225. ベトナム訪問の報告文章、感想、論文など(その7)02/06/29 掲載)

 本欄の No.223 に続き、その後発表されたものを以下に掲載いたします。 (18)『週刊 読書人』7月5日号に載った吉川勇一さん「再びベトナムを訪ねて」(下)です。

再びベトナムを訪ねて(下) (『週刊読書人』2002年7月5日号)
若 い 世 代 へ の 体 験 の 継 承
ますます大切になる継承の意義

吉 川 勇 一

 二度日の訪問で驚いたことというのは、四月三〇日の解放記念日に、旧サイゴンで何の行事もなかったことだ。そもそも、今度の招待がその日を中心にと設定され、出発直前に送られてきたスケジュールには、祝典行事も入っていた。ところが、ハノイからホーチミン市についてみると、行事は何もないと知らされた。とすれば、今度の急な招待はそもそも何だったのだろう?
 私の推測はこうだ。一つは、前回の訪問で、ベトナム側は日本の反戦市民運動の全体像を初めて知って、驚いたのだと思う。そして、このグループとはもう少し付き合ってみる価値があるかもしれない、そう思ったのではないだろうか。そのための時期としては、行事の有無に関わらず、サイゴン解放記念日への招待ということが絶好の機会だったのだろう。
 もう一つは、小泉首相のベトナム訪問だ。私たちがハノイに着いた翌日、首相の一行もベトナムの首都に到着した。メインストリートにはベトナム国旗と日の丸が並び、歓迎のスローガンが飾られていた。当日の各紙は一面トップで小泉氏らの訪問を報じた。だが、その翌日からは、新聞にもテレビにもべ平連など日本の反戦運動が続々登場し た。前回に贈った一時間近いDVDが二度もテレビで放映され、ほかにも日本反戦グループのベトナム訪問の特集番組が何度も流された。
 前回、副大統領との会談の際、私が言ったことへの回答の一つがこれであるような気さえして来た。思い過ごしかもしれないが、大国の間で苦労をしてきたベトナムの知恵の一つを見るような思いもしたのだった。
 今度の訪問でも、戦争証跡惇物館を紡れた。前回もっていった資料類は、新しい建物の一部屋にすべてきれいに陳列されていた。博物館側の力の入れようははっきり見て取れた。
 博物館側からは、東京などでこの博物館の展示とベトナムの児童が描いた平和の絵の展示会とを開いてもらえないか、という提案も出された。かなり準備を要することなので即答は出来なかったが、なんとか実現したいものだ。
 今度、印象的だったのは、来館者の中にベトナムの若い層が非常に多かったことだ。それも集団で連れてこられるのではなく、恋人同士だの友人仲間といった若者が目立った。
 帰国後、「澤田教一・酒井淑夫写真展『戦場』」を見に行ったが、大盛況でやはり青年層が非常に多かった。彼らが生まれる以前の戦争の説明文を覗き込みながら、迫真の写真をみな食い入るように見つめていた。
 体験の継承――まずは、こうしたものを見ることから始まるのだが、その持つ次の時代への意義をどれほど深く伝えられてゆけるか、ベトナムでも日本でも、それはますます大切になってきていると痛感している。(よしかわ・ゆういち氏=「市民の意見30の会・東京」会員、元べ平連事務局長)
◇写真はべトナムの子どもたち囲まれて、小田実氏(右)吉岡忍氏(中央)と筆者  (c)栗原達男

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