1.3 ナイロビ・サミットに思う
百瀬和元 (ジャーナリスト)
会議は賛辞で終始した。「対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)はすばらしい成功をおさめた」。ナイロビで開かれたオタワ条約検討会議には、144カ国に達した締約国のほとんどが集い、対人地雷の使用や生産の禁止、各国に残る地雷の除去や処理、地雷の犠牲者への支援などをうたいあげた。立派なイベントだった。しかし、その 華やかな会議には見落としてはならない陰の部分があった。
オタワ条約誕生当時から論じられてきたいくつかの課題への対応である。なかでも緊急課題は「対車両・対戦車地雷」として製造された地雷であれば、たとえ人間が近づいたり踏んだりして爆発するものであっても「対人地雷ではなく、禁止対象にはならない」と幅広く理解されている問題だ。世界各地で多くの人たちがこうした地雷の犠牲になっている。
地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)や赤十字国際委員会(ICRC)が指摘してきたこれらの課題は、ナイロビ会議でも改めて問題提起された。だが「準備段階で『共通の認識』が得られなかった」という理由であっさり葬り去られた。条約が直面する課題なのに、いま一度論じることも、また「今後の検討課題」として記録されることもなかったのである。これでは、どこまで本当の意味での条約検討会議といえただろうか。
核兵器や小型武器などをめぐる通例の会議では、必ずといってよいほど各国間に対立がある。核兵器を持つ国とその廃絶をめざす国、武器輸出を図る国と規制しようという国……といった具合だ。そうした会議では対立点をめぐって紛糾する。話し合いが決裂し、会議のめざす行動計画や宣言などを採択できない場合もある。
ところが、オタワ条約は対人地雷廃絶をめざす有志国とNGOのパートナーシップから生まれた。その会議も国家間の政治的な対立や思惑などの影響が比較的少ない。だが一方で「仲良しクラブ」的な空気がどうしても支配的だ。オタワ条約の抱える問題を議論すると、各国の立場の違いが表面に出て紛糾しかねない。そんな懸念がすべての参加国・参加者にあったに違いない。ICBLも含めてのことだ。踏み込んだ議論は回避された。
「コンセンサス(全会一致)方式」を脱却して対人地雷廃絶で結束した国々や人々の集まり。そのオタワ条約会議が、いつの間にか、地雷の問題への取り組みよりも「コンセンサスで結束をうたいあげる」を優先するようになってしまったのではないか。
問いかけは、各国政府ばかりでなく、NGOにも向けられている。パートナーとして条約を支えたい。条約会議を成功させたい。そんな気持ちから、各国政府などと間で保つべき緊張関係が失われていないか。果敢に地雷の惨禍にとりくむ、かつてのような「挑戦の精神」がいまも保たれているのか。オタワ条約やオタワ・プロセスを「歌を忘れたカナリヤ」にしたくはない。