「労働情報」 号外 1977年5月26日 第3種郵便認可 毎月2回 1.15 日発行

アジア太平洋の労働者をつなぐ


Links No.39

2004年9月

アジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)日本委員会 機関誌(季刊) 定価300 円

発行所 東京都台東区上野1-1-12 新広小路ビル 協同センター労働情報 気付

TEL 03-3837-2542  FAX 03-3837-2544 Eメールapwsljp@jca.apc.org URL http://www.jca.apc.org/apwsljp/

 

 

 


アメリカから二つの食品関連労組が来日

深まる国際連帯の経験

山崎 精一(APWSL日本委員会)

 


テキスト ボックス:  ▲7月22日 米国食肉加工労働者を囲む集い


今年になってアメリカから二つの争議組合が支援と連帯を求めて来日した。共に食品関連の組合で、一つはニューヨークの老舗のレストラン「グランドセントラル・オイスターバー」の労働者、もう一つはワシントン州シアトル近郊のパスコにあるアメリカ最大の食肉加工会社タイソン・フーズ社のパスコ工場の労働者たちであった。組合の所属は前者はホテル・レストラン従業員組合(HERE)ローカル100,後者はチームスターズ労組ローカル556であった。この二つの来日争議組合の受け入れの経過を振り返り、その特徴を整理してみたい。

 

オイスターバー争議報告

 タイソン・フーズ社の争議については別掲の飯田勝泰さんの報告などをみてもらいたい。先に来日したオイスターバー争議について簡単に紹介する。

今年の3月に品川駅に東海道新幹線の新駅が誕生し、これに合わせて港南口の再開発が行われ、その最後に駅ビル・アトレ品川が完成した。ここにニューヨークのグランドセントラル駅で創業90年の老舗レストラン「オイスターバー」がフランチャイズで出店することとなった。ところが、本店では従業員100名中72人を組織するHEREローカル100が協約交渉を巡って争議となり、昨年の12月5日からストライキに突入していた。争点は新規採用スタッフの賃金切り下げ、ウェイター給与の切下げ、新規スタッフの健康保険の自己負担、年金制度の改悪などである。組合は連日ピケを張っているが、非組やスト代替要員を雇って店は営業を続けていた。

オイスターバーは日本人観光客にも有名であり、利用者の4割は日本人である。そこで会社はWDIという日本の会社とフランチャイズを結び、海外で初めての店を33日に品川駅に出すことにしたのである。この開店にオーナーと実質的な経営者である総支配人が来日するため、組合も日本店のボイコットを訴えるために当該2名を含む4名の訪日団を送りこんできた。 

HEREはレストランを組織しているために国際産別としては国際食品労連(IUF)にも加盟しているため、訪日団受け入れの要請はIUFを通じてIUF日本加盟労組連絡協議会(IUF−JCC)に来ており、さらにそこから産別のサービス連合などにも伝わっていた。一方、95年のホテル・ニューオータニの来日の経過から国際労働研究センターに、さらに最近の世界社会フォーラムでの出会いからフィリピントヨタ労組を支援する会など多くの日本の労組・団体に働きかけがあった。その連絡が来日の10日足らず前で、しかも手当たり次第に連絡している状況で受け入れ態勢を作るのは非常に困難であった。

国際労働研究センターを代表して高須裕彦さんが受け入れの調整に当たったが、品川店のボイコットの是非や宣伝行動を巡ってIUF−JCCなどと当該労組の意向のずれが埋まらないまま来日を迎えてしまった。

 

 応援する会の結成

来日後の32日、開店を前にして、全統一労組事務所で来日行動を支援する労組・団体の代表が集まり、当該からの話をよく聞き、日本側の受け入れ態勢の問題点を整理し、相互に理解しあった。その上で、翌日の品川支店の開店に向けての宣伝行動を取り組むことを決定し、「HEREローカル100ニューヨークオイスターバーの労働者を応援する会」を結成した。その場でビラを作り、動員をかけ、マスコミに連絡し、レイバーネットにページを作り掲載するなど、見事な協力と熟練にアメリカ側はびっくりすると同時に、ようやく自分たちと同じ活動家たちと出会えたと喜んでいた。

