ベルリン歳時記(1)
「伯林・東京・北京」

梶村太一郎

 さて、まだか、まだかと待っていた花岡事件和解成立を知ったのは、昨年十一月二九日だ。一九九八年の十月にドイツに革新政権が成立し、その連立協定に「強制労働個人補償財団の実現」が明記された。それ以来、私は日本の戦後補償問題の解決にも大きな影響をあたえるに違いないこの国際間交渉の過程を、主に『週刊金曜日』誌上で、できるだけ詳しく報道してきた。
 花岡事件控訴審で裁判所が和解解決の意思表示をしたのは、ドイツの「巨大な和解交渉」が、ようやく軌道に乗った九九年七月のことだ。この日独の連動に「歴史の脈がある」と感じた私は、細かい記事も送るように努力した。複雑きわまる苦難に満ちた交渉を経て、二〇〇〇年七月にシュレーダー政権は、補償財団発足に関する国際協定の成立を実現した。「日本にも直接大きな影響をあたえる場外ホームランだ」と私は書いている。それ以来、機会があっても、新美隆弁護士や田中宏教授に花岡の和解交渉の進展状況を尋ねることはあえてせず、ひたすら朗報を待った。外交交渉には、秘密厳守が絶対原則であることを承知していたからだ。
 和解成立の第一報を知り、この日に打った電便にはこうある。

新美隆先生、強制連行を考える会のみなさま、待ちに待った花岡和解を慶祝いたします!みなさまの一〇年以上の粘り強いご努力に敬意を表します。
これで、日本の戦争責任の歴史は新たなページを開きました。
詳しいことは、こちらでは情報が少ないので掴めませんが、亡くなった方の遺族の方まで対象に含まれているのは画期的で、この点はドイツの個人補償より優れているのではないかと推定しています。今日すでに、ベルリンのラジオでもかなり詳しく報道しています。明日からのドイツのメディアの反応を集めて送ります。

 ドイツをはじめ欧米の新聞も大きく報道し、「画期的な和解」として評論した。ところが数日後の新美弁護士からの電便で、和解条項の第一項の但し書きに「再確認した『共同発表』は鹿島が法的責任を認める主旨のものではない旨主張し、控訴人らはこれを了解した」とあることに、一部で思わぬほどの強い反発が起こり辟易しているとの報が来た。新美氏からはさらに「ドイツでも、小生が知るところでは、法的責任のないことの確認の上で和解金が支払われた事例しかなく、今回の財団においても企業の法的責任はむしろ否定された上で、歴史的責任とか道義的責任がうたわれているに過ぎないと理解しています。お願いしたいことは、ドイツの場合の『責任』の表示のしかたが、小生の理解で誤りないかどうか確認させていただきたいことです。何か、資料か実例についての情報があれば教えて下さい」との問い合わせまであり、決して手放しで喜べない雰囲気である。
ドイツの補償財団法の前文では「道義的、政治的責任」はうたわれているが「法的責任」については一言もない。むしろ「現在となっては法的責任がとれないため、時効のない普遍的な道義的、政治的責任を根拠に補償履行する」という「和解の精神」に基づいているのである。新美氏の理解が正しいことは事実であることを確認するために、私は次のような返事を送った。

 「和解条項第一項の但し書きに関する解釈は、ドイツの事例と比較しても、決して劣るものではありません。ちょうど具体的な判例が出ましたので、それをお伝えします。まず、次の報道記事の翻訳をお読み下さい。

フランクフルター・ルントシャウ紙  2000年12月2日
バールセン社への強制労働者の訴えは成果無し
ハノファー発・12月1日(dpaドイツ通信)

 ハノファー地方裁判所は、製菓業者のバールセン社に対するナチ時代の元強制労働者の補償請求の訴えを棄却した。裁判所は金曜日、請求は時効であるとの判決を申し渡した。六十名の東欧の原告はハノーファーの企業に対し、ひとり九〇〇〇マルク(約四五万円)かち五〇〇〇〇マルク(約二五〇万円)、総計で一〇〇万マルク(約五〇〇〇万円)を超える支払いを請求していた。原告の大半はウクライナ人の女性たちで、一九四一年に収容所へ移送され、バールセン社で働かねばならなかった。
 判決によれば、犠牲者たちは新しい強制労働補償の連邦法による支払いが実施されるまで待たねばならない。彼女らは同法による財団からの支払いを期待することが出来る。しかし、財団からいつ支払いが始められるかはまだ未定だ。裁判所の判断によれば、企業に対する元強制労働者の請求権は一九九四年三月一五日で時効となった。すなわち二プラス四条約(ドイツ問題最終規定条約)締結から三年後である。しかし本件は一九九九年に提訴されていると地方裁判所のスポークスマンは説明した。この時効の期限は、ドイツ統一後の一九九一年に締結された二プラス四条約から算出されたものだ。この条約はドイツに関する最終的平和規定とみなされている。
 

