2002年6月21日高橋徹、記

考えるための糸口

人権侵害の実相を知る

 私達がこの問題を考える糸口は、まず古典的な優生学のたどった歴史、特に現実に起きた人権侵害の実相と、その原因をしっかり押さえていくことが重要です。ナチス時代のドイツをはじめ、アメリカやスエーデン、そして日本で行われた断種政策などの実相を知っておくこと。出生前診断や遺伝子操作など、新しい問題を考えるときでも、過去の教訓をふまえることが同じ過ちを繰り返さない有効な方法です。

遺伝子の価値は誰が決めるのか

 遺伝子を操作するときには当然ある遺伝子に価値があり、ある遺伝子に価値がないと判断する事になります。いったい誰にその判断をゆだねられるべきなのでしょうか?

 プライベートな話ですが、先天性の白内障を持って産まれた知人がいます。産まれながらの視覚障害者です。とても優れた音感を持ち、すばらしい歌を歌ってきかせてくださいました。彼女の子ども達も同じ病気を抱えていますが、元気で幸せな家庭です。彼女の家族のことを思い出すのが、わたしの答です。

 ヘレンケラーの次の言葉を、もう一度私達は考えてみたいと思います。

「障害は不便だが、不幸ではない。」

 遺伝子には、人生が幸福か不幸かは書いてありません。障害者や病者を不幸にしているのは、社会のありようという他はありません。

倫理的な判断が求められる技術のあり方

 遺伝子操作にかかわる技術はきわめて強く倫理的な判断が求められます。人間の遺伝子に向かい合うとき、どうしても「人間とは何か」「遺伝子とはどういう存在なのか」という人間観、生命観にかかわる問題になってきます。

 新しい技術の開発は、資本の利益の追求の中で進められます。「開発してよいかどうか」「やってよいかどうか」そんなことを考えている暇さえ与えられていないうちに、できあがった新しい技術が私たちに突きつけられることになるのです。

多様性を認める価値観

 これからの時代、生殖医療や遺伝子技術がどうあるべきなのか、答はまだ出ていません。

 出生前診断の問題や、遺伝子治療の問題を考える上で、現にある障害者や病者にある差別や偏見をどう克服するかということも同時に考えなければなりません。障害や病気を持った子どもをかかえた家族を支える社会をどのようにして実現したらよいのでしょうか。

 「多様性」と「共生」という言葉はあらゆる分野でキーワードとなりました。私達がこの問題を考える上でも、きっと重要なキーワードとなることでしょう。

「乙武くんて、かっこいいね。」

 生き生きと生きる「当事者」の姿は、とりまく人々の考えを少しずつ変えていきます。「乙武くんて、かっこいいね。」という生徒の言葉に、時代が一つ前に進んだことを感じさせられます。

前のページ

トップページへ