輸血拒否死亡者は犬死にか

 輸血拒否死亡者追悼式は今年で七回目となります。いくつかの事件を見ますとこの問題は風化するはずもなく、多くの証人にとっては非常に大きく、あまりにも無意味な死の危険となっていることを再認識させてくれます。この問題に関し、成年信者の子弟の扱いについてその輸血拒否の申し出にどう対応すべきか、さまざまの立場から永年議論が繰り広げられてきました。そうした側面と信教の自由、人命救助への医療関係者の責任と任務の間で絶えず日々、苦悩し努力されています医療関係者の皆様に深く敬意と感謝を表します。エホバの証人の教義が神学的に間違っている件については多く解明されています。医療面に関しては輸血の技術の是非を問う立場には立っていません。教義に則った指導方針が信教の自由として尊重するほど道理にかなっているか、指導は言行一致しているのか、尊重されるべきか考えたいと思います。教義が間違っていることを聞きたい方は『輸血拒否の謎』などを御覧ください。また元エホバの証人に伺っていただければ大まかな点は分かります。
 エホバの証人の特徴として戸別伝道と並んで輸血拒否があげられます。カルト宗教、輸血拒否のイメージは根強くあります。わたしは元エホバの証人ですので、輸血拒否の教義をいかに広めるか、抵抗を感じる教えをいかに教えるかを体験しましたので、それを話します。アンデス山脈に乗客45人の旅客機が墜落しました。27人が生き延びました。食料が尽きてもそのうちの16人が70日後生還しました。命を延ばすために死体の肉を食べていました。エホバの証人はこの話に一ひねり加えます。事件後、現場から衰弱した人の手記が見つかりました。死期を予測して、人肉を食べてまで生きたいは思わないと書いてありました。その父親は公式に発表して「生きるより死を選んだ。人間の誇りをもって死んだ子供を誇りに思う」と語ったそうです。エホバの証人は研究生に聞きます。「生き延びるべきだったしょうか」。これにはほとんど、「信念を守ってりっぱに死んだ人とですね」の答えが返ってきます。「輸血拒否で命を賭ける」と生命の極限状態は状況が違うのに、そのように命を賭けて死んでいくのは当然だということを抵抗なく心の中に教え込んでいきます。必ずしも組織から恐怖支配によって輸血拒否に進んでいるだけではなく、誤った誇りを持たされている側面があります。人命を大切にするのはどういうことかを話して説得する必要があります。
 詭弁でどのような悲劇がもたらされているのでしょうか。資料を使って話をします。エホバの証人の輸血拒否の経緯が載っております。大ちゃん事件、輸血をされたために起こされた裁判、親権停止処分、妊婦が出血して死亡した事件などがありました。輸血学会では子供にどう対処するか指針が出ました。無輸血手術の死亡率は1.4%上がります。千人中、14人が無輸血のため死亡します。アメリカでは輸血が必要な人は年間400万人です。エホバの証人は年間1万5千人が輸血を必要とします。年間150人が無輸血手術が原因で死亡します。全世界に適用すると信者600万人ですからうち900人が死んでいきます。研究生を含めるとこの数字はもっと多くなります。日本では無輸血手術の数は非公開ですが、アメリカでの死亡率とそう変わりません。年間30人から46人が死ぬ可能性があります。
 カルト宗教は奇妙な教義を広めています。中には死に追いやるものもあります。宗教が原因の死亡例は多くありました。それらとエホバの証人の違いは、継続的に、永遠に犠牲者が続くことです。最も大きな殺人教団となっていきます。緊急に問題視すべき問題です。全世界的な規模で輸血拒否の教えが教えられていますがブルガリアだけは例外です。この国は政府が宗教団体に対し認可を出しています。ブルガリアではこの教義が公序良俗に反するので自由に輸血の選択ができます。ものみの塔は教義は変わらないと言ってこの件には一切触れません。エホバの証人の中にも疑問の声が出ています。上への提言は許されていませんが、言わざるを得ない矛盾が起こっています。公式な発表では信憑性がないといって切り捨てています。以前の出版物からの抜粋を見ますと、今では血液製剤を受け入れます、血液回収も、血液希釈も以前はだめだったのに受け入れています。以前の方針を守って死んだ人はまったくの犬死です。なぜもっと早く言っていないのでしょうか。血液に対する解釈がますます明らかになりましたと述べています。謝罪の言葉はありません。内部からの自浄効果はまったく望めません。
 輸血学会のデータがあります。エホバの証人は輸血が危険だと言ってますが、もっとも頻繁に行れている処置です。輸血に関連する死亡率は2万5千分の1です。交通事故死の死亡率1万分の1より安全です。明瞭な指針として15歳未満は自己決定が不可能で両親の同意がなくとも輸血をする、裁判による親権停止を行う、片親の同意があれば輸血をするという方針を定める予定です。ものみの塔は、分画は証人によっては可能、自己血は可能と主張しています。未成年者については両親の意思尊重を主張してます。自己の言い分を押し通す姿勢です。ほとんどの外科手術は輸血ナシでできるのに輸血拒否を理由に手術を拒否するなら助かる患者も助からなくなると、医学界からの訴えがあります。もし、エホバの証人が主張しても尊重するか疑いが残ると書かれています。子供には経験の乏しさから間違いが起きます。エホバの証人はこうした問題になると間接的な第三者のふるまいをしますが、本当はエホバの証人は組織に振り回されている被害者なのですから、拒否する信者を扱うのではなく問題は組織にあります。相談するのではなくカルトである、理に落ちると認識していただきたいのです。
 エホバの証人の言行は一致しているでしょうか。顕著な例があります。「王国宣教」によると、医療施設に行くにも長老に知らせ、長老は連絡委員に連絡します。委員が援助を差し伸べるとあります。医療機関連絡委員とは、トラブルが発生するときに医師を説得する者です。それが正しく機能しているでしょうか。証言者のお話をお聞き下さい。----->
無輸血手術の体験者の体験談に続く


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