第33回 ボーンセンター露天風呂 「農の心〜生きるものたちとの共存を目指して」

【講師】
熱田忠男(サポーター会員)

熱田さん




 6月3日(土)の定期総会後、会員で「谷津田創り隊」隊長の熱田忠男さんを講師に「露天風呂」を開催しました。熱田さんは千葉県匝瑳市(旧野栄町)で消費者グループ「菜っ葉の会」の協力を得ながら、30年以上、無農薬農業を営んできました。お話の大要を以下に紹介します。(文責:川本幸立)

最初に正直に答えていただきたいのですが、今朝、お米を食べた人はいますか?25%の人が手を挙げました。一般にいわれている食糧自給率と同じぐらいですね。しかし、種子も考えると自給率は限りなくゼロに近づきます。
今、農家は採算があいません。経済的な面では魅力はありません。家庭菜園をしている方たちは経済的な支えがありますから、自然と接してすごくいきいきしています。うちの部落も後継者が少なくて、私の息子もやっていますがよくやるなーと思います。両極端になっています。

● 水俣との出会い
息子が32になりますから、私が農業をはじめて33年目になります。どうしてこれだけ無農薬にこだわっているのかについてお話します。
水資源公団でダムをつくる仕事をしていました。印旛沼の仕事をしてから九州の筑後川の開発に関わった時に水俣と出会いました。今テレビでも報道されていますようにまだ水俣の問題はおわってはいません。当時、水俣に関わった人たちはほとんど人生が変わってしまったと思います。私も20代の血気盛んな時でそのショックで生活を変えて農業に入りました。そのことが子育てで逆にマイナスになってしまったと思います。何かものを見たりするのにすごく厳しくなってしまって、子どもに対してもそうした姿勢で育ててきましたので、私の長男も親と話しをするのに一時期拒否反応を示しました。のびのびと育てられなくて、子供が何か言おうとしてもそれに枠をはめてしまう、そういう育て方をしてしまったのがまずかったと思います。子育てだけでなく、自分がつくっていた野菜も自分が思い通りの野菜を枠をはめてつくっていたんだということに2年前に気づき、自然をみていなかったという反省の中から、今新たなスタートをしています。

● 泳げないアイガモ
ここは6階ですが6階から見る目と1階からみる目と12階から見る目はそれぞれ異なると思います。生まれたばかりの子どもも1階で育った子どもと6階や12階の子どもはそれぞれ違うと思います。また土に接して育った子どもとそうでない子どもとは違うと思います。先日、千葉大生3人にアイガモのネット柵つくりを手伝ってもらいましたが、その中の一人が田んぼの中に入れませんでした。生まれはどこかと聞くと船橋の都会でした。他の二人は熊本などの出身でした。
一昨日、アイガモを田んぼにいれましたら、泳げないカモが130羽位のうち5羽いました。いくら水の中に入れようとしても入っていかないのです。無理やり入れようとすると水の中で歩こうとして泳ごうとしません。カモが泳げないということで驚きました。これは育て方を間違ったのですね。水浴びを小さいときにさせないとそうなってしまいます。野生のカモはうまれてすぐ親に連れられて教わります。羽に油の塗り方を覚えないと泳げません。自然の世界をみててもそうですから、人間の世界はもっとおそろしいのではないかと思います。

● “四面楚歌”の中の農業
今の農業は効率優先で採算をあわせようとして土からどんどん離れていきます。本来土が植物を育てるのですが、農業は土が邪魔な存在です。というのは、土の中にはいろいろな微生物がいて、この微生物の世界をコンピュータではコントロールできません。むしろ、土がないほうがよく、水耕栽培は、水を殺菌し、それに必要な栄養をいれてコンピュータ管理する方が、作物をつくれます。露地栽培から雨が邪魔になるからということでハウス栽培へ、ハウスでは土を管理することが難しいので土から切り離して水耕栽培になります。その先は、採算をあわせるために普通の太陽光ではなく人口光で効率よく育てるという形になります。そうなるとビルの地下でも育てられるということになります。その代わり、コストも物凄く高くなります。しかし、農業もそういう方向が目指されています。農家というのはどっちを向いても採算があわないなかでどう生きていくかという問題に直面しています。
私の家の近所も農業をやめてみんなほっとするという状況にあります。農業を辞めてあととりを勤めに出して、週休二日制もとれて、こんならくな生活があるのかということを実感するのです。家の近くで家庭菜園をやっていればいいのですね。土地を守るために朝から晩までしんどい目をして働いてきました。やめた瞬間にもう二度とやりたいとは思いません。都会に出た人の多くはその何代か前に遡ると農業をしていたと思います。しかし、農業に戻ろうとはしません。それだけ農業というのは魅力のない世界になってしまいました。
都会の人たち、農業から離れた人たちからみると田んぼはゴミ捨て場です。田んぼはごみだらけ。谷津田もゴミ捨て場です。田植えの前にごみ拾いをしなければなりません。田んぼが子どもたちにどのようにみえているのかということですね。昔は米を作る大事なところだった。ゴミを捨てることなど考えられませんでした。今、通勤時にごみを捨てていく、学校の先生にもそういうことをする人がいます。国自身が谷津田をごみ捨て場にする
という政策をとっていますから、子どもに捨てるなといっても無理な面があります。
そういう中で、米をつくる、野菜をつくるのは精神的に参ります。30年間環境を考えて必死でやってきましたが、環境は悪くなっています。

