169 吉岡忍『 歴史を「生きるための道具」に ハワード・ジン氏を悼む』全文)(朝日新聞 2010年2月4日夕刊)10/02/05掲載)

    歴史を「生きるための道具」に
    
         ハワード・ジン氏を悼む
                                       吉岡 忍  (作家)

 ハワード・ジンはいわゆる歴史家ではなかった。彼は歴史についての考え方を変えた人だった。歴史を力ある者たちの列伝ではなく、普段私たちが暮らし、生きていくための道具に変えた人だった。
 そのハワード・ジンが先月27日、87歳で亡くなった。
 その名前は、1960年代後半、私が参加したべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)ではおなじみだった。66年6月、彼はべ平連代表だった作家・小田実の誘いで来日し、全国14の大学で、米政府の戦争政策とそれに追従する日本政府を批判し、この戦争を止めるため市民同士が連帯しようと訴えた。
 このときジンは43歳(ちなみに、小田は34歳)。のちに彼を米国随一の歴史家に押し上げる「民衆のアメリカ史」(邦訳・明石書店)が刊行される十数年前だ。それまで彼はアトランタの女子大学で歴史学を教える一方、非暴力の立場から人種差別撤廃運動に深くコミットし、それを理由に同大学を追われ、ボストン大学に移ったばかりだった。
 このときの活動家としての経験と、第2次世界大戦に従軍したことが、ジンの世の中の見方を形つくった。彼は爆撃機に乗り、ナチス・ドイツ支配下の欧州各地を攻撃したが、戦後、空爆の成果とされたもののほとんどが、一般市民の大量殺戮(さつりく)と街の破壊にすぎなかった事実を知った。
 第2次大戦は米国にとって、ファシズムを打ち倒す「よい戦争」だった。だが、膨大な軍事費を使い、破壊力を増す一方の戦争技術は、どんな戦争目的も雲散霧消させてしまう。「もはや私たちは『正義の戦争』を起こすことがおそらく不可能であるような人間の歴史の時点に達したのではないか」と彼は考えた。
 そうである以上、われわれは知恵を振り絞って、戦争や暴力以外の方法で紛争や対立を解決することを考えなければならない。政府が「正義」や「名誉」や「国益」を振りかざし、教育や福祉や医療の予算を削って強大な軍事国家をめざそうとするときは、その背後にある権力者や特権階層のたくらみを暴き、反対しなければならない――。
 彼の「民衆のアメリカ史」は米国の独立革命や奴隷廃止やニューディル政策を、冒険家や歴代大統領の偉業としてではなく、普通の人々がこうむった虐殺や追放、先駆的な努力や戦いの「動き」として描ききった。ここには、普通の人間が歴史を作る、人々が動けば歴史は変わる、という確信がある。彼のその信念は、現代の米国のアフガン・イラク戦争批判まで揺らぐことはなかった。
 68年夏、べ平連は反戦運動の国際会議を京都で開催した。もう一度彼に来日してもらおうと考えた小田は、ボストンに電話した。彼が初来日のとき、高校生だった私は直接話を聞けなかったから、二人の話を耳をそばだてて聞いていた。「いまアメリカの歴史から説き起こし、米軍撤退の必要性を訴える本を書いているんだ」とジンは躊躇(ちゅうちょ)した。小田が「歴史は書くより、作る方が面白いじゃないか」と畳みかけると、電話の向こうで笑いがはじけた。
 結局、彼は来られなかった。私が彼の声を聞いたのは、そのときだけだ。小田実もハワード・ジンももうこの世にいない。だが、二人がそれぞれに、われわれはこのように考え、悩み、書き、ときには失敗しながらも行動し、生きたのだと語る姿が、ひとつの生々しい理想型として、私のなかにある。

【写真】(略、この写真は本サイトの「ニュース」欄に出ています。)1966年6月、講演旅行のため来日したハワード・ジン氏(右端)。中央は評論家の武藤一羊氏、左はアジア学者の故・鶴見良行氏=吉川勇一氏撮影・提供

 

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