翌日5時に全統一、神奈川シティユニオン、全国一般南部、闘う国労闘争団、レイバーネット、などの60名が結集し、品川駅港南口で当該とともに宣伝行動を展開した。その後、日本側のWDI社への要請、オイスターバー総支配人への追及行動も取り組まれた。この日の行動は翌日の朝日新聞でも大きく取り上げられ、マスコミ対策としても成功であった。この日の行動を巡ってもIUF−JCCとのギクシャクがあったが、最終的には日本の第一の受け入れ窓口はIUF−JCCとすることを再確認して収まった。

HEREローカル1006日間の来日を終え、3月6日に帰国した。その後、326日には争議が解決し、全員が職場復帰したというニュースが届いた。解決の細かい内容は公表されていないが、来日行動が早期解決の力となったことは間違いない。

(ここまで高須裕彦さんが国際労働研究センターに提出した経過報告に基づき再構成しました。)

 二つの争議支援経験の比較

今年来日したこの二つの米国争議組合は両方とも食品関係の労働組合ということが共通していた。しかし、先に来日したオイスターバーの方は、HERE本部の承認を得た来日であり、国際産別のIUFを通じて日本の産別にも連絡が入っていた。一方のタイソン・フーズの場合はチームスターズ労組本部は守旧派が指導権を持っており、改革派のローカル556の来日を承認していない。したがってIUFを通じての連絡もなかった。

ところが、オイスターバーの場合も以前来日したホテルニューオータニやブリジストン・ファイアストンの労働者たちと同様に争議行為の延長で来日したのであり、街頭宣伝行動や会社追及行動を求めていた。この当該の要求を受け入れて共に行動しようとする「応援する会」との共闘が来日してからできあがった。「応援する会」を担っているのはブリジストン・ファイアストン支援、ホテル・ニューオータニ支援を担ってきたのと基本的には同じ組合・団体であり、この間の受け入れの経験が充分に生かされていた。これに対してHEREの側は同じ組合のホテル・ニューオータニでの経験がほとんど伝わっていないために、当初多くの困難が生じた。

テキスト ボックス: 【目次】
アメリカから二つの食品関連労組が来日    1
タイソン・フーズ社にみる職場と食品の安全  2
チームスター労組ローカル556の決議     5
フード連合からタイソン・フーズへの手紙   5
韓国民衆運動をかいま見た4日間       6
APWSL日本委員会総会報告          9
APWSL in ムンバイ会議報告         10
フィリピントヨタ労組を支援する会パンフ  15 
スウェーデンからHej(こんにちは)    16
香港資本の電池工場でカドミウム中毒    19

一方のチームスターズ労組はこれまでに来日行動の経験はないが、オイスターバーの勝利解決の情報などが様々な経路から伝わっていた。また日本に滞在中の組合民主主義協会のマット・ノイズさんが日本側受け入れの中心的役割を果たしたことが受け入れがうまくいった大きな要因であった。既成の労働組合の受け入れ態勢はなかったものの、来日前に不十分ながらも受入れのための労働組合や労働団体の集まりが持たれ、消費者団体との連絡も図られた。

来日したのは当該だけの2名であった。メキシコからの移住労働者で、スペイン語で話す現場労働者たちであった。これまでのアメリカからの訪日団には当該労働者が含まれていたが、必ず専従のオルグや調査担当が同行し、この人たちが全てを仕切っていた。しかし、今回は現場労働者のみの来日であり、草の根の職場労働者との交流が初めてできたという印象であった。宿泊もホテルではなくホームステイであったことも象徴的であった。慌しい日程であったため、チームスター本部守旧派との闘いの経過など組合改革のくわしい経過を聞くことができなかったのが残念であった。

改革派の組合であったが、日本の主流派の組合との共闘を拒んでいたわけではない。日本の食品関連組合であるフード連合を訪れ協力を要請した。その結果、フード連合は直ちに別掲の要請文をタイソン社に送った。国際産別の働きかけがない中で、当該労働者からの要請を受けて、このような国際連帯の行動を取ったことは高く評価される。

米国産牛肉の輸入再開問題で日米政府間協議が行われた時期を捉えての来日の判断が良く、マスコミからの注目も高く、効果的な宣伝が行えた。また食品の安全性を訴えたため、消費者団体、農民団体などからも協力が得られた。何よりも労働の安全と食の安全の両方をスローガンに掲げることにより、力強い呼びかけとなり、広い共感を得ることができた。

 

この二つの米国の争議組合の受け入れを通じて、このグローバル化の時代に争議が国境を越えるのが日常的になっていること、それに応じて相互の連帯の経験も積み重ねられ豊かになってきていることが実感できた。

