『社会・労働運動大年表』 法政大学大原社会問題研究所編 労働旬報社 1995年

 以下は95年6月刊の「初版第1刷」による紹介である。すでに第2刷は95年7月に終了しているそうだから、それ以後の第3 刷以降は、以下の点は修正されている可能性がある。

 これは、そのタイトルにあるように社会運動がその焦点の一つとなっている年表で、年表本文と索引および出展一覧の2冊一組、\33,000 という大部、高価な年表だ。

 ベ平連についての項目も岩波の年表に比べればずっと多く、年表とは別の「解説欄」にも項目としてとりあげられている。801ページにある解説欄には全文以下のような記述がある。

ベ平連ベトナムに平和を!市民文化団体連合)[社]4.24 アメリカの北爆に対する批判が高まるなか, 作家の小田実・開高健, 評論家の鶴見俊輔・いいだももら38人の呼びかけによるデモが行われ, その後, 集会を開いて正式に発足. 翌年10月には正式名称から〈文化団体〉を削除した. 月1回の定例デモ, 徹夜ティーチイン, 米有力紙への反戦広告掲載, 脱走米兵の援助など, 従来の平和運動のイメージを打ち破ったユニークで多彩な活動を展開した. 〈組織ではなく運動である〉と自己規定し, 〈行動による連帯〉を主張してしだいに新左翼系学生との親和性が強まった. '74年1月に解散. 機関紙《ベ平連ニュース》. 〔参〕小田実編《ベ平連とは何か》1969.

 岩波年表では脱けている脱走兵援助(67/11/13)も69年6月15日の統一行動も、「新宿西口広場フォーク集会」(69/7/26)もあるし、ほかに66年8月の「ベトナムに平和を!日米市民会議」や大阪での「反戦万博」(69/8/7)などの項目も掲載されている。(『週刊アンポ』の発行はこれにもない)

 だが、第1刷で見るかぎり、誤植と思われるしかし重要な誤りがある。たとえばp.801の「ベ平連初のデモ」では参加者が「24人」(!)となっており、これは明らかに「2千人」の「千」を「4」と見間違えた誤記である。その出典は『日本労働年鑑』とのことだ。出典一覧によれば、河出書房新社からの『資料・「ベ平連」運動』上・中・下も入っているのだから、ここらの数字はそれによる「1,500名」にしてもらいたいものだ。

 これらの点はすでに編者の大原社研に通知してあり、同研究所からは第3刷の際には訂正するとの回答をもらっている。3刷以降では、索引の中のベ平連やベトナム反戦運動に関する部分もかなり改善されるはずだ。(吉川)

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