150 武藤一羊インタビュー「花崎皋平さんとの交流を軸に運動史をふりかえる――「共労党」・「ベ平連」・そしてその後」 抄) (季刊 運動〈経験〉28号 2009年02月) 09/03/08搭載)

 

武藤一羊インタビュー「花崎皋平さんとの交流を軸に運動史をふりかえる――「共労党」・「ベ平連」・そしてその後」季刊 運動〈経験〉28号 2009年02月刊 は32ページにわたる長文のもので、その中から137〜140ページのベ平連関係の部分だけを以下に掲げます。 抄)

……前略)
   ベ平連への合流

天野党をめぐっての話をうかがってきましたが、それとべ平連の歴史はどんなふうに重なるんですか。
武藤:ぼくの筋では、べ平連はどちらかというと平和運動の線なんですよ。
天野ああ。党の線とは別なんですね。
武藤:平和運動の流れと共産党では別ではないけれど、総結集とか結党とかいう分野とはまったく違う活動の流れの中にあるわけ。平和運動の線といっても、もちろん原水禁運動がからんでいるから、共産党と無関係じゃないですね。吉川勇一が六四年に平和委員会を追い出された。第一〇回原水爆禁止世界大会の国際会議のむちゃくちゃな録音テープ、恥ずかしくてちょっと表に出せないような、中国派参加者の露骨なソ連への悪罵ぽっかりの録音があって、この議事録は原水協は出さないわけね。吉川はそれを全部起して、翻訳してパンフをつくって公開した。そして批判の声明を出して除名された。声明を英語に翻訳して世界中に送る作業を手伝った。彼は断固平和運動を続けるつもりで、ぼくもそれに加担することにした。そういう筋だから「総結集」などとはまったく無関係だった。その結果ぼくも除名されることになるけれどね。
天野悪罵の英訳をやったわけですか(笑)
武藤:悪罵の方はもともと英語だった。ともかくそれを世界中にばら撒いた。
天野吉川さんはその結果除名されることになるわけですか。
武藤:そうです。それで、吉川は 『世界平和運動情報』というものを個人でやりだす。前野良さんも支持してくれたかな。前野さんはその前から知り合っていて、「総結集」の件も含めてしばしば彼のところに出入りしてました。水道橋のビルの屋上に社会主義政治経済研究所とかいうのがあって。
天野前野さんの事務所ですか。
武藤:そう。そこには中村丈夫さんもよく来ていましたね。中村丈夫さんは 『世界平和運動情報』も肩入れしていて、イタリアの情報をくれたり、翻訳もしてくれたと思います。そういう中で吉川君は情報の発信を始める。いま手元にないけど、この資料は何号か出した。
天野前野良さんと中村丈夫さんと吉川さんの組み合わせでやったということですか。
武藤:いや発行は吉川君一人の仕事。「ご近所」的なつながりがいっぱいあったわけだよ。今でもあるじゃない、そういう関係。非常にポストモダン(笑)。ネットワークなんだ。
 北爆が起こった頃、吉川勇一はそういうことをやって
た。そしてぼく自身もその界隈をうろうろしていた。党つくりの方は活動というより、会議ぽっかりだったから行動とは関係ない。北爆が始ってヾ これに対してなんかやらなくちゃいけないということで、その辺の「ご近所」の力を得て、デモをやった。べ平連の前です。北爆は二月七日に始まったけど、デモはぼくの記憶では三月、その後、四月二二日に「ベトナムの平和を願う市民集会」というのを全電通会館でやった。これは五百から六百人は来て、あの会場がいっぱいになった。これは混成部隊で、実にいろんな人が来た。宮崎滔天の孫娘という人も来た。だけど大体は共産党の各種反対派の個人、今と違ってそういう遊弋しているのがウヨウヨいるわけだよ(笑)。まだ左翼の文化圏というものがあったんですね。
天野その集会は武藤さん以外に誰が呼びかけた形になってるんですか。吉川さんも関係しているんですか。
武藤:吉川君はもちろんいたし、例の世田谷社研の西尾昇さんとか、中村丈夫さん、前野良さんもいたと思います。ただこの行動は一度限りなので、記憶にほとんど残ってない。デモは、普通のデモじゃ面白くないから、二列になってできるだけゆっくり歩く牛歩デモというのをした。クタクタにくたびれた(笑)
天野ちなみに中村丈夫さんといえば、この前亡くなられて追悼文集が出たんです(『紙碑 中村丈夫――共産党から新左翼への70年』彩流社)。それを読むと彼は一二〇%党人なんですね。こんなに長い時間同じ運動の場にいてなんでこの人と会ったことほとんどないんだろうなと思ったんですが、追悼文集からわかるのは、彼は常に党をどうするかという文脈でしか動いてない。だから僕のような人間と会うわけなかったんですね。
武藤:談論風発の面白い人で、ぼくは好きな人でしたけど。
天野そういう人格的なことも伝わってくる追悼文集でし
た。でも、終始党の人ですね。
