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オタワ条約の成果と今後の課題

長 有紀枝 JCBL運営委員

                                                                 Text & Photo by Yukie Osa 

 

署名式(97年12月)から7年、発効から(99年3月)5年目を迎え、「対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約(地雷禁止条約)」のこれまでの成果を検討し、地雷のない世界にむけて今後5年間の「行動計画」を討議する「地雷禁止条約第1回検討会議」が、11月28日〜12月3日、ケニアの首都ナイロビにて開催された。各国から可能な限りのハイレベルの代表を集め、新たな政治的・財政的公約を引き出そうと「ナイロビ・サミット」と命名されたこの検討会議には、締約国143カ国から109カ国[1]が参加、オブザーバーとして、未加入国26カ国[2]のほか、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)[3]、赤十字国際委員会(ICRC)、国際機関が参加し、活発な意見交換を行った。

「ナイロビ・サミット」前後には、関連した様々な行事、数々のワークショップ、サイドイベントが開催されたが、ここでは、サミットの概要と主要な論点をご報告したい。

条約成立からこれまでの運用状況(1129日)

28日の開会式に続き、実質協議に入った29日は、過去5年間の条約の成果、即ち、条約の運用や遵守状況について、参加者からの報告や意見交換に充てられた。ICBLの団長を務めたスティーブ・グース氏(米、ヒューマンライツ・ウオッチ所属)が、まず始めにナイロビ・サミットにあわせて発表した『ランドマイン・モニターレポート2004年版』のデータをもとに、包括的な報告を行うと、その後にオーストラリア、カナダ、日本、ケニア、メキシコ、スウェーデン、オランダ、チャドといった締約国が続いた。過去5年の運用状況は議長の報告書[4]に詳しいが、ICBLの報告を中心に要約すると以下のとおりである。

会期中に加入を表明したエチオピアを含め144カ国がこの条約を締結、世界のほぼ75%がこの条約に参加した。条約発効時、15カ国あった使用国は4カ国[5]となり、当初年間26千人といわれた被害者は15千〜2万人に減少した。条約発効後03年までに4百万個以上の対人地雷、百万個近い対車両地雷やその他の危険物が除去され、1100平方キロ以上の地雷原が安全な土地に生まれ変わった。条約締結後4年以内の廃棄が義務付けられている貯蔵地雷は、日本を含む65カ国がその廃棄作業を完了し、廃棄された貯蔵地雷の総数は37百万個に及んだ。地雷の生産国は50カ国から15カ国に減少し、条約未加入国も含め、世界規模の地雷の移転が90年代半ば以降ほぼ停止し、対人地雷の禁止は世界的潮流・規範になったといえる。

このように確実な進展が見られる一方で、残された課題も多い。米・中・露といった大国をはじめ42カ国がいまだこの条約に参加していない。埋設地雷の除去完了期限まであと5年となったが本当にあと5年で除去が完了するのか、世界に30万とも40万ともいわれる地雷被害者にどのような支援を継続的に提供していくのか、未締約国を中心に未だ2億個以上といわれる貯蔵地雷の破壊を如何に進めていくのか、といった問題である。

2005-2009行動計画」に関する討議(30-121日)

会議中盤の30日と1日は、こうした問題解決へ向けて、今後5年の指針となる「ナイロビ行動計画」が議論された。残る終盤の2日間は、「ハイレベル・セグメント」として各国の首脳・閣僚レベルのスピーチにあてられるため、ナイロビ・サミットの成果文書「行動計画」を議論するこの両日はまさにサミットの核をなす2日間でもあった。

議論の土台となった「草稿」は、70の行動(Action)から構成され、締約国とともにICBLICRC、国連機関が一体となってほぼ1年をかけて準備してきたものだ。よってほぼ完成に近い形で提示されたが、9月の準備会合(ジュネーブ)の席でも、28日の開会式でも、ペトリッシュ議長は、繰り返し、ナイロビ・サミット期間中にこの原案に手を加え、議論する余地が十分あることを明言し、保証してきた。それ故、会議の前日に開かれたICBL事前会議でも、「草稿」では曖昧な表記で終わっている条約の第1条(締約国の義務)、2条(対人地雷の定義)、3条(保有地雷の例外規定)について、締約国間の『共通の理解(common understanding)』を得るために、ICRCとともに、ICBLメンバーが一丸となって各国にロビー活動を行う戦略が周知徹底された。討議の場でも、ICRCICBLが繰り返しフロアを取り、各国政府にこの重要性を訴えた。

