90.  本田良一「密漁の海で――正史に残らない北方領土」( 凱風社 2004.06.)(2004/06/20搭載) 

 以下は、『密漁の海で』の第三章「ジャテック事件」の第4節「ベ平連の地下組織」から抜粋。

……ベ平連の地下組織
 なぜ、脱走米兵六人が根室を経由してソ連へ渡ることになったのか。前年の六七年十一月、ベトナム反戦運動の市民組織「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)は、米空母「イントレピット号」の水兵四人を横浜からナホトカ航路のソ連船「バイカル号」で脱出させることに成功した。これをきっかけに、べ平連は脱走兵の支援活動を本格化させるため、地下組織「日本脱走兵援助技術委員会(JATEC=ジャテック)」を発足させた。
 その組織の存在が明らかになったのは翌六八年二月二十七日だった。べ平連の小田実(作家)代表が東京・有楽町の富士アイスで内外記者と会見し、反戦・脱走兵への支援を呼びかける中で、脱走兵の援助を目的とした委員会(機関)が日本に発足し、活発に活動していることを明らかにした。完全な地下組織で、路線問題から共産党を締め出された活動家らなどが中心的な役割を担い、市民や学生など広範なべトナム反戦支持者が底辺を支えていた。脱走兵を乗せた村井の船が根室港を離れる約二ヵ月前のことだった。
 根室市議の富樫は、小田代表が記者会見した翌三月中旬、旧知の社会党の衆院議員(北海道旧五区)・岡田利春から突然、電話を受けた。
 「実は君に頼みたいことがあるんだが、反戦脱走米兵の国外脱出援助に協力してほしい。根室で実行できるのは君しかいない」
 当時、社会党は根室漁民の頼りになる存在だった。漁民が拿捕されると、社会党はソ連側と折衝し、解放を働きかけるなど大きなパイプを持っていた。拿捕された漁民の家族は、政府・外務省よりもまず社会党に走った。
 岡田は電話で富樫に言った。
 「詳しいことは、今月中に札幌でべ平連の関係者と会って聞いてほしい」……

(本田良一『密漁の海で――正史に残らない北方領土』凱風社 2004年6月より)

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