● 除草剤、農薬を使わざるを得ない現実
 今日、電車で来るときに車窓から外を眺めても田んぼに誰もいません。昔だったら一番草2番草がでる頃で、雑草とり作業を腰を痛くしながら懸命にしている頃です。除草剤が農家を解放しました。それを無農薬でやるということは昔に戻るかということです。30年前に父親をはじめ家族と無農薬でやるということで喧嘩をしました。親たちは無農薬でやることがどれだけ大変なことかを経験してきています。私は頭の中で農薬はダメだと思って主張したので、そうした親の気持まで理解できませんでした。そうした中で無農薬でやるということは大変なことで、消費者を巻き込んで手で草取りをするしかありませんから半強制的にやってもらいました。最初の年の最後に消費者から、こんなシンドイことはできません、除草剤を使ってくださいと言われました。しかし、わたしはできません、誰か消費者の中で除草剤をかけてくれる人がいますか、と言いましたら、誰も手を挙げません。自分から汚したくないのですね。だけど無農薬で食べたい。それだったら農家を除草剤や農薬を使うからといって批判できないでしょうということがようやく理解されました。
そうでないと都会で生活をして安全なものを食べたい、あの人は農薬を使っているわ、というそんな問題ではないのです、現実は。農薬を使わないとやっていけないし労力もないのです。そこまでわかってもらうためには消費者の方を引きずりこむしかないのです。
表だけのカッコいいことだけでは解決できないのです。もうそのしんどさで農家がどんどん農業から離れていっているのです。
最近、周囲の農家の方から、我が家の屋号が「ジロベー」というのですが、ジロベーさんようなのが本当の百姓だと言われます。朝から晩まで泥まみれ汗まみれになって働く、毎朝5時起きです。6時前から働きますが誰もいません。自分は水俣の思いがあるからできます。しかし、家族が大変です。私が早くから起きていると家族は精神的に参ってしまいます。除草剤を使用すれば1ヶ月近くはもちますが使わなければ1週間毎に除草作業をしなければなりません。この差は精神的に参ってしまいます。

●水俣はおわらない。
除草剤の影響は農家だけではありません。田植えが終わって全国で1週間から2週間後いっせいに除草剤が使われます。印旛沼の水は飲み水として利用されていますが、田んぼからも水も流れ込んでいます。何年か前に、水道水から除草剤が検出されたということが報道されましたが、今はまったく報道されません。除草剤なしには今の日本の農業はなりたちません。除草剤は農薬と異なりすぐに害があるというものではありません。飲んでもすぐに影響がでるものではありません。飲み水の中に入ってくる可能性は十分あります。
全国で使われていますから、今後の影響を考えると水俣はまだ終わってはいないという思いがします。
水俣は食物連鎖です。今も同じです、農薬は微生物に入り、それがめぐりめぐって人間に返ってきます。だから水俣の原点は変わっていません。私は水俣で、一生やるテーマを背負いました。やり切れないほどのテーマを背負ったということは幸せ者だと思います。ですから、自分は活き活きしています。そういう点で水俣は終わらない。
当時、経済成長の時代で、ゴルフ、接待漬けの生活をしていました。公団をやめると言ったときに皆ヤメルなといいました。なぜこんないいところをやめるのかというのです。一方でこんな華やかな生活の裏で、こうした悲惨な生活で死んでいった、このギャップを埋めたいという気持があります。殺された側の人に対する償いの気持です。水の開発を通じて安い工業用水をつくり排水を垂れ流すことに関わったという自分の罪に対する一生かかっても償いきれない気持です。
それでどういう生き方をしていけばよいかと考えた時に、子どもにも自信をもって言える職業は一次産業しかないと思いました。たまたま農家の次男坊だったので農業に入りやすかったということもあります。公団をやめて、1年半の計画で、全国の農家を研修して歩きました。その頃は有機農業などはありませんでしたので普通の農家を研修して歩きました。驚いたのが農薬で命をおとす農家が多かったということです。ハウス栽培で10年で命をなくす農家が多かったのです。これはショックで、やっぱり農薬を使わない農業をやらねばならないと思いました。農薬は消費者が被害をうける前に農家が被害を受けている現状があります。それでも使わざるを得ないという現実があります。農薬を使わないですむ技術を確立する必要があります。