今回の受け入れ態勢の構築にレイバーネット日本が大きく貢献したことを最後に指摘しておきたい。両方とも専用のページが作成され、支援行動を広げるのに大きな役割を果たした。支援行動の詳細については次のページをぜひ見ていただきたい。特にオイスターバーの方は臨場感あふれる動画が掲載されている。 

http://www.labornetjp.org/Campaign/2004/OysterBar

http://www.labornetjp.org/worldnews/namerica/usnews/tslocal556


 

タイソン・フーズ社にみる職場と食品の安全

飯田勝泰(東京労働安全衛生センター)

 


 この7月、米国産牛肉の輸入再開をめぐる日米政府協議が山場を迎えるなか、世界最大の食肉加工会社であるタイソン・フーズ社の労働組合の代表者が日本にやってきた。

 7月19日、来日したのは、チームスターズ・ローカル556のメルキアデス・ペレイラ委員長とラファエル・アギラー組合員の二名。たった5日間の日本滞在中、農林水産省での記者会見、消費者団体や労働組合との交流、芝浦と場の見学、街頭キャンペーン行動、米国食肉加工労働者を囲む集いなど、超過密なスケジュールをこなした。

 来日行動への支援を呼びかけた一人として、チームスターズ・ローカル556のSafe Jobs, Safe food!キャンペーン行動の取り組みを報告したい。

 

   危険で不衛生なパスコ工場

 まず、チームスターズ・ローカル556の闘いの背景事情について、組合のファクト・シートと呼ばれる資料をもとに説明する。

 タイソン社は世界最大の牛肉、豚肉、鶏肉の生産会社である。昨年の売り上げは245億ドル。ワシントン州のマブトンで米国初のBSE感染牛が発見されるまで、車で1時間ほどの場所にあるパスコの工場は日本向けの牛肉を生産する基幹工場だった。ここで生産される牛肉の15〜20%が日本に輸出されていた。

 組合の調査によると、パスコ工場は全国でも最も非衛生的な食肉加工工場としてランクされているという。工場内では労働安全衛生規則が守られず、2002年には500人以上の労働者が労働災害にあい、重傷災害の被災率が同等規模の工場の全国平均の3倍近くにのぼっている。また、人道的なと畜解体の規則に違反しており、牛がまだ生きている間にと畜解体工程に送られている。タイソン社はこうした事実を否定し、BSEの全頭検査も必要ないとして反対している。

 タイソン社は全米に100以上の工場を持つが、労働組合がある工場はたった9つにすぎない。パスコ工場には、チームスターズ・ローカル556があり、1500名の労働者を組織している。組合員の90%以上がメキシコ系の移民労働者であり、ベトナム、ラオス等のアジア系移民も働いている。

 ところで、ローカル556では、6年前にチームスターズの改革派が執行部を握った。それまで本部の役員は会社と交渉するだけで工場に来たことはなかった。あまりに劣悪な工場の職場環境、過酷な労働条件に怒った現場の組合員が自主的な山猫ストに立ち上がったのをきっかけに、チームスターズの改革派がローカルの執行部を握った。

 米国で初めてBSE感染牛が発見されてから、米国産牛肉は日本に輸出できなくなった。その影響で、パスコ工場の組合員は労働時間と賃金が減らされた。輸出再開のためには、日本の消費者がタイソン社の牛肉の安全性に信頼をもつことが必要不可欠である。ローカル556は、様々な消費者団体と連合して、タイソン社が職場を安全にし、安全な牛肉を提供するよう求めるキャンペーン「Safe Jobs, Safe food!」キャンペーン運動を始めた。6月14日、組合は全ての食肉加工業者がBSE検査を行うよう農務省に要求するとともに、タイソン社がBSE全頭検査への反対をやめ、消費者の期待に添う安全な食品を確保するよう求めるよう決議をあげた。これに対し、タイソン社は組合否認の攻撃を強めている。今年5月から始まった労働協約改定交渉では、組合費のチェックオフを破棄し、組合員に組合脱退工作を行っている。 

