582.大泉市民の集い、「清水知久さんを偲んで……写真集出版記念会」盛会。 2010/11/02掲載)  

 10月31日夕刻から、東京・練馬勤労福祉会館大ホールで、「清水知久氏を偲んで 写真集『市民がベトナム戦争と闘った』出版記念会の集会が200人ほどの参加で盛会に開催されました。
 この日、大泉市民の集いの写真記録制作委員会が編集したB5版80ページの見事な写真集『市民がベトナム戦争と闘った』(同委員会発行、(有)梨の木舎発売、1,300円+税)が発売され、全参加者に配られました(右の写真)。
 集会は、以下のような内容で行なわれ、清水知久さんの夫人、清水美樹子さんのご挨拶を含め、多くの人びとが大泉市民の集いの反戦活動について、とりわけ反戦放送をはじめ活発な清水知久さんの活動について様々な発言が出されました。また、集会の最後には、清水さんと和田春樹さんが作詞などされている反戦の歌(つぎの右2段)が全員で斉唱されました(右の 左側の写真)。

 

 

 オープニング
 DVD 「ありし日の清水知久氏」(2009年1月)

         司会  田中美智子・平山茂
 開会のことば           佐伯昌平
         第I部
 病をえてからの様子       佐藤  久
 ご挨拶               清水美樹子
 教え子として            加藤久美子
献杯(上の写真)
          歓談

          第U部
 DVD 「こちら朝霞反戦放送局J上映
                   製作・中原里美
 清水さんと朝霞反戦放送のこと   和田春樹
 撮影者から               巨島 聡
                       中野康雄
                       中原里美
 スピーチ
                白井洋子・下村由一
       レ・ヴァンタム・高橋武智・吉川勇一
 閉会のことば            和田あき子

 

 朝霞の基地をいますぐなくせ
            作詞 清水知久
            曲  雪山賛歌

(1)朝霞の基地を今すぐなくせ
  絶たちゃ基地とは住めない市民
(2)俺たちゃ基地とは住めない市民
  侵略協力ハレンチ至極
(2)侵略協力ハレンチ至極
  大泉の市民はアンチ・ハレンチ
 


      もしも君たちが
         作詩・作曲 和田春樹

 もしも君たちが 平和をねがうなら
 ベトナムの平和を たたかいとろう
 ベトナムに戦争が つづくかぎり
 われわれの平和も ありはしない
 

 この日、参加者に渡された「故 清水知久略歴」という文書は、以下の通りでした。

 

清 水 知 久 略 歴

一九三三年  東京に生まれる
一九五六年  東京大学教養学部アメリカ科卒業
一九五八年  東京大学大学院国際関係論修士課程修了
一九五九年  東京大学教皇学部助手
一九六三年  日本女子大学文学部専任講師(英文学科)
一九六七年  同助教授
一九六八年  「大泉市民の集い」結成に参加 ベトナム戦争反対などの市民連動を始める
一九六九年  日本女子大学教職月組合結成に参加
一九七九年  日本女子大学文学部教授
一九九二年  日本女子大学退職
二〇一〇年二月七日 死去 享年七六

主要著訳書

一、アメリカ史関係 
『アメリカ帝国』、『アメリカ・インディアン』、『アメリカ史研究入門』 (共著)、『近代のアメリカ大陸』、『米国先住民の歴史』、『アメリカの大衆文化』
一、市民運動関係  
『米国軍隊は解体する』 (共著)、『金大中氏たちと共に』(共著)、『ベトナム戦争の時代』、『一九六〇年代――ことばが語る時代の気分――』
一、訳書        
サルズバーガーF競争的共存』、シャノン『大恐慌』 (共訳)、コスター『この大地、わが大地』、コーエン 『労働力の国際的移動』、バリディ/カミングス 
一、 解説       
「アメリカ・インディアンのこと」 ワイルダーF大草原の小さな家』

