126 福富節男「一人でも始める反戦市民運動――ベ平連運動小史」『季刊 運動〈経験〉』2007年 No.20)(2007/03/06記載)

 No.124 と同様、この福富さんの文章は、『季刊 運動〈経験〉』2007年 No.20 〈2007年2月の「〈特集〉『無党の運動』をめぐって」のなかに掲載されているものだが、そこでは、ベ平連の発足のときの状況から、ベ平連のデモ、ベ平連の原理、ベト数懇[ベトナム問題に関する数学者懇談会]のことなどがのべられている。以下に引用した部分は、そのごく一部分、最後の3節である。

一人でも始める反戦市民運動――ベ平連運動小史 (抄)

福富 節男

……栗原、天野、水島の鼎談には六八年の「反戦と変革に関する国際会議」について語られている。このころの鶴見俊輔の言うところは優れており、好感のもてるものだった。若く有能な数学者の鹿野忠良とのやりとりについても、小気味良く鶴見は応えていたが、その結果、議論すべき論点は残ったと思う。そのことに触れる紙面はない。もう一つ触れる紙面がなかったのは、べ平連が中心となった共同行動、とくに六月行動のことである。これらは割愛した。
 こうしてべ平連について、だらだらと書いてきた。いま気がついたのだが、べ平連にはだらだらと書くほうが似合うという性格もある。あまり整理されると、整理のされ難い社会というものが整理されてしまう。最後に追加する「小田」という言葉を多用したが、「小田」というのは、小田実本人である場合と、べ平連とくに事務所の存在位置で言う「神楽坂べ平連」というか、そこに群がるものたちの集合を表す単語である場合と二通りの「小田」がある。この本文には両者が混在している。
 べ平連には圧倒的な発信力があった。ベトナム人民の戦いのうみだすものが根底にあるのは勿論だが、発信力は真底に不特定多数の市民とのコミュニケーションを求めたところにある。それを最後に付け加えたい。

 [福富節男 (ふくとみ・せつお)一九一九年、樺太生まれ。数学者。著書『デモと自由と好奇心と』(第三書館)ほか。]

(『季刊 運動〈経験〉』2007年 No.20)27ページより)

もとの「最近文献」欄に戻る    

ニュース欄先頭へ   placarhome.gif (1375 バイト)