しかしながら、ケニアやメキシコ、オランダという一部のサポートはあったものの、96年から97年にかけて、ICBLとともにオタワ・プロセスの中核をなしたカナダやノルウェーからのサポートは得られず、「行動計画」にはいかなる変更も加えられなかった。従来の軍縮会議の王道である全会一致(コンセンサス)という意思決定方式に訣別し、賛同国だけで地雷廃絶を実現する、というオタワ・プロセスの精神は姿を消し、当のオタワ・プロセスが否定した筈の「締約国のコンセンサス」が日本のみならず、カナダやノルウェーからも再三にわたり強調される皮肉な結果になった。

むろん「行動計画」草稿の作成にあたっては、ICBLの様々な意見は十分に反映されており、3日の閉会式でジョディ・ウィリアムズICBL大使が総括したとおり、この「行動計画」は私たちICBLメンバーにとっても、十分評価できるものである。しかし、それはあくまで、限定付きの評価であり、分野によっては十分とは言いがたいものである。争点となったいくつかのポイントを整理する。

Action26】除去技術の開発に関する項で、新たな技術は「地域に適応し、入手可能かつ持続可能なもの(locally appropriate, affordable, and sustainable)であるべき」という、技術開発に決定的に重要な視点が組み込まれなかった。現在この分野に大きな力を注いでいる日本政府の反対が大きかったと言う指摘もある。

Action5,7,19,46,64】普遍化、地雷除去とその協力、禁止行為の予防等の項目で、「地雷のない世界」の達成に決定的に重要なNSA(非政府主体)に対する働きかけが言及されなかった。

Action54】3条の保有地雷の例外規定について、情報の公開が強化されたものの、条文のいう「絶対に必要な最小限度の数」について、「数万ではなく、数百あるいは数千」という文言の追加は認められず、引き続きその個数の解釈は各国に委ねられる結果となった。

Action55】1〜3条を含む種々の条約の規定について、実際の運用に関する意見交換や経験の共有は明記されたが、「様々な見解の収束(convergence)を図るべく」という一節は加えられなかった。

特にICRCICBLが問題視した、Action5455につき噛み砕いて言えば、条約発効後5年が経過し、今回の検討会議を経てもなお、この条約の下で具体的にいかなる行為が違反とされ(第1条の締約国の義務)、どのような地雷が禁止され(第2条の定義)、また何個までなら開発・訓練目的の地雷の保有が許されるのか(第3条の例外)、一切明らかにされていないことになる。

多くの締約国の主張は「各国とも、言わば曖昧なままの文言を前提に、本条約を締結したのであり、これらについて、明確にすることは新たな条約を作るに等しい。現在のまま解釈に幅をもたせた上で普遍化をこそ優先すべき」というものだ。しかし、その代償として、対人地雷と全く同じ働きをし、無辜の市民や作業中の除去要員の命を奪っている一部の「処理防止ための装置(anti-handling device)」付きの対車両地雷が引き続き、いかなる規制も受けずに野放しにされ、具体的な個数が示されない例外規定は、この条約を骨抜きにしかねない危険をはらみ続けながら放置される結果となった。

「ハイレベル・セグメント」(2日−3日)

 会議終盤の2日間は、各国の首脳[6]や閣僚らによるスピーチが行われ、今後5年に向けての各国の新たな取り組みや意気込みが披露された。ここでは日本政府とオブザーバーながら話題を呼んだ中国政府のスピーチを紹介する。

       日本:広島出身の河井外務大臣政務官が、原爆を例に引きながら対人地雷の非人道性を再確認し、条約の普遍化の重要性を訴えるとともに、今後5年間もアジア、中東、アフリカに力点を置きつつ以下の3原則に従って、これまでと同規模の地雷対策支援を行う方針を明らかにした。3つの原則とは、@地雷対策が紛争後の「平和構築」の方途であること、A一人ひとりの地雷被害者を保護し、能力を開発するという「人間の安全保障」の視点からの犠牲者支援(医療・リハビリ・社会復帰)を行うこと、B産官学民の緊密な協力の下で除去の先端技術の研究開発を促進すること、である。

