168 鶴見俊輔『言い残しておくこと』( 第二部の「『まちがい主義』のベ平連の節のみ全文)(作品社 2009年12月刊)09/12/31掲載)

 以下は、鶴見俊輔『言い残しておくこと』(作品社、2009年12月刊)の第二部の中の「『まちがい主義』のベ平連」の節のみを引用。

「まちがい主義」のベ平連

 一九六七年の十一月、京都の私の家に東京のべ平連事務所から電報が届いたんです。「ダツソウヘイデタスグデンワコウ」と。
 べ平連では、それ以前から横須賀のカフェやバーに脱走を促すビラを置いたりしていたんですけれど、ほんとうに脱走兵が出てくるとは思わなかった。我々は何の準備もしてなかったわけですよ。
 ところがしばらくして、ほんとうに脱走兵が出てきた。しかも四人も。これには驚いたね。ともかくすぐさま東京へ行った。四人の脱走兵は、私の従弟の鶴見良行の家に匿われていたのだけれども、我々は、みんな昔の軍隊を知っていますから、脱走兵はすぐに銃殺、それを助けた者も牢屋に入れられる、そういう先入観があるわけです。だから、脱走兵を目の前にして、みんな固まっちゃった。フリーズってやつですね (笑)。大将の小田実も、脱走を幇助すれば牢屋に入れられる、べ平連も潰されると思った。とにかく、脱走兵が出たという事実と、我々の声明をきちんと記録してマスコミに流そうということになった。それで映画を撮ったんだ。最初は、小田が代表して話すのがいいということになっていたんだけど、小田は、自分ひとりで話すのは嫌だから四人集めてくれ、というわけ。そうして集まったのが、小田、開高健、私、もう一人が日高六郎です。なぜ日高六郎かというと、小田は、牢屋に入れられる仲間に東大教授を入れたかったんだ。こういうときには、東大教授がいたほうがいいだろうというわけ。日高にとってはいい迷惑だけどね(笑)。
 みんな牢屋行きを覚悟していたんだけれども、実際には、日米行政協定で、脱走兵を国外に脱出させても我々日本人は罪にならないんですよ。でも、そのときはわからないから、映画を観ればわかるように、みんな固まっている。これは後で気づいたことだけれど、あのときの我々と同じような状況を措いたものが、江戸時代の歌舞伎にある。鶴屋南北の「鯨のだんまり」という芝居で、「だんまり」というのは一種の無言劇で、暗闇のなかで探り合いながら立ち回るわけです。南北のそれは、舞台の黒幕を浜に打ち上げられた大きな鯨に見立てて、その前に漁師たちがいる。すると突然、ガラガラガラツと物凄い音が鳴りひびき、黒幕を突き破るようにしてきらびやかな衣裳を着た人物が現れる。それが壇ノ浦で入水して死んだ安徳天皇。安徳が鯨に呑み込まれていたという趣向だね。要するに、あのときの我々は、鯨ならぬ航空母艦から脱走兵が突然現れて、暗闇のなかで探り合っているという状態だった。まさに「鯨のだんまり」なんだ (笑)。
 脱走兵のことでは、小田も私も予測をまちがったわけだけれども、そもそもべ平連というのは、フアリプリズム、まちがい主義なんです。このフアリプリズムという言葉、もともとはプラグマティズムの創始者の一人、チャールズ・パースがつくったもので、まちが いからエネルギーを得てどんどん進めていく、まちがえることによって、その都度先へ進む、それが何段階かのロケットにもなっていくわけです。こういう連動の形というのは、日本では明治以降の百数十年間起こらなかった。それまで日本にあった反権力の運動とい うのは、ほとんどが東大新人会の型になってしまうんですよ。東大新人会は、最初吉野作造の民本主義を大いに支持した学生たちによってつくられるわけだけれど、後になると民本主義なんて生ぬるい、「吉野のデモ作」とかいって軽蔑して、マルクス主義へ乗り換え ていく。マルクス主義というのは、You are wrong でしょ。あくまでも自分たちが正しいと思っているから、まちがいがエネルギーになるということがない。
 しかし、思想の力というのはそうではなくて、これはまちがっていたと思って、膝をつく。そこから始まるんだ。まちがいの前で素直に膝をつく。それが自分のなかの生命となって、エネルギーになる。たとえば吉本隆明と私を比較してみると、吉本さんの本はすご いエネルギーがあるんですよ。なぜかというと、吉本は戦争中皇国少年だったから、戦争が終わったとき、自分はまちがったと思って膝をついたんだ。膝をついた者のエネルギーが吉本思想のエネルギーなんです。そのエネルギーでいくつもの体系をつくっていく。私 は吉本のようには膝をついていません。私は“一番病”のおやじから非常に早くに離れたから、ファシストにはならずに、戦争が負けたときにも膝をつかなかった。
 したがって、吉本みたいなエネルギーは私にはありません。共産党に対しても、吉本は非常に激しく批判しますね。でも私の場合は、大きく見ていくんです。日本の政党のなかで戦争に反対し続けた政党は共産党ただひとつです。そこは評価する。だけど、私は共産主義者じゃないし、大体マルクスも読んだことがなかった。私は不良少年出身だから、不良少年の気分に一番近いのは大杉栄であり、クロボトキンなんです。ですから、アメリカに行く前に日本語訳のクロボトキンは全部読んでいた。クロボトキンの自伝を読むと、マルクスってのは、権力を壟断(ろうだん)するいかにひどい人間かということがはっきり書いてある。そんな悪いやつなのかと思って、マルクスは全然読まなかった。マルクスをちゃんと読むのは、戦後もいいところで、私はマルクス主義とは全然関係ないんです。アメリカで牢屋に入れられたのもアナーキストとしての容疑ですからね。
 (『言い残しておくこと』119〜123ページ)

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