103 道場親信「占領と平和――〈戦後〉という経験」( 青土社 2005.4.)(2005/04/09搭載)

 著者は1967年生まれだから、『〈民主〉と〈愛国〉』の著者の小熊英二(1962年生まれ)と同じく、ベトナム反戦運動を直接知らない世代。この若い世代によるベ平連論を含む戦後反戦平和運動史の労作である。本書は、45年の敗戦以後、イラク反戦の現在に至るまでの60年間を論じたものだが、その中では、ベ平連にかなりの部分が割かれ、小田・鶴見の二人に対象をしぼった小熊よりももっと視野を広げて分析を深めており、特に鶴見良行の論などを詳述している。以下では、その部分を一部紹介する。

……こうした国家を介しての「加害」−「被害」の構造を直視しながら、鶴見良行は「国民であることを放棄する」という意味での「国民としての断念」を提起し、「個人」の次元からの問題を問い直すことを訴えている。

「国民としての断念」は、安保闘争以来わずかながらも平和運動にたずさわったその経験と知識の中から徐々に形成されていった。したがって、この「断念」は、わたくしひとりの個人的心情というよりも、日本における平和運動の方法論として発想されている。つまりわたくしは、国民断念運動とでもいうべきものが、日本国民においても、また日本を中心として世界にたいしても可能であるし必要なのではないかと考える。(鶴見、一九六七=二〇〇二a‥八三−八四頁)
主権国家という機構にたいして国民という成員がある以上、平和運動ほ当然、国民としての立場を否定するものをふくんでいなければならないだろう。わたくしがことさらに「断念」という個人の精神的態度をあらわす言葉をえらんだのは、反権力運動は、すべて集団あるいは組織とその成員である個人との強い緊張関係によって支えられていなければならないがゆえに、日本の運動をもう一度個人の次元にまでもどさなければならないと考えているからである。ひとりひとりの「断念」から国家権力にたいする「抵抗」や「反逆」が生まれるだろう。日本の平和運動は、動員デモや各集団のヘゲモニー争いとしての闘争とはまったく異質の原理的地点にまで下降する必要があるだろう。そしてこの原理的地点として「国民としての立場を断念する」ということを発想する。
「断念」という言葉をえらんだ第二の理由は、運動が、体制によって与えられた「平和」のうちに拡散してゆかないようにするために、また一見すると「戦争と平和」に関係ないように見える問題で国家権力に収斂されてゆかないようにするために、日常の行動に歯止めをかける必要があるからである。(同‥八四頁)

 これまで見てきた戦後の「反戦平和」運動の限界を超えようという志向がシャープに提起されている。それはたとえば、第一章で見た寺嶋俊穂のいう「市民的不服従」が立憲体制の承認の上に成り立っていたのと異なり、さらに久野収や坂本義和のいう「反体制運動」としての平和運動、という視点をよりいっそうラディカルにおしすすめたものである。ここには、ベトナム戦争という「この戦争」への反対を通じて、「あらゆる戦争に反対」する思想が、コスモポリタニズムでもなく、かといってナショナリズムでもない形で先鋭化されていく様がよくあらわれている。それは「ナショナルなもの」に向き合いつつ、それを克服していく考え方である。その意味で荒瀬豊の問題意識の延長上にあるものともいえる。
 鶴見は早くから、日本という国家がベトナム戦争に加担する、その「全体的な構造」を明らかにする必要を唱えていた。

 私がイデオロギー的対立とは次元を異にする地点で、焦燥と不安を感じるのは、日本という国家、社会がいかなる形でベトナム戦争に関与しているのかという全体的な構造が、誰の限にも不分明であるということだ。ベトナム戦争が、日本にとっていかなる戦争であるかということは、逆に、日本がベトナム 戦争にどういう関係をもっているかという分析をぬきにしては考えられない。私が不安に感じるのは、 政権も、官僚も、資本も、マスコミも、組合も、市民も、つまり、日本の社会を動かすいかなる勢力も、 日本のベトナム戦争にたいする関与という問題について、事実に則したやり方で、大づかみな見通しを たててさえいないということである。われわれは、あまりにも細分化された無数のパイプでベトナム戦 争とつながっているので、誰もが、この無数のパイプの全体の構図を知りえないでいるのである。(鶴見、一九六六=一九九九‥二〇〇頁)

 先に見た日特金襲撃事件に対する鶴見の評価を支えているのが、この問意識であることがわかるだろう。こうした問題意識を先鋭化していったとき、鍵となるのが「わが内なるベトナム」という認識である。……
           (道場親信「占領と平和――〈戦後〉という経験青土社 2005.4.)

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