2-3) 沿岸捕鯨の成立〜外来資本による捕鯨の導入 1906年(明治39年)、東洋漁業株式会社が鮎川に社員を派遣し、捕鯨事業所 の開設に着手した。東洋漁業株式会社の前身は、日本における近代捕鯨の創設 者といわれる岡十郎が1899年に、現在の山口県長門市仙崎に設立した会社であ る(この時の会社名は日本遠洋漁業株式会社であった。なお、「北の捕鯨記」 など、この当時の社名を日本遠洋捕鯨株式会社とする資料も存在する)。日露 戦争後の捕鯨業界の統合の際に、日本遠洋漁業は他社と合併改組し、東洋漁業 となった。東洋漁業の鮎川進出は、山口における操業の成功により捕鯨事業を 拡張する中で行われたもので、ほぼ時を同じくして同社は四国沖(土佐)・房 総沖・金華山沖に事業を展開した。 鮎川には、捕鯨事業船ミハイル丸3643トン及び捕鯨船ニコライ丸 130トンが 回航され、同年 6月11日にシロナガスクジラを捕獲した。ミハイル丸は、係留 式の工場船で、鯨体の解体ができたほか、船内には製油設備・貯油庫・骨肉粉 砕機・乾燥機などが備えられていた。これらはいずれも、日露戦争により日本 が拿捕した元ロシア船籍のノルウェー式捕鯨船であり、東洋漁業が日本政府か ら借り受けていた。ここから鮎川における捕鯨時代が到来する。 なお、この東洋漁業の鮎川進出に際して、鮎川浜には、鯨の解剖による海の 汚染を心配しての反対があったと伝えられている。捕鯨産業の鮎川進出は、必 ずしも鮎川浜にとっては歓迎すべきものとは言えなかったということである。 こういった懸念は各地で問題となっており、たとえば後日1911年11月には青 森県八戸に進出した東洋捕鯨の事業所が焼き打ちにあったというような、激し い反対運動に直面したケースも出てきている。 しかしながら鮎川では、当時すでに漁業株を持つ有力者は少数に統合されて おりそれらの人々が捕鯨産業の誘致に傾いていたことや、東洋漁業が鮎川村に 対して寄付をなすなどの申し出をしたことから、捕鯨産業は鮎川に進出を果た した(あいついで鮎川に進出した土佐捕鯨や紀伊水産も、鮎川小学校などに対 して、多額の寄付をしている)。 東洋捕鯨の進出後しばらくは、出荷される上質鯨肉以外は、そのまま海洋に 投棄されていた。これらは対岸の網地島、北方海上の田代島、牡鹿半島西岸で 鮎川より北にあたる大原などまで流れて漁場を汚染し、周辺の漁民は大いに迷 惑したという記録が残されている。 しかし翌1907年(明治40年)、鯨皮から鯨油やゼラチン、余剰肉などから鯨 肥を生産することが持ち込まれ、更に翌1908年(明治41年)にはそれらの利用 法をまねた企業が続々と設立されたことから、海洋汚染問題は解決に向かった。 製造方法は外部から持ち込まれたものだが、鮎川でそれらの生産にたずさわっ たものの多くは地場資本であったとされる。 この、鯨肥生産は、捕獲された鯨の利用のかなりの部分を占めていた。鮎川 で捕鯨が行われるようになった頃、捕鯨会社は、鯨肉の上等な部分約1割程度 を塩竃経由で関西に出荷していたが、それ以外の部位は利用していなかった。 それらの余剰物資は、前述のように最初は海に投棄され、のちに鯨肥生産など に利用されるようになった(*1)。しばしば「日本では、鯨の内臓などまで食べ ていた。一頭まるごと利用していた」とする鯨産品利用の文化が主張されるが、 鮎川の捕鯨(あるいは、日本の近代捕鯨)は、そういった旧来の利用法とは異 なる系列の利用法であり、伝統に断絶があったということである。日本におけ る近代以降の産業的捕鯨は決してそれまでの伝統捕鯨の延長線上にはなかった こと、また、鮎川における捕鯨産業の経済的効果は、鯨肥生産という、現代で はおそらく再開の意味がない産業によるものが大半を占めていたということを、 ここで確認しておきたい。 1911年(明治44年)には、当時日本国内にあった全12社の捕鯨会社のうち実 に 9社までが牡鹿半島内に事業所を構えるに至った(ただし、鮎川浜とは限ら ず、十八成浜(*2)・小淵(*3)・荻浜(*4)などのものも含まれる)。鮎川には、 うち東洋捕鯨(東洋漁業が1909年に他社と合併して社名変更)・土佐捕鯨・紀 伊水産・長門捕鯨の4社(*5)が事業所を構えていた。土佐捕鯨以外の3社は、 最終的には東洋捕鯨を含む山口系水産会社を母体として成立した日本水産に統 合される。また、土佐捕鯨は、いったん釜石に去ったあと、十八成浜の住民に 出資して小規模捕鯨会社を設立、その後買収するというかたちで舞い戻ってい る(土佐捕鯨はのちに下関の林兼商店と合併、大洋捕鯨・大洋漁業を経てマル ハとなった)。 *1 鯨肥とは、鯨肉・骨・皮・内臓などを煮て、そのあと天日で干し、石臼な どで粉砕して作られる肥料のこと。出荷された上等の鯨肉以外の、中等・ 下等とされた鯨肉も、主として鯨肥生産にまわされた。