 以上のようなバックグラウンドのなか、ローカル556はペレイラとアギラー両氏を日本に送ることを決定したのである。

   成果の多かった来日行動

 来日したペレイラ委員長とアギラー組合員の目的は、タイソン社の工場でと畜解体に従事する労働者の立場から、現場の実態を日本の政府関係者、消費者、労働者に伝えることにあった。7月20日午後2時、農林水産省の記者クラブで二人は記者会見に臨んだ。彼らの動きを事前に察知したタイソン社は、姑息にも記者クラブに「タイソンフーズはBSE検査に関するチームスターズ556の見解に合意しません」という声明文を配布した。 

ペレイラとアギラーは準備した声明を読み上げ、農林水産大臣宛の書簡を公表した。ペレイラは「私たちは、科学者でもありませんし、BSEの専門家でもありません。しかし、私たちは、タイソン社については専門家です。私たちの組合員は、タイソン社が日本に牛肉を輸出したいと考えているその工場の中で、毎日、働いているのです」と述べた。アギラーはパスコ工場での食品の安全、労働者の安全、人道的なと畜解体ついて具体的な証言を行った。農林水産大臣宛の書簡では、工場の実態を詳細に記述し、労働者との直接の対話を呼びかけ、日本政府代表をパスコ工場に招待すると提案した。二人にとって記者会見はたいへんなプレッシャーだったと思うが、初日の大仕事を見事やり遂げた。夕刻、早稲田にある日本消費者連盟の事務局を訪問し、水原博子事務局長と懇談した。水原さんはローカル556のキャンペーンに理解をしめし、BSEの検査と米国産牛肉の輸入再開に関する日消連の立場も聞くことができた。

 7月21日は、早朝から品川区の芝浦と場と食肉資料館を見学し、全芝浦と場労組との交流を持った。芝浦と場の職場環境やと畜解体作業などを見て、彼らは驚きを隠さなかった。ラインのスピードが桁違いに緩やかだ。パスコでは1時間300頭以上の処理頭数を芝浦では1日でやっている。作業者の判断でラインを止めることができ、チームによる組作業が行われている。日米のあまりの格差に、アギラーは「芝浦と場は天国のようだった」と語っていた。

 7月22日は、正午に有楽町で街頭キャンペーン行動を行った。急な行動だったが、全統一労組、神奈川シティユニオン、全国一般東京南部、中小労組政策ネットワーク、下町ユニオン、東京争議団などの仲間が駆けつけ、ビラをまきと牛の着ぐるみでのパフォーマンスを行った。その夜、渋谷勤労福祉会館での「Safe Jobs, Safe food!−米国食肉加工労働者を囲む集い」には50名を超す人びとが参加し、二人の発言を交えて活発な議論を行った。

 

    「反省することなし」

 7月23日にはチームスターズ労組ローカル556来日行動反省会・お別れ会が開催された。当該のお二人と、日本の受け入れ側の10人が参加した。わずか5日間の日本滞在だったが、盛りだくさんだった日程・行動を振り返り、日米双方からの反省点を出し合おうという企画であった。 

ところが当該からは何も反省することなどない、満点以上の成果だった、というお話であった。チームスターズ本部からの支援がないので、ナショナルセンターや国際産別を通じての国際的なつながりがなく、組合費のチェックオフが止められお金もなく、不安ながらもとにかく来日してみた。来てみると小さいながらも支援の組織ができており、同じ仕事をしている日本の仲間たちとも出会え、消費者団体とも話し合い、マスコミにも取り上げられた。期待していた以上の成果であり、日本側の受け入れに感謝したいということであった。

日本側には消費者団体との連絡が当初うまく行かなかったり、いろいろと細かい反省点があった。しかし、今回来日したのが職場にいる草の根の改革派の活動家だということもあり、直ぐに通じ合うものがあり、国際交流連帯にありがちなもどかしさを感じなかった。この反省会に出席した日本側10人の内、5人が在日外国人であったことも今回の受け入れ態勢の特徴を示していた。スペイン語と英語の通訳もうまくいったし、何よりも日本の受け入れ側の中心として米国側とやりとりしたのが、滞日中の米国の組合運動活動家であったことが成功の要因だったことは間違いない。以前のホテル・ニューオータニやブリジストン・ファイアストンの来日の時から比べると国際連帯の深まりを感じた反省会・お別れ会であった。

