67. 小嵐九八郎「 蜂起には至らず」講談社 2003.04.(2003/08/12搭載)

 小嵐九八郎『蜂起には至らず――新左翼死人列伝』講談社 2003.04.刊 定価1,900円+税) は、月刊『本』(講談社)に連載されていた(2001年3月〜2003年3月)ものに加筆・修正されたもので、サブタイトルにもあるように、1960年の安保闘争で死んだ樺美智子さん以下、2000年6月に病死した島成郎さんまで、主として新左翼活動家の故人27人について、その生い立ち、活動経歴、死に至る経過、背景などを論じた「ノンフィクション的随筆」(著者の「あとがき」)である。とりあげられている27人は、警官隊との衝突の中で殺害されたり、事故死、自殺、あるいは内ゲバやリンチで殺害された新左翼党派の活動家 が多いのだが、中には、高橋和己さん、東山薫さん、戸村一作さんといった党派活動家ではない人、そして新左翼とは言えない由井忠之進さんも含まれている。その由井さんについての文に、以下のように、ベ平連について触れた部分がある。なお、この中に書かれてあるベ平連の正式名称は発足当座のもので、由井さんがなくなった1967年当時は「ベトナムに平和を!市民連合」だった。
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 ……由比忠之進さん。エスペラントの重鎮。むろん、新左翼とは、まるで無縁。日本共産党系の平和委員会に属するけれど、それと仲が悪いと見なされていたべ平連を訪れて、話しこみ、『ワシントン・ポスト』に反戦広告を出すための基金を置いていったのが死の年の三月頃である。選挙はいつも棄権ということで、普通の政治的という意味では、まるで党派性を帯びていない。なおべ平連は「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」の略である。ベトナムへの北爆に早くから鋭敏に反応し、一九六五年四月に小田実さん、開高健さんらが呼びかけて発足している。この頃の学生達の主な関心は、ベトナム戦争へとじわりじわりとしても、米原子力潜水艦の寄港と日韓条約であった。これと負けぬほどの思いで、ベトナム戦争の重さを政治の非プロの人人もきちんと見抜きはじめてきたわけだ。合言葉は「ふつうの市民としてデモに参加して下さい」だった。
 由比忠之進さんは、正確にいうと、焼身抗議自殺を実行した次の日の十一月十二日午後三時五十五分、火を噴いたガソリンを吸って気管支と肺が焼け欄れ、呼吸困難で死亡した。…… (同書 67ページ)

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