第39回 ボーンセンター露天風呂 「世界遺産か モノレールか 〜 世界遺産候補 加曽利貝塚縄文の森の危機 〜」

【講師】
鈴木優子(ボーンセンター副代表)

木枯らしの冬日、久しぶりに露天風呂(交流会)を開催した。

ボーンセンターの福川代表と会員、文化財・遺蹟関係者、地元市民の方と共に、貝塚公園へ歩く途中、台地の畑地で、「もう、ここから貝塚群が始まっていますよ」と言われ、点々と露出している土器のかけらを見せられた。貝塚以前から約1万年間、この地に住み続けたヒトの暮らしのかけらだった。
千葉市加曽利貝塚公園の北貝塚断面展示、竪穴住居跡保存館を見て、ドングリ林を東の低地へ下り、坂月川沿いのビオトープの説明を聞く。小倉の森の湧き水を循環させてヘイケボタルや自然がいっぱいの水辺をめざして、坂月川の水質改善、古代米作りの活動を続けている地元市民団体だ。
坂月川にはコガモ、アオサギ、マガモ、オオバンが水草に見え隠れ、ゆったりと・・・。そこへカワセミが飛んできた!!
ここまでは良かったが、加曽利貝塚周辺縄文の森の斜面林の一角を伐採し、谷津を埋め立てる宅地開発の現場が見えてきて興ざめ、歴史的景観をなぜ?と憤りを感じた。

午後は南貝塚と縄文の住居の復元を見て回り、貝塚の大きさに驚くが、またまだ埋蔵物の発掘は3%のみで、残り97%は埋もれている。埋められる谷津にも残されている可能性が大きい。今後、解明のレベルが進んでいくため少しづつ掘るそうだ。

博物館友の会、土器を作る会、自然観察会、ビオトープづくり、植物を残す草地の管理、散歩、鳥を見に来る人、子供のグループと様々な活動がある。

1.開発か? モノレールか? の経緯
18年10月、千葉市の議会は業界からの強い要望でモノレール駅から1km以内の市街化調整区域の宅地開発を可能にする条例を制定した。千葉市の人口増加と市モノレールの乗客増加を見込むものだった。続いてモノレール以外の各駅から1km以内も宅地開発が可能になった。
待ってましたとばかりに市内にわずかに残された斜面林も伐採され、宅地開発がどんどん進んでいる。加曽利貝塚周辺は市の縄文の森公園構想があるが、この条例を制定する時に除外とされる保全区域には入れていなかった。
19年5月突然の大工事が始まり、ほおじろ台自治会は対策本部を発足し、市に「加曽利貝塚と坂月川一体の水辺を乱開発から守る請願」と3180名の署名を出した。この請願は市の都市消防委員会の扱いで継続審議となっている。しかし、この請願には、現在の宅地開発中止は入っていない。入れても現行の条例では許可されるとの市の見解からである。
モノレールか? 世界遺産か? と市民が注目する事態となっている。

2.加曽利貝塚と千葉の貝塚群の価値について
千葉県は自然環境に恵まれ、大昔からヒトが住むのに適した地だった。加曽利貝塚からは縄文時代の全期間にわたって生活が営まれた跡が見られ、代表的な遺跡とされる。
遺跡の位置は、都川を東に4kmさかのぼり、さらに北に3km入った標高約30〜20mの東向の傾斜地にあり、面積は16万平方m(約5万坪)もある。
東側斜面の下は水田になっているが、縄文時代には川か入江になっていたと推定される。
貝塚は直径約130mの北貝塚と170mの南貝塚が眼鏡状に並んでいる。
獣、鳥、魚、貝の狩猟と木の実を集めて食べていたらしい生活 や周辺の特色を知ることができる。
当時このあたりの海がどのような条件にあったか、出土した貝によって、推測することもできる。
縄文時代の前半から中期には、地盤の沈降や、海水面の上昇により、陸地上に海が広がる海進現象によって、海沿いの低地や谷津は遠浅の海となっていたらしい。
人々はそれまでの住居から台地の縁か裾野に移り住み、貝塚もここにあったと考えられる。
縄文晩期になると地盤の隆起や海水面の低下により、陸地が広がる海退現象がすすみ、貝塚
は見られなくなった。この頃になると加曽利の台地の人工は急激に減少し、その後は無人の台地となってしまった。
人々は水田での稲作を行うようになり、それに適した低湿地の周辺に住むようになったのだろう。
「原始・古代の千葉」より

加曽利貝塚の価値とは最大級というだけでなく、この地に私達の祖先が貝塚以前から約1万年の持続可能な社会を築き、暮らしていたことだと教えられた。今後、まちづくりとエコミュージアムの観点から、関心を持ち続けたい。今年の露天風呂は現地主義で企画することとなった。
(文:ボーンセンター副代表 鈴木優子)



 

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