→2002年 4月 8日改訂版

「人権擁護法案」に対する見解(補訂版)
− 本日(3/8)の閣議決定・国会提出をうけて−

2002年 3月 8日
人権フォーラム21
代表   武者小路公秀
事務局長 山崎公士

 3月8日、政府は人権擁護法案を国会に提出した。同法案は差別や虐待等に代表される人権侵害の禁止を謳い、これら人権侵害の防止・救済を図るための機関として人権委員会を新設することを規定している。これまで一般的・包括的な人権救済法を持たなかった日本において、曲がりなりにもこのような法律が整備されようとしていることは、本来であれば歓迎すべきものである。しかし、この法案は下記〔1〕に掲げるような根本的な問題をはらんでいるため、諸手を挙げてこれを受け入れることはできない。また、この法案は、下記〔2〕に示すように、その細部にわたっても様々な問題点を含んでおり、これらを改善しない限り、真に人権救済に役立つものとなり得ないであろう。
 今後の国会審議においては、法案の内容と問題点を精査し、実効性のある人権救済法とするため、必要な修正を行うことが期待される。その際、ここに示す我々の見解が、参考になれば幸いである。
 なお、人権フォーラム21では、来る3月30日に東京で、シンポジウム「どうなる、日本の人権救済-人権委員会は使えるか?-」の開催を予定している。わたしたちは、国会における同法案審議を注視するとともに、引き続き国連パリ原則に基づく政府から独立した実効性のある国内人権機関(人権委員会)の実現に向け、意見表明を続ける決意である。


〔1〕 人権擁護法案の根本的な問題点

(1) 「人権」の定義が不明確である

・ 人権擁護法案第2条では、「人権侵害」の定義はされているが、「人権」そのものの定義はなされていない。新設される人権委員会の判断基準を明確にし、また人権の範囲が恣意的に矮小化されることを防ぐためにも、明確な「人権」の定義が必要である。
・ そのため、例えば、韓国で昨年制定された「国家人権委員会法」第2条などを参照し、法案第2条第1号に、「この法律において『人権』とは、日本国憲法及び日本が批准又は加入した人権に関する条約に規定される権利をいう」のような形で、「人権」の定義を規定すべきである。

(2) 当事者性に欠ける

・ 人権擁護法案は、人権侵害を受けた当事者や差別を受けやすい人々の視点に立って、人権問題を解決していこうという姿勢に欠けている。例えば、人権委員会の委員や人権擁護委員などの任命・委嘱に際して、当事者の意見が反映されるような仕組みが設けられておらず、また人権委員会と人権NGO/NPO等が恒常的に協議を行う場も設けられていない。
・ 人権擁護法案は、差別や虐待に苦しむ人々の目線に立って救済活動を行うというよりも、全体的に「上からの救済」を実施するための法律という印象を受ける。これでは、人権委員会も当事者から信頼される機関とはなり得ないであろう。
・ 人権委員会を当事者から信頼され、利用される機関とするためには、当事者の視点や思いを反映できる仕組みを、組織構成や権限行使の規定の中に組み込むべきである。

(3) 独立性に欠ける

・ 人権擁護法案第7条では、「人権委員会…は、独立してその職権を行う」と定められているものの、人権委員会の組織や権限行使の独立性を担保するような仕組みを欠いている。
・人権委員会は法務大臣の所轄とされ、その事務局も法務省人権擁護局を改組してあてることとされており、このような組織体制では、人権委員会が法務省から独立して職権行使を行うことは期待できない。また、既存の縦割り行政の中において、人権委員会が法務省の下に置かれれば、人権委員会は他の行政省庁との関係においても独立性を欠くことになり、他の省庁の所轄に属する事項に積極的に関与することは事実上不可能となる。
・ さらに、5人の委員のうち3人が非常勤であるということも、独立性の観点から問題がある。このような委員構成では、結局のところ委員会の運営は事務局任せとなり、法務省の意向に沿って委員会が運営されることを意味する。
・ 人権委員会の独立性を保障するためには、人権委員会を法務省ではなく、他の省庁からは一段高い地位に立って総合調整機能を発揮する内閣府の下に置くべきである。加えて、事務局職員を独自に採用する権限など、独立性を補強するための権限を付与すべきである。

