16. 宮崎 学 『突破者の条件』(幻冬社 1998年3月)

 

……なんだか訳の分らんマニュアルの下に、市民と称している人にいいたい。「市民」という言葉を死語にすることを提案したい。メディアはもちろんのこと、個人も、「我々市民は」とか「私たち市民は」という言い方は放棄し、「私は」「俺が」ということにしよう。私は若い頃に「我々は」といつてきた世代ではあるが、これに市民がついたら、最悪である。それは群れる思想である。群れたら腐る、というのが私の一つの結論である。

そろそろ文化人はやめたい

 一九六〇年代を一緒に左翼活動していた人たちが、その後、どうなったか、次のように類型化できると思う。@全面的にやめてしまって、市民になってしまった人。Aいまも続けている人。B私のように道からそれてしまった人。というように、大きく三つのパターンになるだろう。道からそれていった私のような人間は、他にも何人かいるが、それらは、理念とか理想とかといったものでなく、肉感的なものを求めていった結果であると思う。肉感的であるということを簡単にいえば、ワガママをやりたいということなのだ。ワガママをやって、その成り行きできた人生であるのに、『突破者』という一冊の本が出たことで、ワガママができなくなるのは困る。多くの人が読んでくれて、そこからいろいろ感じ取ってくれるのは、有り難いことであるが、それでイコール文化人という枠にはめられても、戸惑うばかりだ。…… (p.14〜15)

……要するに、自分や自分たちが正義であると思いこんでいる。こういう「正義」を振りかざす連中ほど、人に対してどこまでも無神経になれる。
 その最たるものが「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)だった。だいたい、日本に存在しない市民という単語をこの時代から使うこと自体でじゅうぶんいかがわしいのに、ベトナム戦争の最中にベトナムに平和をという運動は、まやかしだと思った。なぜか。べトナムは侵略に対抗して戦っている。そこに平和をなぞという耳触りのいいことぼを投げかけて、それを運動としてしまう精神構造。私には耐えられない。
 当時、ベトナムの人たちにとっては、平和ではなく戦いが第一だった。敵であるアメリカ帝国主義に勝利するしかない。それを、日本にいて自分たちはこういうふうに嘆いていますというようなことを運動の根底に持ってくる精神構造は、いかんともしがたい。恥を知れ、恥を。
 階級闘争や民族間の対立というのは、平和とか何とかそんなきれいなことばでは済まない、もっと動物的だし、本能ムキ出しのものである。それを「平和」と「市民」だって……。おい!ぼけているのか。
 一九七二年、CIAの介入によりチリのアジェンデ社会主義政権が崩壊する前年のことだが、ぺルーで世界青年友好祭が開かれ、私も飛び入りで参加した。そこで、南べトナム解放民族戦線の二十歳そこそこの少女が、「アメリカ兵を三十人殺した英雄です」と紹介され、演壇に立った。彼女は、ここであいさつしてまたベトナムに帰ったら死んじしまうかもしれない、おそらく二度とみなさんに会えない、といった。
 事実、彼女は英雄だが、人をこれだけ殺すという悲惨なことを行なっている。果して、べ平連の連中が、彼女を英雄だとたたえるかどうか。彼らの感性ではそれは無理というものだ。ベトナム民族にとって平和は、力で勝ちとるしかない。だから、人も殺す。それがべ平連だけでなく、左翼と称する連中で分らない者が、多すぎる。……(p. 60〜61)

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