 この判決は、現在のドイツにおける強制労働補償請求裁判の典型的な判例です。法的には請求権は条約締結後三年で時効となっているので、その救済として補償財団から支払いがうけられることを示しています。すなわち『花岡基金』による補償と内実は全く同様です。原告らはほぼ間違いなく、財団から労働条件、期間などを考慮され、約二五万円から七五万円の補償金を受け取ることになるものと思われます。
 なお、このハノーファーに本社のあるBahlsenという大手製菓会社は、企業側の財団に加入し基金を支払うことを正式に表明しています。
 国際法の問題にかんしては、ドイツ問題最終規定条約を平和条約とみなして、ドイツに対する賠償請求権が生じたとみなすか否かについては、ドイツ政府は一貫してこれを否定する主張をしており、ギリシャなどは肯定の主張をしています。注目に値するのは、補償財団に関する本年七月一七日の『独米政府間協定」の中で、アメリカ政府が初めて対独賠償請求権放棄を表明していることです。つまり、アメリカはこの強制労働補償財団で、すべての戦後補償は終了したとみなしたわけです。
 私が書いた記事(『週刊金曜日』八月一一日号「過去の重荷を下ろしたドイツ」)で引用したアメリカ財務次官の言葉にこの関連が明らかです。
 「いまだに過去の歴史に責任をとらない国があるが(すなわち日本のこと=筆者)、人類史上最悪の犯罪に対して、ドイツは明瞭な道徳的規範を示した」。だからアメリカは賠償請求権を放棄したのです。
 すなわち、講和条約によっても日本は道徳的責任を果たしていない。逆にドイツは講和条約が無いが、これで責任を果たしたとみなされているのです。すなわち、問われているのは日本の国家責任です。わたしは、鹿島の法的責任回避の主張を国家責任を間接的に問うものだと解釈しています。日本の多くの新聞の社説もはっきりと同じような主張をしています。花岡和解のおかげで、国家の道徳的責任を認めたドイツ方式の補償法実現の声が一斉に挙がっています。ドイツ方式とは、「国と民間が一体となった巨大な和解」なのです。このような世論喚起は、和解がもたらした最大の効果であり、誇るべきです。
 さて、花岡基金が遺族も対象としていることは、ドイツの補償財団より広範囲で、驚かれています。ドイツの新補償法の対象者は一九九九年二月一六日(補償財団設立準備声明の日付)の生存者とその相続人だけに限定されています。この日付までに亡くなってしまった被害者と遺族には支給されません。この違いは、これから大きな議論を呼ぶでしょう。ただし、わたしは、ドイツはこれまでに六兆円もの個人補償を別に履行しているので、一切を放置してきた日本とは比較できないと考えています。」

 さらに数日後、新美氏から「和解当事者の私から説明すると弁解ととられる。東京に来て話をしてほしい」との要望が続いた。どうやら、誤解と反発は広がっている様子だ。日本が中国に残した侵略の傷は深い。いまも、生傷のままのそれが、歴史の風に当たって疼きだしたのではなかろうか。そう考えた私は、急遽ベルリンを発った。
 このようにして、一二月一七日の東京での「報告・追悼の集い」に参加し、北京で年末にもたれた原告と遺族の方々との、および中国紅十字会との会議で、ドイツの補償財団の実情を具体的に説明することができたのであった。
 おかげで学ぶことも多かった。幸存者と遺族の方と面していると、「小さな市民運動がよくぞここまで来たものだ」との思いと「日本はまだこんなところまでしか来ていないのだ」との相反する思いが交錯するばかりであった。
 厖大な日本の戦争犯罪事実の前には、あまりにも「小さな和解」であるかもしれない。だがここで中国と日本の民衆が直接手を取りあって、小さな正義を実現したことだけは確かだ。幸存者と遺族にとってもっとも大切なことは、人間の尊厳を確認できることだ。かつての「日本鬼子」の次の世代が「人間」として立ち現れたとき、彼らは私たちの手を取るのである。かつての「撫順の奇跡」はここでも問われていた。ベルリン、東京、北京を巡って、私が確認したのは、またしてもこのことにほかならない。               

(かじむらたいちろう ジャーナリスト       )
                季刊「中帰連」2001年3月1日発行16号より転載