小社が11月20日に刊行し、全国の書店に届いたばかりの本『夢のゆくえ:日
系移民の子孫、百年後の故国へ帰る』の著者、モンセ・ワトキンスさんが11月
25日夕刻、闘病生活をおくっていた横浜の病院で亡くなりました。享年45歳
でした。心からの哀悼の気持ちをこめて、彼女の生涯を詳しくお伝えします。

 ピレネー山脈の麓に育ったモンセは、バルセロナでの学生時代に小津安二郎の
「東京物語」を観て、この映画の世界に実際に触れたいと思って、日本へやって
来ました。いまから15年前の、1985年のことでした。
 縁あってスペイン国営通信社(EFE)の特派員として勤務し、日本の社会・
歴史・文化への関心をますます深めました。

 好きな文学を読むうちに、とくに宮沢賢治の世界に惹かれました。モンセも学
生時代に農業を勉強したという共感もあったようです。1994年、宮澤賢治著『銀
河鉄道の夜』をスペイン語に翻訳紹介すると共にスペイン国営通信社を退社し、
出版社ルナ・ブックスを設立し、以降日本文学のスペイン語翻訳に力を尽くして
きました。この間に翻訳・出版した作品は、宮澤賢治『どんぐりと山猫』『注文
の多い料理店』、夏目漱石『吾輩は猫である』(抄訳)『坊ちゃん』、芥川龍之介
短編集、島崎藤村『破戒』、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)短編集『怪談』
『牡丹灯篭』、武者小路実篤『友情』、太宰治『斜陽』『人間失格』、森鴎外
『高瀬舟』の13冊に及びます。この間は漱石の『草枕』の翻訳に取り組んできま
した。

 さらにモンセ・ワトキンス自身の著作として、『月光物語』『ひび割れた眼鏡』
『鎌倉の伝説』などをスペイン語で出版しましたが、それは、現代日本に生きる
人びとの心象風景と姿をほろ苦く描いた創作であったり、また古き鎌倉に伝わる
伝説的な物語であったりします(『月光物語』は河出書房新社から日本語に訳さ
れて出版されています)。

 またラテンアメリカ各地から仕事を求めてやってきた日系人の問題をジャーナ
リストとしてとりあげた『ひかげの日系人』(彩流社刊)を著し、日本社会がど
のように他者を受け入れているのかをテーマとして追求しました。またこの流れ
の仕事としては、在日ラテン系の人びとの創作集を自ら編集しています。
 関心は文学にとどまらず、易経、鎌倉彫り、料理、気などを学び、その世界は
実に広く、かつ深いものがあります。

 日本の社会を自分の居場所として、世界へ向けて日本の紹介を続けてきたモン
セ・ワトキンスは、『ひかげの日本人』を書いた時から5年がたち、日本社会の
変化と日系人たちのその後を追って、昨年スペイン語の本として出版しました。
その日本語版がつい先日刊行された『夢のゆくえ:日系移民の子孫、百年後の故
国へ帰る』です。

 上の一連の仕事を、闘病しながら進めてきたモンセ・ワトキンスは、ここに至
って癌の症状が進行し、病状がきわめてあやぶまれておりました。彼女の人柄を
知り、その熱心な仕事ぶりに敬服してきた友人・知人は少なからずおりますが、
全員がこの現実を前に動揺し、それでもなお出来る限りの手を尽して看病し、お
見舞いをし、激励をしてきました。本人も諦めることなく、『草枕』の完成、さ
らには志賀直哉短編集『城の崎にて』の出版の展望を語っておりましたが、その
甲斐なくついに亡くなりました。無念でなりません。

彼女がなしてきた仕事は今後友人たちの手に引き継がれて、中絶することはない
ことを希望しております。私たちとしても、彼女がなしてきた仕事の一端なりと
も担い続けたいと考えております。

2000年11月27日
                               現代企画室
    

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