595.すぐれた写真集の続々発行。砂川と横須賀で。2011/01/06掲載)  

 本ファイルのNo.582では、大泉市民の会から発行された写真集『市民がベトナム戦争と闘った』(右の写真)のことを紹介しましたが、それにつづき、やはり実にすぐれた写真集などが2点発行されました。一つが、砂川を記録する会の写真集『砂川闘争』(左の写真2点)で、もう一つが第25回横須賀ピースフェスティバル実行委員会の『ピースフェスの作り方』(下の左右の写真)です。この三冊とも、厚さや内容に比しても格安の定価になっており、ぜひ入手してくださいませんか。
 前者は、昨年12月に出た星紀市 編 『写真集 米軍基地を返還させた 砂川闘争』(ヤマス文房発行)で、定価2,500円、連絡先は190-00312 立川市富士見町5-6-15 YAMASアパートメント1F ヤマス文房、電話:042-524-3268、FAX:042-524-3270です。
 本書は、「砂川開拓400年、立川飛行場設置88周年、砂川闘争55周年、伊達判決51周年
、現行日米安保条約50周年」とされ、A4版横型で160ページ。1922年11月に立川駅前で開かれた陸軍飛行第五大隊の歓迎式という88年も前の写真を最初に、以下、多数の砂川闘争の写真からつい最近の現地案内の写真までの、鮮明な大きな写真が続いています。これまでもさまざまな砂川闘争の記録を編纂、発行されていた星紀市さんらをつくられた写真集です。星さんは、発行に際し、次のように述べられています。 

 この度写真集「米軍農地を返還させた・砂川闘争」を出版いたしました。
アメリカ軍立川飛行場の前身は大日本帝国陸軍の飛行場でした。1922年、当時の立川村と砂川村にまたがって作られた小さな飛行場は、やがて拡大強化されて太平洋戦争の時には軍都立川といわれ、1945年敗戦によりアメリカ軍に占領されてからは、朝鮮戦争、ベトナム戦争の出撃拠点となりました。
 朝鮮戦争休戦後1955年、大型機の離着陸のために更に滑走路を延長することがアメリカ軍から要求されたのですが、砂川の農民たちはこれに反対し、強制収用のための土地測量にあらゆる方法で抵抗し裁判所や東京都収用委員会でも論陣を張って一歩も譲りませんでした。
 ついに、1968年、アメリカ軍は拡張をあきらめ、翌69年、国も収用認定を取り消し4年間の闘いに終止符が打たれました。やがてアメリカ軍は横田基地に移り1977年、580万平方メートルの立川基地は日本へ全面返還されたのです。
 砂川を記録する会は「砂川闘争」を後世に伝えるためにこの写真集を出版しました。お読みになり、若い人にお勧め戴けましたら、これに優る幸せはございません。

 一方、横須賀の『ピースフェスの作り方』は、編集は、横須賀ピース・フェスティバル25年誌編集委員会の編集、第25回横須賀ピースフェスティバル実行委員会の発行で、価格は1,000円。連絡先は、横須賀市浦賀4-7 全造船浦賀分会内、電話は046-841-0346です。B5版縦型186ページ、 全ページのカラー印刷。写真は多数ありますが、必ずしも写真集ではなく、文集や図や表も多くあります。
 1986年10月19日のスタート以来、25年もの間続いてきていた横須賀の「平和のまつり」(ピース・フェスティバル)の経過、実績が実に具体的に明らかにされます。たとえば、その中の「ものづくり」とページで、トマホークの実物大模型だの横須賀基地立体模型、あるいは原子力潜水艦断面模型などの手の込んだ説得的な立体的出展には感心させられます。(右の写真) 運動のありようは、こうでなければ……と、教えられる指摘も多数あります。
 本誌の「あとがき」には、以下のようにあります。

 ……「汗と涙と笑いが満載」「たくさんの人が登場する」「横須賀の基地ハンドブックをかねる」が、最初に立てた編集方針。それがどこまで実現したか不安もありますが、横須賀ピース・フェスティバルの記念誌にふさわしい「現場感覚」は、とりあえず表現できたのではないかと思います。……
 25年間のピーフェスのテーマや展示内容を眺めてみて、いやでも思い知らされるのは、この町は本当に基地の町なんだなあということ。あきれるくらい次から次へと、問題が押し寄せてきます。そんな現実の中でも、この町の人々は希望を見失わないで、それぞれの場所で足場を固め、人々と語らい、力を蓄えています。
 ピース・フェスティバルがそうした人々の出会いの場所であり、年に一度の発表の場となっていることを、25周年をかみしめながら、あらためて喜びたいと思います。
 10年史を発行したとき、私たちは、「基地はいらない、どこにも」と、「横須賀アピール」を発表しました。25周年でも思いは同じです。私たちは何度でも言います。「基地はいらない、どこにも」。
 沖縄の基地問題が大きく報道され、ほんの一時だけかも知れませんが、基地問題に関心が集まりました。そうした関心をつなぎ止め、大きな力にするためにも、ピーフェスのような「地域のまつり」は、これまで以上に求められるような気がします。この小暑が少しでもその役に立てば望外の喜び。多くの方々に読んでいただければ幸いです。……

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