帰国後しばらくしてから、ローカル556から受け入れに協力した各団体・個人に丁寧な感謝のメールが送られてきた。その後の情勢としては、タイソン社は他の工場の労働者を組織している全米食品商業労働者組合(UFCW)との協約交渉を終え、協約交渉の再開をローカル556に申し入れしてきている。9月早々にも交渉が再開され、どのような再提案をしてくるかが注目されている。ローカル556は会社側の交渉と平行して地域での共闘の広がりを追求している。930日にはパスコ工場での安全衛生問題についての公開集会をパスコで開く予定である。マサチューセッツ大学のブレナー教授が行ったパスコ工場の安全衛生状態の調査がこの集会で公にされることになっている。

国際連帯の広がりの方では、日本に次ぐ輸出先である韓国の労働組合・消費者団体とのつながりと連帯を求めている。日本では917日の東京総行動でタイソン・フーズ日本支社に要請行動を行う予定である。タイソン社に対する要請ファックスの送付も各団体、各個人からお願いしたい。(用紙はレイバーネット日本のホームページに掲載されている。)

送付先 03-3683-9765

東京労働安全衛生センター 飯田勝泰

タイソン社に対するSafe Jobs, Safe food!キャンペーン行動はアメリカのワシントン州から日本へ、そして韓国へと広がろうとしている。タイソン社は世界一の食肉加工会社であり、しかも悪質な会社なので、このキャンペーンはすぐには解決しそうにない。今後とも当該組合の闘いを見守りながら、情報交換を続け、日本側として何ができるか考えていきたい。

(この記事は労働情報653.4号に発表された飯田さんの報告に山崎が後半部分を加筆したものです。転載を了承してくださった労働情報に感謝します。)

 

BSE検査と日本の消費者の食品安全に関するチームスター労組ローカル556の決議

▽ 我々は精肉加工労働者としてまた消費者として健康的で安全な製品の生産に努めてきた。

▽ 日本は米国産牛肉の最大の輸入国である。

▽ 牛海綿状脳症(BSE)に感染した牛がワシントン州で発見されてから日本は米国産牛肉の輸入を禁止した。

▽ タイソン食品会社パスコ工場の製品の重要な顧客である日本の消費者は完全な全頭検査が食品の安全上不可欠であると考えている。

     日本の消費者は米国産牛肉のBSE全頭検査を要求している。

     日本では法律により牛肉のBSE全頭検査が実施されている。

     米国の科学者と消費者団体は、「BSEの危険性を完全に取り除くためには全頭検査が必要である。」と言明している。

     消費者連盟の世論調査によると米国の消費者の88パーセントは農務省がBSE全頭検査を実施すべきであるということに完全にあるいは、一部同意している。

     米国産牛肉が日本市場から締め出されたことによりローカル556組合員の労働時間は減少し雇用保障は脅かされ、家族にも苦痛をもたらしている。

     我々は日本の働く仲間と消費者を尊重しており、その期待する水準に応える牛肉を生産することに献身している。

以上の理由により、安全な食品と雇用保障を求める運動の一環としてチームスター労組ローカル556は全ての精肉加工会社がBSE全頭検査を行うよう農務省に要求する。 さらに、チームスター労組ローカル556はタイソン食品会社がBSE全頭検査への反対を止め、米国や全世界の憂慮する消費者と協力して消費者の期待に添う安全な食品を確保することを要求する。

20046月   チームスター労組ローカル556

 

フード連合からタイソン・フーズへの手紙

親愛なる ジョン・タイソン様

私たちフード連合は、日本の連合に加盟し、食品労働者約10万人を組織する労働組合です。もちろん、タイソン食品との取引関係を持つ多くの企業の従業員も主要なメンバーとなっています。また、私たちは、かつての日本の食品企業の不祥事を踏まえて、職場から「食の安全・安心」を確保すべく、経営者の皆さんの理解も得て、「食の安全・安心」キャンペーンをおこなっており、政府の農水省や食品安全委員とも密接なコンタクトを持っています。

さて、このたび貴社のパスコ工場の従業員も加入するTeamsters Local 556とコンタクトを取る中で、貴社のパスコ工場の労働環境の実態が必ずしも良好ではないことを知りました。賢明なる貴社経営チームにおかれては、当然ご理解いただいていることと思いますが、「食の安全・安心」は、十分に安全・衛生に配慮された職場環境はもとより、正しく人間的に働くことのできる労働条件・労働環境、従業員による問題点の指摘を貴重なものとする経営の姿勢などがあってようやく実現されるものです。その点において、Teamsters Local 556の貴社への要求である「労働協約に、食品の安全への配慮、労働の安全への配慮、労使協議の充実を入れる」という内容は至極当然のことであり、私たちフード連合の取り組みとも一致するものです。