● 有機農業と認証制度
その内、有機農業が行われはじめました。私は有機農業という言葉は使いたくはありません。本来、有機物の循環は成り立ちにくいと思います。一方、日本は有機物があふれています。エサを大量に輸入し、厖大な家畜をかい、家畜の糞があふれています。この糞を何処に捨てるかと言うと農地に捨てるしかありません。そこで、国が有機農業を推進しなければならないと考えて推進しています。国が始める前はよかったのですが、国がやり始めるのは怖いと思いました。これはやめたほうが良いと思いました。今、畑は有機物が過剰です。有機認証制度ができましたが、私はこの有機認証制度というものが不思議でなりません。認証をとるために農家が一生懸命環境のためにお金にならないことをやり、さらに毎年更新するために10万円を支払わなければならない、このお金を払って認証してもらうというのはおかしいと思います。逆に、一生懸命やっていると国の方から無料で認証を与えるというのが筋だと思います。この認証制度を大手がとりはじめました。お茶などで一部の認証をとってイメージをつくる、全部をとるのは大変です。認証とってそれを継続するのは大変です。無農薬でつくるというのは大変です。取り下げる人もでてきています。私は認証をとってはいません。消費者との信頼関係しかないと思い直接畑にきてもらい、会話の中で理解をしてもらうしかないと思います。

● まちづくり、景観のこと
 先ほど、アレルギーの話がありましたが、5年くらい前に21〜22歳のアレルギー症状のヒドイ女性が滞在したことがあるのです。びっくりしたのですが、10日目で20年間苦しんだかゆみがなくなったのです。それまで時間面でも不規則で食生活もひどかったそうです。農村での規則正しい生活、食生活、土と接するという総合的な生活改善が良い影響を与えたものと思います。そういう点で、農村というのはすごくいい場所です。その農村がだめになると、都市がダメになると思います。都市が農村を壊しています。農村をどうしっかりさせるか、都市と農村をどう結びつけるのか、それがまちづくりであり、ボーンセンターに期待するところです。
 農村景観を良くしているのは農民です。私は納得できないのは、国道、県道、市道に接して水田がある場合、この法面の管理を、無報酬で農家がやっていることです。今、小さな農家が大きな農家に田んぼを委ねています。そうなるとこの法面が除草剤を使用することで黄色になり、景観が悪くなっています。そこで、“あぜ草”隊を組んで、景観、環境の一部としてあぜ草を刈ることを都会の人たちが実施すれば環境省から支援がでるのはないか、農家も大いに助かると思います。そして結果として安全な飲み水をえることになるし、都会の人の癒しの場ともなります。

● 問われる消費者、生協
 冬でもきゅうり、トマトないですか、と言われることがあります。ただ安全なものであればよいかという問題があります。ビニールハウスでは無農薬はつくりやすいのですが、冬、トマトやきゅうりを食べる意味を考えるべきです。水分をとるということは体温を下げることであり、冬に健康のためによいのかというのは問題です。消費者がどういう食生活をするかと言う問題です。健康のためには旬な野菜をとるようにすることです。
スイスに行った時に感心したことがあるのですが、まず国産の食材を使い、海外はその次という国産優先とういう姿勢を消費者が持っていることでした。ところが、日本の消費者は見た目や値段で選択します。これでは健全な農家は育ちません。 
 東京の生協で店を開店するときは客を呼び込むために私の無農薬野菜を使うことがありました。全体が回転しだすと大きな出荷組合の方が安定して供給を確保できるので、そちらと契約して、私は相手にされなくなりました。安全性よりも、量の安定性です。また、生協は消費者の方しか向いて無く、農家を助ける方に向いていません。生協も最初は価格保障政策をとっていて、よかったのですが、生協は組織的に無理だと思います。生協とは25年前に縁を切りました。当時、私も5人で出荷組合をつくりましたが、生協の大型合併でその供給に対応できません。実態は協力業者の協力業者がおり、そうなると農薬を普通に使用する生産者とかわりません。

● 頼りにならない「生産者の写真」
 最近はスーパーなどで生産者の写真がはられているところがありますが、ある老舗が開店するときに私の野菜を使いました。最初はどんな“くず”でも“はねだし”でも“まがり”でもよいといわれました。そのうち、店のほうも調理場をつくり、そこに出荷してくれといわれ、そこからまがり、どろつき、むしくいはダメと注文がきました。そこで、契約をやめました。ところがその後半年たってから、まだ私の写真が使われ冬にインゲンときゅうりを納めていることになっていました。そんな老舗の店がそういうことをやっていたのです。スーパーなどで生産者の写真を使っていますが、写真があれば安心というものではありません。
 本当に安全なものを食べたいのなら、家庭菜園をやるしかありません。そこで、「食と命の楽耕」をはじめ、今までのノウハウをすべて公開し、伝授したいと思っています。

●平和、棲み分け
こういう農業をやっていけるのは平和だからです。私の最後のテーマは平和というのはなんだろうかというものです。平和というのはすごく難しいと思います。食物連鎖の世界、ライオンがシマウマを食べるというのは自然の営みです。それを人間の社会の中で平和をどう考えていけばよいのかということを考えた時に、出来上がった自然の中の森の姿が理想的な姿、うまい棲み分けの仕方をどう考えていくのか、その中にいろいろな生き物たちとの棲み分けをどうするかということです。
生き物の世界とは食物連鎖の世界ですが、生物たちとどう共存するのか、共存するためには共に貧しさも分け合うことも必要ではないかと思います。

 

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