116 孝彦「東京で迎えた8・15(日米市民会議)」( 堀 孝彦著『私注「戦後」倫理ノート』(有)港の人 2006年3月刊)(2006/04/11記載)

 以下に転載するのは、だいぶ以前にミニコミ誌に書かれたもので「最近文献」とは言えないのですが、最近出版された本に収録されたので、ここにご紹介します。

東京で迎えた8・15(日米市民会議) 『麦 MUGI』  1966.8.15

 夏も終わろうとしています。今年〔1966〕の8・15は福島にいませんでしたが、どのようにして過ごされたでしょうか。マス・コミは天皇と首相とによるお祭り●●を報じたのみでしたが、各地ではきっと、いろいろの有形無形の切実な8・15があったことと思います。
 たまたま13日に上京していた私は、「へ平連」(「ベトナムに平和を!」市民文化団体連合)が呼びかけた「日米市民会議」の最終日を傍聴しました。国家レベルでの安保に対して、両国市民レベルでの反安保の条約を、「日米反戦平和市民条約」として各自がとり結びました。
 「私は……を拒否する」(1、2条)、「私は……を自ら行う」(4条)といった調子のこの条約は、当然、各自が自分の良心に従って、自分自身をも含めて無数の他人と取り交わす誓約(covenant)という性格をもつものです。有効期間を1年間にかぎり、以後、検討の上で延長するという形式をとっているのも、この1年間における各自の責任を、それだけ明確にするためのものでしょう。ここで印象的であった二つのことだけをお伝えするにとどめます。
 (1)新マッカーシズムが復活しようとしているアメリカに比べて、日本の状況は何と有利なことだろう、うらやましい――というのが、アメリカ側の出席者の声でした。しかし、果たしこそうなのでしょうか。
 (2)松本市において、一人(一家族)で反戦運動を続けているクリーニング屋さんが、そっと僕たちのところへ寄ってきて、話をしてくれました。同市の大学生にも、政党にも、自分は理解してもらえず、電話一本ででも励ましてくれると嬉しいのだがと語っていました。

〔1966.8.15〕
『麦 MUGI』第24号

  編集発行者・佐藤幸一郎 福島市野田町田中前、市営アパート1の1
  ●● 1963.8.15 政府主催の第1回全国戦没者追悼式、東京の日比谷公会堂で挙行。

◆追記 『丸山眞男座談7』岩波書店 1998 後記(p.313)に、丸山氏が8月11〜14日の「ヴェトナムに平和を! 日米市民会議」に参加、日米両国の市民(小田実、D・デリンジャーら)の手によって調印された「日米反戦平和市民条約」の案文をめぐる討論に参加したと記録されている(『文芸』66年12月号、特集「私は平和のために何をするのか」も参照) 右の文章を書いたのは丸山さんが、国家間の treaty と、個人間の covenant の違いを熱っぽく発言していたのが印象的だったからだが、その発言は前記『文芸』誌の8月13日・午後の「記録」には残っていない。編集後記の、「いま個人が私″を通して『平和』の意味を把えなおすこともひとつの有効な方法ではなかろうか」が、その雰囲気を幾分伝えている。

堀 孝彦著『私注「戦後」倫理ノート』 (有)港の人 2006年3月刊)68〜69ページ) 

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