また、日本の消費者は度重なる企業不祥事によって、こうした企業姿勢なくして安心して貴社の製品を口にできないことを学んでおり、現状においては、貴社やアメリカの食肉協会が日本のマスメディアに広告すればするほど、むしろ日本の消費者の不信は高まるばかりとなっています。もし、貴社が日本において市場を確保し続ける意思があるならば、Teamsters Local 556と十分協議をおこない、きちんとしたCSRを確立されることが重要です。そうした貴社の寛大かつ賢明な姿勢が、貴社の製品に対する日本の消費者の信頼を確保することにつながり、日本における貴社の利益を最大化することにつながります。

早期にアメリカ、そして貴社からの食肉の輸入が再開されることを願う消費者でもある私たちとしては、さらにTeamsters Local 556のメンバーと同じように自らの働く企業の健全な発展を願う私たちとしては、貴社が、Teamsters Local 556を敵対するものとせず、労使協議をおこない、彼らの職場からの声に耳を傾けて食品と職場の安全を確保し、CSRの充実に意をくだいて頂けるようここに要請するものです。

日本食品関連産業労働組合総連合会(フード連合)

長 渡邉 和夫



韓国民衆運動をかいま見た4日間

ソウル6月行動に参加して     寺本 勉(大阪教育合同労働組合)

 


6月12日から15日までの4日間、私はAPWSL関西、アタックの仲間とともに韓国・ソウルを訪れた。韓国の民主運動団体が呼びかけた「ソウル6月行動」に参加するためである。私にとっては、一昨年6月に「ワールドカップ対抗キャンペーン」として開かれた児童労働をめぐるシンポジウムに参加して以来、2年ぶりのソウルであった。今回は、日本からも労働組合や市民運動団体、NGOなどから100名以上が大挙して訪韓するということだったので、かなり気合を入れて臨んだ4日間でもあった。

大阪からソウルまでは約2時間、1月にインドのムンバイまで20時間かけて行ったことを思えば、あっという間という感じだ。APWSL関西のIさん、Hさん、アタックのMさん、Yさんとともにひとまずホテルで休息した後、12日夜の集会場である光化門近くに急いだ。世宗(セジョン)文化会館の正面階段付近で、APWSL韓国のチャン・チャンウォンさんと合流し、集会場まで案内してもらった。この4日間、チャン・チャンウォンさんにはさまざまな形で大変お世話になった。この紙面を借りて、お礼を申し上げたい。

 

■歌と踊りが目立った集会

集会はというと、日本では考えられないことだが、片側2、3車線ある大通りの歩道寄り二車線ほどを「占拠」して車を並べ、大きなトレーラーの上を壇上にしたものだった。参加者は車道や隣接する歩道上に座り込んでいる。ワゴン車の側面をスクリーンにして、演説の様子などをテレビカメラで撮影した映像がリアルタイムで映し出されていたりもする。音響も、プロ並みの豪華な機材を使っている。集会は、3年前米軍の装甲車にひき殺された二人の中学生、ヒョスンさんとミソンさんを追悼する黙祷から始まったが、そのプログラムの半分以上は歌や踊り、寸劇、パフォーマンスといった表現形式を採用していた。

労働歌にあわせて、女子中高校生らが壇上で踊る場面では、参加者の多くが立ち上がって一緒に体を動かしていた。私の隣に座っていたセーラー服姿の高校生も、労働歌を口ずさみながら楽しそうに踊っていたのが印象的だった。あらかじめ聞いていたスケジュールでは、6時から「ヒョスンさんとミソンさんを偲ぶキャンドルナイト」、続いて7時から「イラク派兵撤回および朝鮮半島の平和を求める汎国民集会」ということだった。言葉が全くわからないので不正確かもしれないが、いつのまにか集会が始まって途中で紙コップにロウソクを差し込んだキャンドルが配られ、しかも終了予定時刻が過ぎても延々と集会は続けられていたという印象だった。

