第47回 ボーンセンター露天風呂 「面開発住宅団地の40年」報告
―――東京都江東区 大島・砂町地区―――
【講師】
泉 宏佳(ボーンセンター運営委員)
「面開発住宅団地」というのは、(旧)日本住宅公団が既成市街地に3ha以上の規模で、主として工場跡地に建設した住宅団地のことであり、昭和40年代から50年代にかけて盛んに建設された。社会的には高度経済成長が叫ばれ、地方から大都市への人口移動が続き、都市が無秩序に郊外に拡大していた時期にあたる。一方で、都市環境としては騒音、振動、粉塵など公害が顕著になり、市街地内の工場操業は次第に困難な状況に追い込まれていた。そんな中で、江東区は都心である中央区とは隅田川を挟んだ隣接区であるにもかかわらず、工場が多く立地し、住宅と工場が混在し、又、東京都のゴミ収集車が夢の島に向かって疾走する混沌とした町だった。昭和40年、政府は景気刺激策として、工場などの用地を全面買収して高層高密度な住宅開発を可能とする「面開発住宅市街地住宅制度」を誕生させた。住・工が混在する江東区の、とりわけ城東地区は正に適地であり、続々と大団地が出現した。紹介した3団地、大島4丁目団地は昭和41・42年度事業、大島6丁目団地は昭和42・43年度事業、北砂5丁目団地は少し遅れて昭和49年度事業となっている。ちょうどこの頃、政府は住宅不足解消のため、昭和41年に「住宅建設五カ年計画」(1966)を発足させているが、計画は8期まで続き平成17年(2005)に終わっている。報告はこの3団地建設後の市街地の変容を追ったものであり、1965年から2005年の「住宅建設五ヵ年計画」と重なる40年間の、工場からマンションなどに住宅開発された地区をトレースしたものである。(図を参照)調査区域は3団地周辺の約480haであるが、住宅地図をベースに500u程度以上の工場用地の集合住宅地化を拾っていった。区域面積の約30%近くが変わっていったと推測される。公共投資も積極的に行われており、都営地下鉄の開通、都電敷地の遊歩道化、仙台堀川の公園化、丸八道路の開通など住宅地化への追い風となっている。調査は未だ続行中であり、こうした開発の結果、周辺のコミュ二ティーに与えた影響、評価などを求めて団地自治会、周辺町内会にヒヤリングを続けている。なお、私自身は4丁目団地へは入居後幼稚園の追加建設(現在区の高齢者施設)、六丁目団地へは建設中に新人研修で入り、北砂5丁目団地は計画から入居まで担当していた。
(運営委員・泉 宏佳)

 

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