(4) 中央集権的である

・ 人権擁護法案によって設置される人権委員会は、中央に一つしか置かれず、その委員会が全国の人権問題を一手に処理し、すべての意思決定を行うことになっている。地方自治体が人権委員会の救済手続に関与できる余地はほとんど無く、また地方事務局の事務を地方法務局長に委任することを認める規定(第16条3項)が置かれるなど、集権的な事務運営を行うことが予想されている。
・ このような中央集権的なシステムは、分権化の推進という時代の要請や、人権問題の実情に適合していない。人権問題は、人々の日常生活の中で、その土地の地域性や慣習、歴史などを背景として生じる場合が多い。このような人権問題を効果的に解決していくためには、各都道府県及び政令市ごとに人権委員会を設置し、独立した救済権限を与えるべきである。

(5) 縦割り行政の弊害を反映している

・ 人権擁護法案では、人権委員会の権限が及ぶ範囲が法務省の所管事項の枠内に置かれ、他の省庁の所掌事務には口出しできないことになっている。その端的な例が、労働関係の人権侵害に対する救済権限を厚生労働大臣に委ね、船員労働関係の救済権限を国土交通大臣に委ねたことである。また、人権委員会の所掌事務に「人権教育」が含まれていないことも、文部科学省との棲み分けを図った結果であると見られる。
・ このような省庁割拠主義的な枠組みに基づいていては、当事者の納得のいくような人権救済を図ることはできず、従来のように、縦割り行政の狭間で被害者に泣き寝入りを強いることになる。人権問題に関する独立行政委員会として人権委員会を立ち上げる以上、人権委員会の所轄範囲を限定すべきではなく、すべての人権問題は第一次的には人権委員会に委ねるべきである。ましてや、国務大臣と、独立行政委員会としての人権委員会を同列視し、厚生労働大臣などに人権委員会同様の調査権限や救済権限を与えることは認められない。

(6) 公権力による人権侵害を相対的に軽視している

・ 人権擁護法案は、私人間の人権侵害と公権力による人権侵害とを同列に置き、調査や救済の面で両者を分けることなく、同一の手続によって解決を図ることとしている。しかし、権力性や密室性が強い公権力による人権侵害を、私人間のそれと同列に扱うことは、相対的に公権力による人権侵害を軽視することになる。
・ 公権力による人権侵害の被害者を実効的に救済し、またそのような人権侵害を事前に防止するためには、私人間の人権侵害に用いられる調査・救済手続とは別に、行政機関や公務員に対して用いる特別の調査・救済手続を整備すべきであり、法律の構成上も、両者の手続を分けて規定すべきである。

(7) 表現の自由・報道の自由を脅かすおそれがある

・ 人権擁護法案では、マスメディアの報道によってプライバシー侵害や名誉毀損を被った者、あるいは過剰な取材を受けた者が人権救済の申出を行うことが認められており、人権委員会はその申出を受けて、勧告・公表などの特別救済手続を執ることができることとされている。しかし、プライバシー侵害や過剰取材の要件や判断基準が明確でなく、人権委員会の恣意的な判断で、マスメディアに圧力が加えられる危険がある。
・ 表現の自由や報道の自由は、民主主義社会を支える支柱であり、これが不当に侵されるような余地を与えてはならない。人権委員会といえども行政機関であることに変わりはなく、人権委員会が一方的な判断によってマスメディアの報道内容や取材方法を人権侵害であると決めつけ、その中止などを勧告することがあれば、国家権力による言論弾圧と言える。
・ こうした事態を防止するためにも、メディアによる人権侵害については、メディア側の自主的な救済策に委ね、人権委員会による特別救済手続の対象からは除外すべきである。


