46. 小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉――戦後日本のナショナリズムと公共性」( 新曜社 2002/10 \6,300+税)(2002/12/06新規搭載)
966ページもある分厚い本だが、その第16章は以下に引用する冒頭部分にあるように、すべてベ平連の記述にあてられている。そのほかの章でも、随所で小田実や鶴見俊輔の思想、主張に触れている。
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第16章 死者の越境 (冒頭の部分のみ)
一九六〇年代に全共闘運動とならんで注目を集めたのが、「べ平連」(「ベトナムに平和を! 市民連合」)である。べ平連は固定した組織形態をとらず、「市民」の自由参加という運動方式を打ちだし、その後の「市民運動」の原型をつくったとされている。この章では、このべ平連の旗揚げ役を果たした、鶴見俊輔と小田実をとりあげる。
鶴見俊輔は、日本にプラグマティズムを紹介した哲学者であり、知識人の転向と戦争協力の歴史を研究したほか、「一五年戦争」という言葉をつくったことや、雑誌『思想の科学』を主宰して大衆文化研究の開祖となったことで知られる。また小田実は、一九六一年に世界旅行記『何でも見てやろう』をベストセラーにしたあと、鶴見の勧誘によってべ平連の代表役となり、「国家を超える市民」や「加害の自覚」などを唱えた作家であった。
しかし彼らが唱えた「国家を超える市民」あるいは「加害の自覚」という主張は、「戦死者への追悼」や「被害の痛み」と矛盾したものではなく、むしろその発展形態として提唱されたものであった。そしてそれは同時に、彼らなりの「ナショナリズム」の構想を、提示する試みでもあったのである。……
(注)なお、この本の末尾にある第16章の〈注〉(133)のなかで、「ベ平連に参加していた浪人生の笠原芳光は、……」という記述があるが、笠原芳光は浪人生ではなく、当時同志社大学宗教部主事で、牧師、京都ベ平連の中で鶴見俊輔らと一緒に行動していた中心メンバーの一人。(吉川記)