岡留安則vs松岡利康『〔闘×論〕スキャンダリズムの眞相』 鹿砦社 2001年

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岡留 私の党派は「プロ学同」という弱小党派で、新左翼系八派の中では一番最後に結成された団体で、もともとは関西系の民学同、それから共産党ソ連派という流れから来ていて、その頃は法政が拠点校だった。民学同左派からプロ学同をつくろうということで、当時のブントやいわゆる三派系の影響をかなり受けて、引っ張られた形で出
来た党派なんです。本来は構造改革派だから、穏やかな革命主義者だったんだけど、七〇年安保を目前とする当時の時代状況にやっぱり引きづられる形で、六人年に結成された。親分がいいだももで、当時の幹部メンバーでいえば、作家の笠井潔なんかがいたわけだね。
松岡 当時のペンネームは黒木龍思。
岡留 そう、黒木龍思。作家の亀和田武なんかもプロ学同だった。
松岡 今の管理職ユニオンの設楽清嗣さんなんかもそうでしょう。
岡留 あの人は「共労党」 のほうじゃないの。
松岡 共労党とプロ学同は違うんですか?
岡留 共労党の学生下部組織がプロ学同、そして市民運動がべ平連。いちおう一丁前の前衛党組織なんだ、形としてはね。
松岡 べ平連はそういう戟略のもとに、みなさんやってたわけだ。
岡留 共労党のマヌーバー戦略。リーダークラスには党員が何人か入ってたでしょう。べ平連が共労党だと思われるとまずいから秘密党員(笑)。べ平連というのは大衆カンパニア闘争という一番過激な市民運動ではあったんだけど、武装闘争はしないという組織。小田実とか小中陽太郎、いわゆる文化人を表に立ててたけど、裏的には共労党
戦略みたいなものがあった。
松岡 その他の党派も、べ平連にどんどん入っていったでしょう。
岡留 草刈場みたいなもの。例が悪いかもしれないけど、今の社民党みたいに赤軍がもぐりこんだりしてたわけだ。革マルだって革マル派って形を取らないでサークルや大衆組織としてやることもある。原理研もそうでしょう。統一教会、オウムもそうだものね。組織の必然というか、加入戦術というのは組織の論理としてあるんだよな。……
 (同書 43ページ)

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