第19回 ボーンセンター露天風呂 「都市の里やま、里うみサンドイッチプラン」

中村さんは激しい人である。そして実践的改革者でもある。私は中村さんとは 2 度ほど懇親会でお会いしたにすぎないが、今回、再開“露天風呂”のトップバッターとしてお迎えし、話を聞き、更に後日資料を読み、又更に「ピーナッツ通信」への特別寄稿を拝見し、一層その想いを強くした。今回再開露天風呂の報告をまとめるに当たって、まずは以下の三つの資料をお読みいただくことをお勧めしておきたい。

*当日の資料(事務局に若干残部あり)

@雑誌・N ature Science ( june2002 ) 「人と自然の生態系」
A雑誌・月刊「海洋」( 2003 bV) 「海と人のかかわりの回復と今後の展望 −江戸の里うみへ  Back to the future −」

*ピーナッツ通信 23 ( 2003 . 11 )特別寄稿

「なぜ、いま行政と NPO とのパートナーシップか?!」

◇ 講演要旨 ◇

千葉は最高に自然条件に恵まれた所。海は南から黒潮の流れと北からの親潮がぶつかり、海の幸をもたらし、陸では照葉樹林の北限にあたるなど、境界領域で双方の果樹、野菜の生産にも恵まれ、 3 万年前から人々が生活していた。こうした自然の生命の連続性にかかわるシステムが「生態系」。長い間人々は、人と自然の生活の中に「里やま生態系」を築き上げてきた(図―1)。海についても同様で、これまで東京湾岸について江戸、明治以降の文献を調べてきたが、図―2のように人々は海の自然の恵みを、岡(農民)と立浦 ( 漁師 ) がそれぞれ社会的秩序の中で有効に管理し、利用しあってきた。  

図 -1
房総地方の伝統的里やまの景相モザイク

図 -2 江戸時代の東京湾内湾の景相

 

  一方で「都市社会」は人々が都市に集中することによって、巨大都市を造ってきた。人口の増加曲線は、生物の持続可能な自然な増加曲線を大幅に上回り、環境汚染も重なり、破局につながるシナリオを歩んでいる。これは人間個体の働きにも異常な変化をもたらし始めている。人間とその生活を取り巻く環境から「文化」が生まれ、その「文化」を取り巻いて環境保全される領域があり、更にそれらすべてを取り囲む自然の領域がある。そうした自然を保護する領域を考える時、自然保護とは人も動物も植物もすべてを包み込むものとして認識される。しかし、自然は時に人間の行為に敵対する場合もあり、人間は自然と対峙しながら克服するため「文明」世界を造り出して来た。文化: Culture とは土を耕すことに由来し、文明 :Civilization は市民に由来し、都市と同義語といえる。

 

このような文明空間の都市は自然から資源、エネルギーを大量消費し、大量に廃棄物を発生させ、地球上の生態系の健全性を損なっている。 ( 図−3 ) 。自然は多様な生物で構成される事で安定性が増し、その生命行為の連続性によって支えられているが、一方都市は効率性を重視しひたすら消費するばかりであり、自立出来ない生態系となっている。これからは人口が減少すると予測されており、再び「里やま」や「里うみ」を復活させ、陸と海との健全な生態系の再生を図ることが重要な課題である。建物を高層化し、余った土地を再度農地に、干潟にもどし、都市をサンドイッチにするプラン(図―4)を考えたい。

 
 

図 -3 自然の中の文化と文明

※「人間が自然と調和・共存する」所産としての文化に対し、文明は「自然から離脱しようとして人間が作りだした、自然にとってのたんこぶ」である。

図 -4 湾岸都市の里うみ・里やまサンドイッチプラン

 

 

◇ 話題展開 ◇

中村さんは豊富なそして地道な調査により、かつての人々が、自立かつ自律した社会秩序のもとに、安定した生活を送っていた姿を描き起こしながら、自分勝手で独りよがりな近代社会と現代人を「文明」と「都市」の姿に収斂し、自然にとってのたんこぶと嫌悪します。まちづくり技術屋の多い出席者には、少々耳に痛いお話でした。話題は、都市住宅の姿が高層住宅ばかりで本当にいいのか、とか街は変化するのがいいのか、変わらないのがいいのか、また、都市と農村のいい関係は?経済の新しい望ましい形態は?理学と工学の役割分担は?など大いに触発された議論が展開しました。最後に冒頭紹介された、恵まれた自然を有する千葉県は、むやみに大都市化を追随するのではなく、自然と都市とが共存する新しい概念の「千葉モデル」が求められるという代表の言葉で締めくくりとしました。

 

(副代表・泉 宏佳)

 

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