〔2〕人権擁護法案の個別的な問題点

(1) 名称が縦割り行政を反映している

・ 「人権擁護法」という名称は、法務省人権擁護局の名を冠したものであり、この法律の運用が法務省の所管に属することを露骨に示している。
・ この法案の実体は、人権侵害の禁止と人権委員会の組織・権限を定めたものであるので、名称も「人権委員会法」ないし「人権侵害の禁止等に関する法律」などとすべきである。

(2) 差別禁止事由を拡充すべき

・ 人権擁護法案では、差別禁止事由として「人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向」を挙げているが、これだけでは既存の人権問題に十全に対応することができず、また比較法的に見ても十分とは言えない。
・ ここに掲げられた差別禁止事由以外に、皮膚の色、性的自己認識(=肉体的・生物学的な性にかかわらず、当人が自分の性を男女いずれと認識しているか)、婚姻上の地位(=既婚か未婚か、法律婚か事実婚か、世帯主か否かなど)、家族構成(子どもの有無、親との同居など)、言語、民族的又は国民的出身、年齢、病原体の保持などを加えるべきである。

(3) 性的指向の定義を明確にすべき

・ 法案第2条では「人権侵害」、「社会的身分」、「障害」、「疾病」、「人種等」の定義を明らかにしているが、これに加えて「性的指向」の定義も定めておくべきである。性的指向という用語は、日本の法令上これまで存在しなかったものであり、それゆえ定義が確定していない。法律成立後、定義の広狭によって混乱が生じることを避けるためにも、「性的指向」の内容を明確にしておくべきである。

(4) 人権委員会委員の資格要件・人数・任期を修正すべき

・ 人権擁護法案では、人権委員会の委員は「人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、法律または社会に関する学識経験のあるもの」から任命すると規定しているが、識見や学識のみならず、「人権に関する活動に従事した経験」を要件に加え、当事者団体や人権NGO/NPOのメンバーなどを積極的に委員に登用すべきである。
・ また、委員会の独立性の確保、及び可能な限り多くの意見を委員会の意思決定に反映させるために、委員(委員長を含む)の人数は7人程度とし、非常勤委員は半数以下に抑えるべきである。
・ 委員の身分保障を確実なものとするために、常勤委員の任期は4年以上とすべきである。

(5) 人権擁護委員の資格要件・委嘱手続・待遇を修正すべき

・ 人権擁護法案では、市町村長の推薦に基づいて人権委員会が人権擁護委員を委嘱することになっているが、推薦の要件は「人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者」であること、又は「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員」であることと定められている。この要件は、現行の人権擁護委員法の規定(「人格識見高く、広く社会の実情に通じ、人権擁護について理解のある社会事業家、教育者、報道新聞の業務に携わる者等及び弁護士会その他婦人、労働者、青年等の団体であつて直接間接に人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員」)と比較すると、相当簡素化されており、「教育者」、「報道新聞の業務に携わる者」、「婦人、労働者、青年等の団体」といった具体的な例示が削られている。地域に密着して人権活動を行う人権擁護委員には、多様な人材を登用することが望まれるので、人権擁護法案の要件規定も人権擁護委員法に倣い、詳細な記述とすべきである。その際、資格要件の一つに「人権に関する活動に従事した経験」を加え、人権NGO/NPOや当事者団体の構成員を積極的に人権擁護委員に登用すべきである。
・ 人権擁護法案が規定する人権擁護委員の選任方法は、委嘱を行う者が法務大臣から人権委員会に変わっただけで、基本的には現行制度を踏襲している。しかし、人権擁護推進審議会の第二号追加答申も指摘しているように、現行の選任手続は「硬直化して適任者の人選に支障を来している面」が否めない。これを打破するためには、公募制の採用、及び人権NGO/NPO・当事者団体との事前協議などを取り入れ、選任過程の多様化・透明化を図るべきである。
・ 人権擁護法案では、人権擁護委員のジェンダー・バランスに関する規定が一切ないが、人権擁護委員についても、人権委員会の委員同様に、一定の男女比を満たすことを義務づけるべきである。
・ 人権擁護法案では、現行制度と同じく、人権擁護委員を無給のボランティアとしているが、これでは十分な活動を行うことができず、職務に対する動機付けも弱まらざるを得ない。人権擁護委員制度の活発化と実効性の確保を図るためには、一部の委員を有給化し、人権救済の専門職として従事させるべきである。