       中国:北京から外務省軍備管理軍縮局の?(りゅう)結一局長が全期間参加、最終日にはオブザーバーとしてスピーチを行った。従来同様、禁止条約の趣旨に賛同しつつも加入の意思表明はなかったが[7]、協力の精神を示すためとして、「条約7条の透明性レポート[8]の自主的提出を前向きに検討する(positively considering)」旨を表明した。米・ロ両国が不参加の今会議にあって、中国政府のこうした前向きな態度は、参加者に大きな驚きをもって迎えられ高い評価を得た。

おわりに

地雷禁止条約の「普遍化」と「強化」、この2つの課題は、ここ1年特に関係者の間で大きな議論となったテーマである。今回の検討会議で、締約国は条約の強化より、普遍化を重視する立場を打ち出したと言えるだろう。他方、ICBLにとってこれは二者択一の課題ではない。どちらも重視すべき課題であると同時に、そもそも条約は、地雷のない世界を達成し、犠牲者が十分な支援を受けられる日を実現するための、重要な手段の一つに過ぎないことを私たちは今一度思い起こすときだと思う。とはいえ、「普遍化」と「強化」を議論した際のICBLのスタンスについては、注意深い評価が必要となろう。というのは、条約の強化を求めて、ICBLがその持ち味を生かした徹底的なロビー活動や政府対策を行ったとは言いがたいからだ。条約をこの世に生み出し、5歳まで育て上げたのは紛れもなく賛同国政府と市民社会、即ちICBLやICRCとのパートナーシップである。その「子ども」である条約は成長を続け、その成長を支えるICBLの『ランドマイン・モニターレポート』も、パートナーである賛同国政府の助成金に支えられ、地雷問題のバイブルとの評価を受けつつ、版を重ねてきた。しかし、そうした親密な関係にある協力国、あるいはドナー国に対し、ICBLはもはや表立った批判や議論が許されない環境に自らを追いこんでいるのではないだろうか。

検討会議終了後の4日には、ICBLが今後5年間の戦略について話し合う「キャンペーン会議」が開催され、ICBLメンバーの新たなコミットメントが確認された。同時に今後は、従の中央集約的体制に代わり、各地域、各国が自らの戦略・自らの優先順位に従って活動するという、分権的な運営体制・方針も打ち出された。日本政府とどのように協力し、どの部分を監視していくのか、それは私たちJCBLが答えを出すべき部分である。地雷分野の最大援助国の一つである日本のNGOネットワークとして、日本の拠出金がどのような形で地雷原に届いたか、あるいは届かなかったかを実際に検証しつつ、私たちならではの役割を今一度見直し、果たしていきたい。


[1] 検討会議開催時の締約国は143カ国。

[2] 内訳は、会期中に批准書を寄託したエチオピア(発効までに6カ月を有するためオブザーバー)、署名国5カ国(ブルネイ、インドネシア、ポーランド、ウクライナ、バヌアツ)、未加入国20カ国(バーレーン、ブータン、中国、キューバ、エジプト、フィンランド、インド、イラク、イスラエル、カザフスタン、クウェート、キルギスタン、レバノン、リビヤ、モンゴル、モロッコ、サウジアラビア、シンガポール、ソマリア、スリランカ)である。「ナイロビ・サミット」直前の1126日、アメリカは不参加を表明したが、ワシントンより国務省の担当者がナイロビの会議場に駆けつけ、プレスセンターで資料を配布していた。

[3] ICBLからは、83カ国より地雷被害者50名を含む350名が参加、代表団中最大の参加者であった。

[4] Review of the Operation and Status of the Convention: 1999-2004

 http://www.reviewconference.org/pdf/RC_Final_Report_unofficial_version.pdf の10頁

[5] グルジア、ミャンマー、ネパール、ロシア

[6] 元首レベルでは、ケニアとマラウイから大統領が、カナダから総督(Governor General)が参加した。

[7] 今回のスピーチで、禁止条約への加入の意志は一切表明していないが、条約に入らないという不加入の意志表示を明確に行わなかったのは、中国としては初めてのことである。

[8] 条約第7条(透明性についての措置)で提出が義務付けられている報告書で、国内の実施措置や、貯蔵地雷の総数並びに形式についての詳細な情報を含むもの。