。それでも、遅くまで事務所であれこれしておりました。誰とでも親しくなろうとする足本さんは、事務仕事に追われるより、外でワサワサしてほうが似合っ ていると遠くから眺めていました。

  この前、会ったら、明るく笑う足本さんがなんだか若 くなったように見えました。もともと、足本さんは5m離れると若く見える人ではありますが、それが気のせいだったか、はたまた自分の眼鏡のせいだったのか。

  過程を省いて結論的にいうと、つまりは、足本さんはまだ旅の途中なのでしょう。自分を活かす環境を手に入れてないということなんでしょうか。足本さんは自分をまわりにあわせるよりは、まわりを自分にあわせるスタイルが得意なんだから、好きなことを好きにしていたほ うがいいんではないでしょうか。うまくいかないと思ったときは、好きなことをしてなかったと思えばいいわけ です。簡単です。同じような人が近くにいるでしょ?

 足本さんが事務所を去り、山積みされた資料は消えて、いくぶん、事務所が広く感じるようにはなりました。 これを読んだ足本さんの声が聞こえそうです。「だって、 事務所が狭いんだもお〜ん」。

 

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