ver.2001.9.11 「9・11」報道を問う

趣旨

 私たちは今、恐るべき権力の暴走に直面しています。

 2001年9月11日の破局的事態を、合衆国政府は「テロリズム」と呼び、捏造された「敵」に対する「報復」を誓い、「アメリカ支持か、テロリスト擁護か」という二分法をまるで踏絵のように世界各国に押し付け、「戦争」へとなだれ込みました。一方、日本では十分な議論もないまま実質的な改憲に値するような立法が行われ、「戦争支援」に乗り出しました。

 過剰に繰り返される「テロリズムとの対決」のレトリック、「戦争」という無根拠な呼称、「イスラム世界」の一方的な表象と、それに煽られて起こる人種差別。その一方で黙殺される反対運動やアフガニスタン市民の声。アメリカでは、マスメディアは批判的機能はおろか、戦争支持の挙国一致体制を作り出すためだけに機能しています。9月14日、アメリカ連邦議会はブッシュ大統領に報復戦争のため「必要で適切なあらゆる軍事力」を行使する権限を与える決議を採択しました。上院は全員一致、下院はだだひとりの反対票を除いて賛成票が占めました。この反対票について、日本のメディアはどれほどの時間と紙面を割いたでしょうか。メディアが何故このような暴走を止めることができないのか、そして受け手はメディアとそれが供給する情報にどう対面すべきなのか。それが今ほどに深刻に問われている時はないでしょう。

 惨劇の悲しみをともにしつつ、「報復戦争」に反対するアメリカ市民の行動に関する情報が、どれだけ私たちに届いているのでしょうか。標的になっているアフガニスタンの人々の苦しみを、私たちはどうやって知ることができるのでしょうか。犯人たちはだれで、彼らの「憎しみ」は何に向けられていたのでしょうか。このような問いに誰が答えてくれるのでしょうか。私たちは「9・11」をどう名づけることができるのでしょうか。

 こういったいくつもの問いを考えるために、右傾化する日本社会における「メディアの危機」に抗することを設立趣旨に謳うメキキ・ネットは、この「危機」に際して新たなヴァージョンを設けます。問題となるのはもちろん、9月11日の事件そのものの報道だけではありません。このような状況が生まれた背景には、これまで準備されていた広く根深い右傾化の傾向があります。国家の安全保障の名の下にその傾向がさらに速度を増しています。現在進行している報道のチェックはもちろん、そのような現状を生み出した歴史的、構造的問題に対する考察も欠かせません。あからさまな言論封殺はもちろん、メディアの受け手の無批判性も問われるべきでしょう。

 それとともに重要なのは、何をなすべきかという問題でもあります。マスメディアをどうやって変えるのかという問題の他にも、今回の事件で大きな情報の供給源となったウェブや電子メールがいかなる変革力を持ちうるのか、市民が参加できるオルタナティヴ・メディアはいかなる形であり得るのか等、議論すべき事は多岐に及びます。

 共に考え、行動しましょう。市民のみなさんはもちろん、メディアに携わるみなさんにも積極的な参加を呼びかけます。

2001年11月

9・11報道を考えるジャーナリスト・シンポジウム

  • 日時:2001年12月22日(土)18:00〜

  • 会場:東京ウィメンズプラザ大ホール

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