158 五十嵐透「すとりーとスケッチ 米脱走兵かくまった平和の砦」 朝日新聞・東京むさしの版 1998年12月06日 09/05/09掲載)

 これは「最近文献」とは言えぬかなり以前のものですが、掲載されたのが「東京むさしの版」で、目に触れる機会は大きくなかったので、以下に全文とスケッチとを紹介します。
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 ベトナム戦争のころ、米軍の脱走兵をかくまったマンションは、今も小高い坂の上にあった。文京区の地下鉄の駅から徒歩三分。駐車場にメルセデス、BMWなどが並び、茶色のれんが模様の外観に三十年の月日は感じられない。
 「三十九年前に建った分譲マンションです。四年前に外装工事をしたんです。米軍の脱走兵がいたんですか。古い話は分からないですねえ」。管理人の応対は丁寧だった。

 欧州の中立国に脱走兵を逃がすなどした国内組織「ジャテック」について、関係者は長い間、口を閉ざしてきた。だが、今年五月、中心メンバーだった哲学者鶴見俊輔さんの働きで、その活動の一端が「となりに脱走兵がいた時代」(思想の科学社)という本になった。
 一九六七年十月、ベトナムに向けて横須賀港を出た米空母「イントレビッド」から脱走した米兵四人をかくまったことから活動は本格化した。「ベトナムに平和を!市民連合(べ平連)の関係者と連携しての活動。どの政党とも関係がない若者や学者ら多くの人が参加した。
 福生市議遠藤洋一さん(五〇)は六九年秋、マンシションに来る脱走兵のために食事を世話した。だが、詳しい記憶はない。メモなどを残さない約束だったので、記録もない。
 「本当は違うのに、非合法活動と思い込んでいた。だれかに話してしまう恐れもあったから、なるべく具体的なことを知ろうとしなかった」
 米兵はマンションの部屋に数日滞在した。「脱走したい」と連絡してきた米兵に、本当にその意志があるのかと、組織の上の人が聞いていた。
 「楽しかったね。『人類史上最大の軍隊に立ち向かうんだ』と誘われた時は、胸がふるえた」
 遠藤さんはいま、低空飛行などで市民生活を脅かされないよう、横田基地を中心に在日米軍を監視する。
 「ベトナム戦争での米軍は『正義』とは言いにくかった。いまも内戦はあるが、何が悪かつかみにくい時代だ。マンションは、『正義と悪』型の分かりやすい平和運動の最後の名残でしょうね」
 遠藤さんの記憶では、かくまった部屋は2LDK。三十九室のマンションには八つある。住人たちに「脱走兵」について尋ねた。「聞いたことがない」と口をそろえ、「ベトナム戦争」の言葉にも反応は鈍かった。

 あの時代は何だったのか。歴史の封印は解かれ、宿題は残された。
                                    (五十嵐 透)
 

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