ニュース第58号 00年7月号より

山への思いを受け継ぐ 

             樵の会  遠藤真知子

 

樵の会もおかげ様で1年がたちました。

非日常の楽しさにハマる

 義父の50年以上の樵生活と嫁の私とは、今までは何の接点もなかったのですが、放漫経営が続き私たちの生活も脅かされるとわかり、このままではどうなる事かと父の経理事務を引き受けました。

 しかし、父の仕事の内容がまるでわからず、客観的にどうなのか、私が出来る事はなんなのかと考えていた時に「都会人も山仕事」の新聞記事を見つけたのです。その時のお話は原島さんが書いて下さっていますので省きますが、奥多摩山しごとの会、森栄様、原島様、そして坂井様はじめ、たくさんの森づくりに携わっていらっしゃる方々が、静岡の山へ来て下さったのです。そして、しろうとの私でも山に入る事が出来るのだが、山に入りたい人たちの仲間作りをする事が先決なのだと教えていただいたのです。

 山に入って父の仕事の厳しさと大切さも知りましたが、その非日常性にすっかりハマってしまい、草や木や枝なんでも切ってすっきりさせることを楽しんでいます。汗を流して、目に見える成果を上げる。現代社会においてはなかなか得難い事ではありませんか。

個性あふれる会員さんたち・・・

 山を心から愛している万年青年さん、クラスの中の鉛筆を削っていたらしい削り大好きさん。長鎌で真剣勝負、大迫力のチャンバラ大好きさん。いくつもの自然関係かけ持ち会員さんもいらして、教わることもいろいろ。昼時になると朝釣ってきた魚で鍋奉行をして下さるプロの料理人さん。80歳の山のベテランから大学生まで40人程集まっています。

ボランティアはお客様?

 父に頼んであった樵の会の下刈りの場所が決まって、皆が集まるとわかると、山を登りやすく段を作ってくれ、道は通りやすくするために枝を払って下さるやさしい父です。トイレ作りに至っては、他の担当がいても見ちゃおれんと全部自分で作ってしまいます。

 また、枝打ちも、下見をしたときには全く手が入ってなかったのに、当日になるとやり良い所の枝打ちをしてあり、残りは3分の2程になっているのです。20人以上で行ったので、草と格闘しながらも数時間で終わってしまいました。

 山主さん「手数(てかず)だなぁ・・・」と感慨深げ。

茶畑で間伐を・・・!?

 父は山主から立木を買います。その木を切り出して市へ持っていく(素材生産者という)仕事で、山を持っているわけではないのです。ですから、山主と同レベルの位置にはいないし、封建制度のなごりを感じさせます。

 父の場合は、ひたすら山主にサービスとして植林や下刈りを請け負い、山を売ってもらいやすくしていました。国の補助制度の恩恵を受けることもなく、だんだん木の値段が下がってきたので赤字経営になっていったのです。

 そんなふうですから山主さんによっては自分はほとんど山に入らず父にまかせ、頼りにしている方もいて、私たちが間伐体験をさせてもらった場所がそうでした。そして県に伐採届を出す話になると、父はそんなものは50年伐採しているけど知らない、と言うのです。請負人の父には関係ない話なのでしょう。それでも父から山主さんに聞いてもらうと木を植えてから15年たつのにその山は法の上では茶畑のままだったのです。林地ではなかったので伐採届は宙に浮いてしまいました。

 さらに、「む〜んかし(昔)はこの辺では隠し田があっただよ。山の中るでは見にこんからなぁ。」てな話も・・・。

 そうして振り返ってみると行事のたびに何かしらの出来事があったように思います。どういうわけか下見に来た時あった道はふさがれていて、枝打ちハシゴを持って右往左往。まだまだ私たちの活動を理解して積極的な行動を起こしてくれる山主さんは少ないです。新しい事は誰かが行っているのを見てよかったらやってもらうという姿勢のようです。私たちも山の時間に合わせ、的を長くして活動しなくては。昨年植えた杉の50年後を見られる会員はごくわずかでしょうし・・・。

 会の活動をはじめた私と、そろそろ仕事としての山を降りなければならない父との葛藤はまだ続くでしょうが年齢を考えると早く山への思いを次世代に伝える活動をしてほしいと願っています。

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