内臓なども、一部 地域では食用にされたことがあったものの、鮎川では鯨肥の原料となって いた。当時の鯨肥生産業者の配置などについての資料も残されている。 *2 十八成浜の捕鯨:1910年(明治43年)進出の藤村捕鯨。1928年に土佐捕鯨 に吸収合併される。この会社の前身は、木材の製造販売を本業としていた 丸三製材株式会社が作った捕鯨部だが、業績不振から独立を余儀なくされ た。十八成浜に進出したのは、同社独立直後と思われる。 ほかに十八成浜に存在した捕鯨企業には、1923年創業・翌年創業開始の遠 洋捕鯨合資会社がある。遠洋捕鯨合資会社は、林兼商会(のちのマルハ) の資金援助を受けて地元住民が設立した会社であり、目的は鮎川捕鯨(後 述)同様、鯨肥生産にたずさわる地場産業の原料の安定した確保であった。 1930年に株式会社に改組したが、1945年(昭和20年)には結局大洋漁業に 吸収合併された。 *3 小淵の捕鯨:1909年(明治42年)進出の大日本水産。鯨体処理場が開設さ れたのは翌1910年のことらしい。大日本水産は東京本所に本社を置く会社 で、九州呼子の伝統捕鯨業者出身の小川島捕鯨株式会社と共同で捕鯨船2 隻を輸入し操業した。1909年の「日本捕鯨業組合総会議案」には、同社の 拠点として、串本・太地(以上和歌山県)・宗谷・熊雄(以上北海道)・ 対馬(長崎県)・小川島(佐賀県)・敦賀(福井県)そしてここ、牡鹿半 島小淵の8ヶ所が挙げられているという。 しかしながらこの会社は、1916年には早くも小淵から撤退し、鮎川に移動 する(同年、第二次捕鯨業界統合で大日本水産は東洋漁業を中核として設 立されていた東洋捕鯨グループに吸収されている)。会社側の立場からは 小淵の港は大型化する捕鯨船にとって狭かったこと、小淵側としては雇用 確保が予想したほどのものではなく小淵は潤わず強いて慰留する理由に乏 しかったこと、そして率先して誘致した者があっさり鮎川に移籍してしま ったこと、東洋捕鯨の運営効率化のため、などの複合的な理由による撤退・ 移転であると考えられている。 *4 現在は石巻市。未調査。 *5 東洋捕鯨の本社は山口県下関。土佐捕鯨は高知県奈半利村。紀伊水産は和 歌山県串本。長門捕鯨は山口県仙崎(現在の長門市)。1916年の第二次捕 鯨業界統合の際に、紀伊水産・長門捕鯨は、東洋捕鯨に吸収される。 鮎川浜の地場資本が捕鯨に乗り出すのは、1925年(大正14年)である。設立 されたのは鮎川捕鯨株式会社で、鮎川資本による捕鯨を行ない、鯨肥の原料を 確保するのが目的であったとされる(現在、鮎川捕鯨があった場所は、1971年 に鮎川に進出した千葉資本の外房捕鯨の事業所となっている。鮎川港北側港外 にあたる)。これは、鯨肥生産が外部資本による捕鯨業者の着目するところと なり、自社生産が始められ、原料供給が不安定になったことが理由となってい る。そこで、自力での原料確保を目標として、地場資本である鯨加工業者(鯨 肥業者など)の出資による自前の捕鯨会社が設立されたというわけである。 鮎川捕鯨は、創業初年の1927年(昭和 2年)には、早くも百頭以上のマッコ ウクジラを捕獲し、上々の成績であり、その後更に業績を伸ばしたという。 しかしながら1929年の大恐慌による不況から再び捕鯨業界の再編成が行われ、 鮎川捕鯨も1937年(昭和12年)には、南極海捕鯨を目指す外部資本に買収され て姿を消す(スマトラ拓殖会社を経てのちに極洋捕鯨に吸収された)。買収に 際しては、鮎川捕鯨が保有していた 200トン級の大型捕鯨船「鮎川丸」、そし て鮎川丸を運用し得るだけの乗組員に、外部資本が興味を示し、猛烈な争いが あったとされている。 ところで、鮎川捕鯨が盛業中の時期のエピソードだが、同社の株主らは争う ようにして石巻などの土地を購入していたという。鮎川捕鯨の関係者が石巻近 郊に購入した土地は50ヘクタールにも及ぶと推測されている。鮎川の地場資本 で設立された鮎川捕鯨は、確かに設立は鮎川の地場資本によるものであったか もしれないが、必ずしも利益が鮎川に還元されたとは言いがたいものであった ようである。それどころか、鮎川の地場資本すら、石巻など、鮎川よりも有利 な場所を求めて流出していったという、鮎川にとって冷酷な事実を突きつける ものと言えよう。 1939年(昭和14年)に、牡鹿半島の北東側のつけねにあたる女川に鉄道が通 った。牡鹿町史は、鮎川への鉄道誘致に失敗したこととあわせて女川への鉄道 開通に触れている。「昭和14年10月、女川線は開通した。鮎川浜はそれによっ て一層捕鯨に傾斜せざるを得なくなったが、その危険性を知る者は少なく、た とえ知っていても最早如何ともすることは出来ない時の流れであったろう」と いうのが、その部分である。 次の項目へ
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