20. 鹿野政直 「思想の百年 経験と情報  民主主義(7) 『東京新聞』20001018日夕刊(2000/10/23 搭載)

思想の百年 経験と情景

――歴史学者 鹿野政直――


民主主義(7)

 思想としての民主主義は、第二次大戦後の二十世紀後半、どんな新しい体質をもつようになっただろうか。小田実こそ、その体現者というにふさわしい。
 「私の日本のことを考えるにあたっての、あるいは、世界の過去、現在、未来を考えるのにあたっての、あるいはまた、自分のことを考えるにあたっての原理のよりどころとなるものは、自分が一九四五年八月十五日以後に存在することを始めた『新しい日本』の人間であるという事実、あるいは、認識です」(『「民」の論理、「軍」の論理』)。少年として大阪で大空襲のもとを逃げまどい、敗戦を起点とすることを心に銘じた小田は、こう宣言する。その彼にとって「新しい日本」とは、「民」の論理が細胞の一つ一つにまで息づいているような社会であることを意味した。
 そうした視点を小田は、『何でも見てやろう』に結実する世界各地の、ふだん着の姿の人びととの接触を通して獲得した。「無数のひとりの人間」の「生身の思想」が、不断の出発点となった(『世直しの倫理と論理』)。そこに立つとき、権力を手中にする人びとはもちろん、左翼を含めてのあらゆる”権威”は、「えらいさん」となる。その「えらいさん」に、「ぴいぷる」つまり「人びと」の運動を対置する構図が、彼においての民主主義の原点であった。日常性の根底から存在を捉えようとするその名づけ方は、発足期の思想の科学研究会の「人びとの哲学」を連想させる。
 六五年に、小田が牽引力となって立ち上げた通称べ平連(「ベトナムに平和を!」市民・文化団体連合→ベトナムに平和を!市民連合)は、「人びとの運動」の典型的な場合をなしている。反戦運動としてのそれは、同時に民主主義運動の内実を備えていた。著書『状況から』には、そんな小田の運動の経験を踏まえた総括が盛り込まれている。少なくとも二つの点で、運動あるいは運動の哲学の、新しい次元を拓いたと読みとれる。
 第一は、組織動員でなく、「ひどいことには自分で声をあげる」ことこそ出発点とするスタイルであった。総論を掲げるのでなく、「具体的、個別的な問題にあくまで執着することで、かえって同じ問題をもつ」人びととの結びつきを深める結果が生まれた。綱領も規約もないという、既成の組織概念を覆す不定型さが、かえって運動につぎつぎと力をもたらした。仮名や感嘆符(!)を入れた名称は、漢字の羅列を組織名としてきた常識を破った。
 第二は、「人びと」を単位とすることで、国籍を超える視野を培ったことであった。そのことは、ベトナムを軸とする世界史への認識を深めた。世界のなかの日本の位置を浮かび上がらせずにはいなかった。同時に、「国家と自分のいやおうなしのつながり」を意識させた。
 そういう基調をもつ『状況から』には、直接民主主義・住民運動・国際連帯などへの示唆がぎっしり詰まっている。いま民主主義を考える最良のテキストでは、との感慨が突き上げる。

(『東京新聞』20001018日夕刊

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