129 鶴見俊輔・吉岡忍「脱走兵の話――ベトナム戦争といま」 編集グループSURE 2007年4月 )(2007/04/18記載)

 「ニュース」欄 No.464 にあるように、本書は、主要には鶴見俊輔さんと吉岡忍さんの話で構成されている。ベ平連ヤジャテックなどによる脱走兵援助をめぐる話が中心テーマだが、それ以外にも、ベ平連運動やその当時の状況、そして、運動の思想などが縦横に論じられている。ここでは、吉岡さんがベ平連運動に参加した10代の若者の気分について語っている部分をご紹介する。

吉岡 鶴見さんが脱走兵援助をはじめられたのは、四五歳のときですね。あれが、鶴見さんにとって悪の楽しみだったとしたら、僕みたいな一八歳のはな垂れ小僧にとっては何だったか。
 最初に、反戦バッジのことを言いましたね。あれはあの時代、アートとして、新しかったんです。和田誠さんに会って、かっこいい人だなと思って、帰り道に同じミッキーマウスの時計を買ったりした。つまり、その時代に流行っているものってありますよね。小説や映画や、ときには思想にも、そういうものがある。思想がファッションだ、などというと、鶴見さんから、だから日本のインテリはダメになったんだ、と嫌われそうですが(笑)、言葉でこねくりまわすだけでなく、その思想をデモなり、脱走兵援助なり、反戦フォーク集会などで実践してみたら、少しは体に残るんじゃないか、と僕は思っている。問題なのは、しゃべったり書いたりはするけれど、そういう人たちは現実には何も働きかけない、何もしない、ということの方でしょ。
 半分冗談で言いますけど、僕はいつべ平連をやめようかなって、最初から思っていたんです。僕にはすごく簡単なモノサシがあった。それは、デモをしている女の子たちのスカートが、普通に銀座を歩いている女の子のスカートより長くなったらやめよう、というとです。あのころ、ミニスカートが流行っていましたね。デモのなかにいる女の子たちは過激に超ミニで、銀座あたりの歩道を歩いている子は、普通のミニだった。
 つまり表現として、ファッションとして、何かをやるときっていうのは、まず気分的に過激なんですよ。たとえば音楽でも、ビートルズを聴いている学生はたいてい何もしない。僕らはローリングストーンズやドアーズを聴いている、とかね。一〇代のおしまいくらいって、つっぱることがあるてしょ。学問という方向にはなかなか頭が働かなくて、着るものとか、音楽とかで。あのころはジーンズというものが店になかったんです。ほんとに古着だったんですよ。上野のアメ横でモデルガンを買ったついでに、古着のジーパンなんかも買ったりしていた。ベ平連の事務所のなかで、最初にジーパンはいていたのは僕だったと思う。ほかの人たちは石津健介のヴァン風とか、女の子ならタータンチェックだった。それから、僕はかかとの高いブーツをはいていましたね。そのうちにオレンジ色のジーンズをはいたりね(笑)。つまり、何を言いたいかというと、頭のよい人は何もしないっていうけど、普通の人もなかなか何もしないっていうところがあってね、そういうものに対して、反抗するというか、突っ張るというか、それが一〇代の子どもにとっては表現だったんしゃないか。だから、カッコよさって大事なんですよ。
 イラク戦争が始まったとき、僕も個人的にいろんなデモに行きました。アメリカ大使館前にも行ったし、若い人たちが主催した日比谷野外音楽堂の集会にも行きました。だけど、彼らを見ていて、ちょっとみんな仲良しになりすぎていて、突っ張ってひりひりしているようなところがないな、と感じた。デモでも集会でも、手持ちの材料だけてやっている感じがする。すごい啓蒙的なんですよ。あの雰囲気が、僕には嫌なんてすね。反戦デモや集会っていうのも、表現なんですよ。ビデオや音楽やコンピュータとか、いろんな道具がいまありますけど、自分たちが思っていることを言うためには使っていないな、という印象がある。
 ベトナム戦争のときも一九七〇年が境目てすね。それからだいたい半年くらいで、やっぱりスカートが、デモ隊より街かどの女の子たちのほうが短くなった。ああ、やめようかなと思って、実際しばらく休みましたね。……

鶴見俊輔・吉岡忍『脱走兵の話――ベトナム戦争といま77〜79ページより)

もとの「最近文献」欄に戻る    

ニュース欄先頭へ   placarhome.gif (1375 バイト)