2002年6月10日高橋徹、記

スティーヴン・J・グールド追悼

書評・人間の測りまちがい

 2002年5月、古生物学者、進化論の「断続的平行説」の提唱者の一人、そして「パンダの親指」など魅力的なエッセイの著者として知られているグールドさんが亡くなりました。享年60歳、闘病の末と報じられています。わたしは彼の著作の中で、最も心を動かしたのは、本領の古生物学に関する著作ではなく、「人間の測りまちがい」です。何年か前、優生学に関心を持っていた私に「この本はおもしろいよ」と友人が貸してくれたのが、この本との出会いでした。

邦訳「人間の測りまちがい〜差別の科学史」鈴木善治・森脇靖子訳、河出書房

 グールドさんは本書の中で、いままで科学者達が、人種を、あるいは人間をランクづけするために用いた様々な測定値に関して、先見的な誤った確信のバイアスから測りまちがえたり、偏見からくる悪意のねつ造が行われていたことを実証的に明らかにしました。また知能が単一の生得的な因子によって支配される、という観念がどのように生み出され、どのような統計的誤りの中で定着してきたかも明らかにしています。

 人種のランク付けをしたくて、頭蓋容量を量り続け、データを都合の良いように操作したモートン。人相によるラック付けを正当化するためにカリカック一族の写真を修整したゴダード。生得的知能を測れると思い知能テストをアメリカ軍の徴兵全員に課したヤーキーズ。シリル・バートが知能を単一の因子として数学的に正当化するさいに犯した誤り。

「人々は、黒人の平均が85点で白人が100点であるかどうかを知りたいと思っている。なぜならば、社会が黒人を不公平に扱っているからである。」

 グールドさんは理論的な誤りを指摘するだけでなく、ご自身が生のデーターを解析し直したり、あるいは全く同じ方法で測定し直したり、実証的にアプローチしているところが、この書を支えた意気込みのすごさを感じさせてくれます。

「私は訓練をつんだ進化生物学者である。変異は進化生物学者が焦点を当てる主題である。」

 グールドさんは化石生物の分析に使う「因子分析」という統計手法が、スピアマンの「知能の単一理論」に基づくg因子を正当化するために考案した手法であり、このg因子がたんなる数学的抽象概念で、なんの実体を持たないものであることに気づいたことが本書の仕事を始めるきっかけになったと、改訂版の序で告白しています。

「放心状態と小さな怒りの混ざった戦慄が私の背筋を上下した。」

・・この怒りが本書を貫いて、読者に語りかけてくれます。

 このg因子の説明のところは難解で、私も思わず自分のIQを疑ってしまいました。グールドさんもここの部分では、数式をさけ、かなりページを割いて初心者にも分かるように書いてくれているのですが、初読では落ちこぼれてしまうかもしれません。しかし本書の核となる部分ですので、がんばって読んでみてください。初等統計学の相関係数についての知識があれば、理解の助けになるかもしれません。この部分(と、高校生向きでない値段〜4900円〜なの)をのぞけば、あとは高校生にも理解できる内容です。

 生物学的決定論(人間の性質や能力が生まれながら決まっているという考え方)は繰り返し浮上してくるとグールドさんは指摘します。

「IQの遺伝決定論による解釈は、主として三人の心理学者(ゴダート、ターマン、ヤーキーズ)の転向によってアメリカで始まった。 〜中略〜 自由と公正であるこの地でこのような悪用がなぜ起こったのかを問うならば、第一次世界大戦に続く数年間こそが、これら三人の科学者の活動がピークに達した時期であったことを忘れてはならない。この時代は、偏狭で好戦的愛国主義者や孤立主義、移民排斥主義、国旗のもとに馳せ参じる精神、安っぽい愛国心が今世紀のどの時期にも匹敵できないほど強烈であった。」

 そして三人の心理学者に続くブリガムは南欧や東欧の人種が劣っていると移民排斥を主張しました。1924年にアメリカは移民排斥法を成立させますが、「明らかに科学者と優生学者からの働きかけ」と「陸軍で行った知能テスト」を反映しているとしています。

 平和を基調とした憲法や、教育基本法の見直しが声高にいわれ、「安っぽい」愛国心が横行し、某都市の知事の口から外国人の流入で犯罪が増えるかのような宣伝がなされているどこかの国と、妙に酷似した話ではありませんか?

 グールドさんの死去は、本当に惜しいと思います。まだまだ彼の語る言葉を聞いてみたかったです。幸いなことに、たくさんの言葉がエッセイの中に残されていて、邦訳かなりされているので、少しおつきあいしてみようと思っています。