プロフィール

[好きなもの] アップル・パイ、宛名書き、小人数のデモ行進、時間厳守、練馬区の水、旧NDTのラインダンス、そして単純……
[嫌いなもの] 電話のベル、学会、酒の席、ビラ配り、清涼飲料水、複雑

 ほんとうは振付師、映画の助監督、ボクサーなどになりたかったが、どういう訳か二九歳から女子大学の教師を勤める。
 ベトナム戦争当時「大泉市民の集い」を中心として反戦市民運動に参加、埼玉県朝霞のキャンプ・ドレークの米兵への働きかけなどを行う。ベトナム行きをやめさせようと説得したが果せず、二カ月後に戦死のしらせがきた米兵ジョーのことが忘れられなかった。
 グランド・ファンクの 『インサイド・ルツキングアウト』をロック第一の名作と信じ、ビートルズをこよなく愛していた。
(『ベトナム戦争の時代』より)

 


 清水知久氏の運動誌紙への寄稿

◎「10・20デモについて一一ただすべきこと」、『大泉市民の集いニュース』8号、1968年11月28日
◎「はねかえす思想と方法を」、『大泉市民の集いニュース』9号、1969年1月5日
◎「防衛施設庁訪問記」、『大泉市民の集いニュース』12号、1969年2月20日
◎「ベトナム戦争の現在」、『大泉市民の集いニュース』特別号(1)、1969年4月20日
◎「王子・朝霞・立川・横田」(和田と共同執筆)、『見ることによる攻撃の記録』1989年6月
◎「基地めぐりの記」、『大泉市民の集いニュース』15号、1969年5月7日

 

◎「こちら反戦放送局」、『こちらは朝霞反戦放送局』1969年8月
◎「一月の反戦放送」、『大泉市民の集いニュース』25号、1970年2月7日
◎「朝霞反戦放送局出現?!」、『脱走兵通信』2号、1969年8月18日
◎「亀裂と連帯」、『大泉市民の集いニュース』27号、1970年4月2日
◎「こちらRCMG大泉反戦放送局」、『週刊アンポ』12号、1970年4月20日
◎「スマッシュ『マッシュ』」、『大泉市民の集いニュース』31号、1970年8月6日
 

◎「月並みから月並みへ」、『脱走兵通信』14号、1970年10月15日
◎「とびくる弾丸−8月16日のこと」、『大泉市民の集いニュース』32号、1970年10月19日 
◎「けっばれジム!」、『大泉市民の集いニュース』33号、1970年11月23日
◎「色っぽくいこう」、『大泉市民の集いニュース』35号、1971年3月5日
◎「ベトナム戦争は『終わる』と誰が言うのか?」、『ペ平連ニュース』71号、1971年9月1日

 

◎「書評・『沖縄戦記・鉄の暴風』(沖縄タイムス社)」、『べ平連ニュース』77号、1972年3月1日
◎「ハイエナ審査会設置試案」、『大泉市民の集いニュース』38号、1972年3月20日
◎「『黄金のすべてよりも』」、『大泉市民の集いニュース』40号、1973年3月30日
◎「勝利!!マクリーン氏裁判−勝訴判決のもつ三つの意味」、『べ平連ニュース』91号、1973年4月
◎「チューへの二千万ドル援助を許すな」、『べ平連ニュース』99号、1973年12月1日
◎「『まとめ』から遠く離れて」、『ベトナム戦争とわたしたち――大泉市民の集い1968−1998−2000』2000年9月。
 

 なお、今年の9月22日に、1992年7月に清水知久さんが編集、刊行された『清水知久自編著作目録』に、1993年の分を加えて、2010年9月に、清水美樹子さんの手により再編集された目録が新版で作られました。(右上の橙色のパンフレット)。A−4版28ページです。この全ページをPDFファイルで以下に採録しましたので、全ページをご覧できます。以下をクリックしてください。清水知久自編著作目録  

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