135高見圭司『NO!9条改憲・人権破壊――反戦青年委員会を作った軍国少年』( 明石書店 2007年5月)(2007/07/08記載)
 
本書の中の第1部の「7 反戦委員会の結成」の章の中に、「ベ平連の仲間たち」という節がある。そのなかの一部を以下に転載する。

 ……さて、べ平連結成の頃、私は鶴見俊輔さんが有名な哲学者であることを知らないまま、彼に尋ねたことがある。「なぜ、べ平連は、日韓条約批准阻止をテーマにしないのですか?」と。
 鶴見さんは、私の問いに「ベトナム戦争反対にしぼって運動します」と答えた。

 私は、この鶴見さんの答えに大いに不満な気持ちをもったことを覚えている。
 当時、私は、次のように考えていた。
 反戦青年委員会は、その公式名称「ベトナム戦争に反対し、日韓条約批准を阻止する全国反戦青年委員会」にも表現されているように、日韓条約を問題にしていたのである。「日韓条約批准阻止」を方針とすることは、六〇年安保の「平和と民主主義を守れ」という「受動的」意識の否定と、その飛躍・突破を意図したものであった。
 つまり、今や日本帝国主義は、国家独占資本主義の段階に到達し、アジア太平洋圏への進出の第一歩として韓国へその足がかりを得ようとしている。まさに「加害者」として登場せんとしている、という情勢把握であった。
 私が、鶴見さんの考えに不満を抱いたのは、依然として六〇年安保の思想を引きずった受動性にとらわれていると思ったからである。鶴見さんらべ平連の人々は「日本帝国主義」の把握が弱く、したがって、その「加害者」についての認識が弱いと思ったからである。
 私のべ平連″に対する批判的な思いは、反戦青年委員会に結集した人々に共通していたように思う。
 しかし、べ平連は、ベトナム戦争の熾烈化、アメリカ帝国主義の犯罪的行為、ベトナム人民の英雄的な民族防衛″の闘いが鮮明になるにつれて、大衆的な広がりをもつと同時に、ラジカルな運動を繰り広げていったのだった。
 「せっかく、べ平連で活動家として育ってきたのに、いつの間にか、反戦青年委員会にもっていかれてしまうんだよナ」。これは、べ平連事務局長の吉川勇一さんが、ある時、私に聞こえよがしに、大きな声で話したことである。

 
ラジカルさ、機動隊との戦闘での強さは、確かに、反戦青年委員会は、全共闘とともに強力であった。…… 

   高見圭司『NO!9条改憲・人権破壊――反戦青年委員会を作った軍国少年』明石書店 07年刊 7779ページ より)

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