127 吉川勇一「栗原幸夫さんの『未来形の過去から』によせて」『季刊 運動〈経験〉』2007年 No.20)(2007/03/06記載) 

 No.124 と同様、以下は、『季刊 運動〈経験〉』2007年 No.20 〈2007年2月の「〈特集〉『無党の運動』をめぐって」のなかに掲載されているものから、ベ平連に触れた部分のみ 一部抜粋。

栗原幸夫さんの『未来形の過去から』によせて (抄)

                   吉川 勇一

……党派間の内ゲバや、市民運動自身の中にさえあった党派主義的(セクト的)対応への、私を含むベ平連メンバーの努力については、私の『市民運動の宿題』(思想の科学社、1991年)でかなり書いたつもりですし、また、天野さんが高く評価されている福富節男さんも、その著書『デモと自由と好奇心と』(第三書館、1991年)の中で、共同行動の原則を作り出すためにベ平連がどんなに苦労したかを書かれているのですが、そこはあまりインタービューアーの方々には理解されておらず、ベ平連への評価の中からも欠落しているなという思いがするのです。
 ひとつには、これは「シングル・イッシュー」問題についての、栗原さん、天野さんお二人の姿勢とも関連があるのだと思います。お二人とも、小田実さんや福富さんや私も参加した「日本はこれでいいのか市民連合」(日市連)や、今も私が参加している「市民の意見
30の会」などを「非シングル・イッシュー」型市民運動と規定されたうえで、「まず連合をつくれば何かが生まれるという発想は逆立ちしてる」(栗原、149ページ)とか「全体を上から統括するもの、それのプロパーになっちゃうから。ある種の政治主義的市民運動型になっちゃう」(天野、同ページ)というような評価を共有されています。そして、それとの関連で、連合とか大きな共闘ということには、お二人とも、大きな関心を払われてこなかった、ということと関係があるのではないか、と私には思えるのです。……

……「党が諸悪の根源」という栗原さんの中心的な主張には、半ば同意、半ば保留という私だったのですが、最近、絓秀実『1968年』(筑摩新書、2006年)というとんでもない本を読んであきれかえり、こんな党論、党理解が今でも存在しているのだとしたら、「諸悪の根源」説も無理ないなという思いが強くなってきています。栗原さんは、共労党とベ平連という「二足のワラジ」を履いており、「ベ平連のなかでは、わたしは単純に一人の市民運動家であった」と言われています(本書183ページ)。私の場合は「二足のワラジ」というよりは、一足に近い思いでした。ベ平連内にあって、共労党のセクト的介入や利用主義をいかに阻止するかが、共労党員である私の 党員としてやるべきことだというふうに思っていたからです。1968年というのは、そういう時代でもあったのです。絓さんという人は、そういうことがまったくわからない人なんですね。……

(『季刊 運動〈経験〉』2007年 No.20)28〜31ページより)

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