死の道(Los Caminos de la Muerte)
1970年に撮影されたが、ある「事故」ゆえに、未完に終わった作品。
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【あらすじ】

1950年代半ば、ボリビアは、民族ブルジョアジーを代表するMNR(革命民族運動)の指導者パス・エステンソロ大統領の治世下にあった。当時鉱山地区では、非常に発達した強力な組合運動が展開されており、その代表的な人物がフェデリコ・エスコバルだった。軍隊や北アメリカ人が鉱山地帯に入ることは事実上禁止されており、組合運動の進展を北アメリカ人たちは非常に危惧していた。彼らはパス・エステンソロ大統領に圧力をかけ、その運動の分断を試みたが、鉱山労働者の一定の支持を背景に権力を掌握していた大統領は、組合指導者に対して抑圧的手段をとることは政治的に拙劣で、できようはずもなかった。

 そこで北米はあらゆる策略を講じ、一方の農民集団を訓練し武器を与えたのち、二つの民族同士の間に争いごとを起こそうとした。戦闘が起こっている地区を平定するという口実で、鉱山のすぐ近くまで軍隊を派遣し、最終的には手なずけた農民集団の助けによって鉱山を乗っ取ってしまうこともできた情況だったと言える。しかし、これには時間もかかり、鉱山労働者たちは最後の襲撃が行なわれる前にその策略に気づいた。彼らは、襲撃を準備していた者たちを取り囲んで首謀者のところへ連れていった。

 人民裁判が開かれ、首謀者に死刑が宣告された。この人物は殺し屋であり、武器商人であり、裁判のなかで大勢の証人が過去の悪業を証言したのだ。死刑は、腰にダイナマイトのカートリッジ6個と長い導火線を巻きつけ、火をつけて行なわれた。映画は、この準備過程を語り、ふたつの集団の立場を説明し、外国の介入を暴露し、これらすべての事実を再構成し、人民裁判において最終判決がいかに宣告されたかを映し出した。

【結果】

西ドイツの現像所にネガは運ばれた。撮影監督も行き、露出も良好な状態であったことが確認された。ところが、いざ現像してみると、ボケていると現像所は言う。ウカマウの推測では、技術者が買収され、露出時間を延ばしたものらしい。ウカマウの自己評価からすれば、従来の映画からの質的飛躍であり、決別を意味する映画はこうして失われた。

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