北海道訪問記・その2〔自然編〕
日本最北のブナと4000万年前の琥珀とヴェネツイア・ガラスの旅
2004.01



6 月の北海道の訪問記となると、本当に印象深かったことしか思い出せない。

「流氷の時期、ガリンコ号に乗ってみたい!」というK-1氏を押さえ込み、6月の旅は市民参加条例と NPO 視察の目的を果たしながら、積丹半島、石狩川水系を恵庭市の茂漁川から発し、河口石狩市から北上して水源地である大雪山朝日岳中腹まで 1200km のエコツァーとなった。私は小樽で生まれた雪女。私の行く先は雪が降る。はたまた、石狩川を遡る鮭の気分だった。

 

□1.  茂漁川(もいざり)の水面にバイカモの花

千歳空港と札幌の間にある恵庭市へは、全国から茂漁川の自然復元河川事業の成果と、花のまちづくりを見学に来る人が多いそうだ。街の厄介ものとされていた汚れた川がどこまで自然復元できたか、私達も見に行った。

平日、15 時半、川に近づくと人影がちらほら。自転車を押して参歩する人。釣り人。帰りがけの子供達。橋から川を眺めている老人。水面に水草と白い花がゆれていた。「あー、バイカモの花だ。」護岸の草を踏み分けて水辺に下り、興奮した熱い手を流れに浸すと驚くほどに冷たい。豊かな水量、速い流れだった。川底まで透き通って、光に砂がきらめく。水中植物のバイカモは水質・水環境の影響をもろに受けるため、なかなか生息しているのは見られない。淵も瀬もワンドも川岸の林も近寄れる水辺も公園もある昔の川みたいだった。「危険注意」の看板も金網もなく、当たり前のように、郊外の住宅地を流れていた。

「恵庭市は札幌の衛星都市だ」との市民意識からアィデンティティの確立をめざし、「自分達のまちづくりと川づくり」の機運の高まりと行政の支援で、可能な3kmの水域のコンクリート護岸を外したそうだ。川をきれいにしようとする努力と川の浄化機能によって、今、この川には、もといたオショロコマ(ヤマベか?)が戻ってきている。この事業はこの街の気候風土に合ったヨーロッパ風の「花のまちづくり事業」と共に、全国で事例発表したり、受賞したり、好評だ。行政マンの視察もおおいと言う。私も当地を訪れたいとの願いがかなった。

 

□2.  積丹半島のキタキツネ

1855 年まで海が荒れるので女人禁制だったカムイ岬まで、やせ尾根を歩くと岩場に紅のハマナス、キスゲ、オレンジ色のカンゾウが、海風を受けながらも日本海の色、空の色に映えて咲き誇っていた。

その手前の駐車場にキタキツネの親子が3匹、距離を置きつつも現れた。子ギツネと母ギツネの前面にいる父ギツネの背中は疥癬に犯されていた。もともとキツネが持っていた病気ではなく、イヌ、ネコから感染したものだ。ペット連れの人に父ギツネは汚そうに追い払われていた。この先、親子に感染して、進行して痒さに食欲もなく衰弱していく末を思うと哀れでならない。次の日、本当に海が荒れ、風が強くなったのには恐れ入った。その岬から義経を慕ってアイヌ娘が身を投げた伝説がある。

 

□3.  最北のブナとのめぐり合い

丹半島の南、島牧に現存するブナは 7000 年位前に津軽海峡を越えたとされる。黒松内のブナと並んで、ほぼ同じ緯度の島牧のブナの森は日本の最北のブナと言っても良い。瑞々しさが匂いたつようなブナの様子は 5 月に見た丹沢の尾根のブナとは異なっていた。次世代の芽生え、幼木が見当たらなかった鍋割山に比べ、島牧の林床には今年の芽生えがひしめいていた。葉は太平洋側のブナよりも大きく、日本海ブナの特徴があった。最北の纏まったブナの森を残そうとの地元の取り組みで、「ブナの遺伝子保存林」とされていた。この森に「熊に注意」の立て札。朝、しゃれたペンションを出かける時にも、熊が出るから、大きな声を出しながら歩くように言われた。道沿いのイタドリの先が食われた跡も真新しい。本当みたい。「おやじ、出るなーよ」と叫びながら歩いた。

 

□4.  当たり外れ

エコツァーと来れば、地の美味は?と聞かれる。正直、期待はずれで悲しかった。

積丹のウニ丼、ご飯はぐちゃぐちゃ。炊き方が不味いのだ。きらら米の名がすたる。客が少ないとここまで腕が落ちるのか。旭川、札幌のラーメン、あれはなんだ。太い麺がかん水でちぢれ、スープが捩れて持ち上がる醍醐味はどうしたのか。札幌の友人に不味かったと言ったら、 12 月になって「季節のものです」とサクラマスとオホーック鮭の花こうじ漬けというのが送られてきて、むむ、美味しい、参った。当たり外れが多いのね。

良かったのは余市のニッカ工場。ウィスキーアイスクリーム美味。広い敷地内は確か工場緑化で環境大臣賞となったはず。稼動中なのに静けさに包まれて、風雪に耐えたレンガの建物内と、北海道の木を生かした気品のあるたたずまいを楽しんだ。

ウィスキーの樽は当初、地元のミズナラを使ったが、現在はスコットランドのオーク材の樽を輸入している、香りづけに燻す泥炭も当地からとのことだった。何と言っても清冽な北海道の水質が良いのでは。

この旅行中、何度も「水源涵養保全林」の看板に出会った。千葉で飲み水となる印旛沼に流れ込む鹿島川の水源涵養林作りに取組む身としては、うらやましい循環型の街づくりであった。

 

□5.  石狩川水源の天女

北海道で一番長い石狩川を遡っていくと水源は大雪山山系、忠別川の天女の滝に行き着いてしまった。

朝日岳をめざした筈が天女のお導き。そのお姿は天にもとどく岩場の高みから流れ、中段でくびれ、裾広がり、美しさとマイナス・イオンで心身がさらに清められた。その夜のユースホステルは朝日岳の中腹、露天風呂温泉つき。入浴中のK− 2 氏がお手を振るのが哀しかったそうだ。

 

□6.  最後に小樽の北一ヴェネツイア美術館

実家はニシン御殿と言いたいが、小樽の花園町で生まれた時、既に潮の流れが変わってニシンは取れなくなっていた。しかし石造りの建物や倉庫は小樽港が北海道の中心だったなごり。今回は北一ガラス・ヴェネツイア美術館を訪ねた。特別展は400万年前、針葉樹の樹液に生きていたトンボやクモが閉じ込められ化石化した琥珀の展示。魔女のコレクションのようであった。ヴェネツイアのガラス作家、コスタンテイーニがつくった海の中の世界は、色鮮やかな珊瑚礁の生き物たちの究極の作品であった。

自然を味わいながらの旅する先々で、立派過ぎる道路や、まだまだ続く大工事に会った。ムネオさんの仲間、健在。見当たらないのは行き交う車だけだった。故郷よ、すこやかにあれ。

 

(運営委員・鈴木 優子)

 

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