武藤:話を戻すと、そうこうしているうちに、鶴見俊輔さんなど文化人が集まって新しいベトナム反戦運動をつくるらしいという話が入ってきた。せっかくこっちが始めたのにと思ったけれど、その方が社会的に大きい動きがつくれそうだ、新しい動きに合流して一緒にやりましょうということにしました。反対もあった。ああいう軟弱なところと一緒にはやりたくないと(笑)。しかしとにかく一緒にやりましょうということになって、ぼくが使者に立って鶴見俊輔さんと初めて会いました。鶴見さんのご指名で、飯田橋の警察病院を上がったところにある喫茶店。鶴見俊輔さんに初めて会った。かれはぼくの説明をみんな大きい大学ノートにメモするんだけど、フェルトペンでバカデカい字で書くんですよ。面白い人だと思ったね(笑)
 ともかく合流の話がまとまって、べ平連の四月のデモに行くんですよ。そのときには古山洋三君もいたな。学生時代は東大自治会中央委員会書記という肩書きをもっていて、それから高校の先生をしていた。かれは面白い人で、原水協で大会になると、国際部のボランティアで庶務部長的役割を引き受ける。人事管理がうまい。管理に誇りというか喜びを見出すんだね(笑)。就業規則みたいなものをつくってぴしっとやる。ぼくはそういうのは苦手だから、彼がいなかったらとても国際部事務局の運営などできなかった。そういう人だった。残念なことに八九年にぽっくり亡くなってしまいますが。
 こうして最初のデモを一緒にやったかなりの部分はべ平連に合流した。べ平連はそういう経過で参加した。共労党をつくる筋道とは完全に無関係、それぞれバラバラなんだ。
天野
しかし同時進行だったわけですね。
武藤:同時というよりべ平連が二年近く先にできた。だから人間は重なっているけれど、党と大衆運動という古典的図式で関係していたわけじゃないんだね。そういう図式で考えていた人がいたとすれば、いいだももさんぐらいじゃないかな。
天野そうでしょうね。いいださんは武藤さんたちのデモには参加しているんですか。
武藤:いや、なぜかそこにはいなかった。彼はむしろ鶴見俊輔さんの動きの方に参加していた。そっちに最初から入っていた。そこでは彼は文化人として動いている。鶴見俊輔さんはいいだももさんが大好きらしくて、今でもそうだ。何でも知っている人がすごく好きなんじゃないかな。鶴見さんはいいだももを長いことドイツ人だと思っていたらしいんだ(笑)。なぜかはわからないけど。
天野武藤さんが吉川さんをべ平連に紹介するのも、別に共労党関係という文脈ではないわけですね。
武藤:それも全く関係ない。共労党がどうべ平連に噛むか、介入しようかという発想は全くないというより、なぜか思いつかない。そのころはそんな具合でしたね。栗原幸夫さんもそういうでしょう。ところで栗さんとはどこで出会ったんだろう。
天野共労党で一緒にやってるわけですよね。
武藤:もちろんそうなんだけど、その前はどうだろう。共産党じゃないなあ。彼の方が世代がちょっと上だから。
天野それと神山派だから人脈的にも結びつかないんじゃないですか。
武藤:関係ないねえ。しかし、初めて会ったのはいつどこでかというのは難しいね。あなた(天野)と初めて会ったのも記憶が定かじゃない。
天野僕だってよく覚えてないですよ(笑)
武藤:水島くんも、ぼくなんかのインタビューより天野さんの話を開いた方がいいんじゃないの。
水島:それは後の楽しみにとってありますので(笑)。ところで、鶴見俊輔さんに初めて会った時の話が出ましたが、鶴見さんや思想の科学研究会に対して、武藤さんは当時どういうふうに見てましたか。特に先ほどのアメリカ認識との絡みで言うと、六〇年安保のときには、岩波新書の『一九六〇年五月一九日』で鶴見さんはあえて「反米ではなかった」ことを強調していたと思います。そういうスタンスなんかも含めてどうだったんでしょうか。まさかCIAのスパイだとは思ってなかったでしょうが(笑)
武藤:僕はだいたいそういう発想はしないよ。しかし「思想の科学」はあまり身近じゃなかった。後に「べ平連」では付き合いましたけど。いい人ももちろんいたし、偏見をもっていたわけじゃなくて、原稿も頼まれれば書いています。だけど何というか、鶴見さんの人間にたいする見方が、ぱくろうが馬を眺めるみたいなところがあって、そういう気持ち悪さがあった。
 で、六〇年安保での鶴見さんや竹内好さんの立場の話ですけれど、ぼくは安保闘争を組織する側として参加してなかった。通信社でレポーターの側。立場としてはブント全学連の行動は支持。東京地評なんかに非常に近かったかな。東京地評というのは、ブント(共産主義者同盟)全学連と一体ではないけど、行動的には流れ解散反対派。共産党が国会前で請願すると流れ解散して、帰っていくのにたいして、チャペルセンター前で動かなくなって解散しないとか。だから運動を岸打倒と民主主義に絞り込めという鶴見さんたちの声明にはもちろん反対だった。安保を外せという主張は、運動全体にとっても唐突で、文化人というのはいい気なもんだなという感想かな。……〈後略)

もとの「最近文献」欄に戻る    

ニュース欄先頭へ  placarhome.gif (1375 バイト)