(6) 代理人やNGO/NPOによる申出を認めるべき

・ 人権擁護法案では、人権侵害に対する救済の申出は当事者だけが行えることになっているが、当事者の代理人や事態を察知したNGO/NPOなども、申出を行えるようにすべきである。
・ 特に拘禁施設や福祉・医療施設での差別・虐待、及び高齢者又は児童に対する虐待など、密室性の高い人権侵害については、当事者以外の申出を認めない限り実効的な人権救済を期待することはできない。

(7) 市民社会との協働を強化すべき

・ 人権擁護法案では、人権委員会に対し、「関係行政機関及び関係のある公私の団体と緊密な連携を図るように努めなければならない」との努力義務を課しているが、とりわけ民間団体との連携については、このような努力義務では十分な協力関係を構築することはできない。
・ 人権委員会の活動に多様な意見を反映させ、その信頼性を高めるためにも、人権NGO/NPOとの協議機関の設置や当該協議機関の定期的な開催などを法定すべきである。

(8) 提言機能の拡充を図るべき

・ 人権擁護法案では、人権委員会の権能の一つとして、内閣総理大臣や関係行政機関の長、又は国会に対する意見提出権を規定しているが、人権委員会が政府から真に独立した存在となるためには、意見の提出にとどまらず、政策提言の機能を持たせるべきである。同時に、人権委員会が意見提出や提言を行った場合には、その名宛人たる行政機関の長や国会は、意見又は提言に対する応答義務と説明責任があることを明記すべきである。

(9) 申立人に対する不利益取扱いを明確に禁止すべきである

・ 人権擁護法案84条では、「何人も、この法律の規定による措置を求める申出又は申請をしたことを理由として、不利益な取扱いを受けない」と規定している。この規定は、人権救済の申出を行った者が、加害者から報復されることを防ぐための規定であるが、その名宛人が人権侵害の被害者となっており、加害者に対する明確な禁止規定となっていない。この種の規定は、本来であれば、「何人も・・・をしてはならない」とすべきである。
・ また、この規定は「補則」の章に置かれており、実効性の観点からも問題がある。カナダなどでは、人権救済を申し立てた者に対して何らかの報復行為を行えば、そのこと自体が差別行為に当たるとして規制の対象となる。このように、申立人に対する不利益取扱いを明確に禁止しておかなければ、立場の弱い労働者や被拘禁者、あるいは社会福祉施設や医療施設の入所者は、報復を恐れて人権侵害の申出を行うことをためらい、ひいては泣き寝入りを強いられることになる。こうした事態を防ぐためにも、申立人に対する不利益取扱いについては、それ自体を人権委員会による救済手続の対象とすべきである。

(10) 政府及び自治体による法律の周知のための広報義務を明記すべき

・ いかに立派な法律が制定されたとしても、法律の制定、人権委員会の活動、申出の手続などが多くの市民に周知されなければ、真に実効的な人権救済制度とはなりえない。本法及び新たに設置される人権委員会が実効的なものとなるか否かは、制度の利用者(ユーザー)である市民の幅広い支持を得ることができるか否かにかかっている。
・ そのためにも、政府及び自治体による本法の広報・周知義務を明示的に規定すべきである。


<追伸>
 人権フォーラム21では、国内人権システムに関する国際比較調査・研究をふまえて、人権救済制度や人権委員会のあり方について、これまでも度々、人権政策提言を行ってきた。これらについては、以下の資料をご参照ねがえれば幸いです。
○人権フォーラム21「人権政策提言Ver.2」(人権フォーラム21機関誌35・36合併号) 最新版(Ver2.1)
○山崎公士編『国内人権機関の国際比較』(現代人文社、2001年1月)


 

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