日本からの参加者の多くは早々と次のイベント(ソウル行動前夜祭)会場へと向かって移動し、取り残された格好になった関西からの参加者は「どうせ遅れたんだし」と半ば開き直って、ゆっくりと腹ごしらえをして会場の東国大学へと向かった。タクシーの中から、走りながら移動する学生集団も見えた。タクシーの運転手が、「あれは○○大学」とか教えてくれる。東国大学の周辺は、東アジア経済フォーラムの会場である新羅ホテルの近くということもあってか、機動隊の装甲車や整列して座り込んでいる戦闘機動隊員の姿が目立った。この戦闘機動隊員は、徴兵の際に軍隊と振り分けられて配属された若者たちだという。

 

テキスト ボックス:  
▲6月13日ソウルで行われた反WEF集会
■深夜までワイワイと前夜祭

前夜祭は、「グローバリゼーションと戦争および米国に反対し、朝鮮半島の平和を求める文化祭」と銘打って、夜の10時からの開催だった。これまた終了予定の12時とは無関係に深夜3時頃までやっていたらしい。韓国の活動家たちのパワフルぶりには本当に驚かされる。会場は、グラウンドに舞台を特設したもので、観客はスタンドに陣取るという形だった。グラウンド周辺には屋台が林立し、鍋料理の材料がズラリと並んでいた。歌や演説に飽きてきたら、鍋をつつけるという按配だ。日本からの参加者は、「千と千尋の神隠し」をもじった寸劇を披露することになっていて、私たちが到着した頃には舞台裏で準備に余念がなかった。この寸劇は、ブッシュと死神が「グローバリゼーション!」「イラク派兵!」などと叫びながら子どもを追いまわし、それに民衆が反撃するというストーリー(だったと思いますが、違っていたら脚本を書いた稲垣さん、ごめんなさい!)で、韓国の人たちに大受けだった。私の印象では、「文化祭」という割には演説の時間が多く、「自由貿易協定・WTO反対国民行動」(KoPA)のイ・ジョンフェ代表をはじめ民主労働党の代表などが熱弁を振るい、その合間にはシュプレヒコールが唱和されていた。

 

■画期的な日韓共同集会の開催

翌13日は一日中、集会やデモに明け暮れた。まず、午前11時(の予定だったが、日本側参加者の到着が遅れたりして、30分くらい遅れた)から、大学路のマロニエ公園で「日韓FTA阻止!日韓民衆共同決起大会」が開かれた。この集会は、KoPA(韓国)と「異議あり!日韓自由貿易協定」キャンペーン、脱WTO草の根キャンペーン実行委員会(日本)の呼びかけで行われたのだが、さらに言えば1月の世界社会フォーラム(インド・ムンバイ)で行われた日韓共同行動が契機となって実現したものだった。集会参加者は日韓合わせても200名ほど。しかし、参加者の数以上に意味のある集会だったと思う。集会で挨拶にたったKoPAのイ・ジョンフェ代表は、NAFTA締結後の10年間でメキシコの労働運動が破壊されたという経験を引き合いに出して、日韓FTAによって韓国労働運動の獲得してきた成果が水泡に帰してしまう危険性があることを指摘した。

日本側を代表して、「脱WTO草の根キャンペーン実行委員会」の田中徹二さんが「日韓FTAは、日本の多国籍資本の利益に奉仕するもので、アジアの労働運動の破壊をもたらす。日韓共同の闘いで阻止していこう」と訴えた。集会は最後に「日韓民衆共同闘争決議文」を採択して、民主労働党の前段集会に合流した。

私は韓国の集会にきちんとした形で参加したのは初めてだったが、集会の進め方は日本とはかなり違っていた。集会の冒頭に必ず「民衆儀礼」があり、韓国における闘いで犠牲となった先達たちを追悼する黙祷、「きみのための行進曲」の唱和(必ずカラオケが流れる)が行われる。集会の途中でも何回も、シュプレヒコールが入る。歌を歌ったり、シュプレヒコールを叫んだりする時は、こぶしを握って腕を振る(この日は数え切れないくらい振って、最後は痛くなってきた位だった)。この集会でも、明洞聖堂で篭城闘争を展開している移住労働者のグループによるダンスや別のグループによる歌などのパフォーマンスはちゃんとプログラムの中に準備されていた。

 

 

■集会の最前列に海外参加者

そうこうしているうちに、公園横の道路上には片側車線全部を使って舞台が設けられ、集会の準備が着々と進んでいた。舞台の裏側では、学生らしい集団が集会をやっていた。韓国学生運動の状況については私自身よく知らないのだが、韓国社会運動の2大潮流(NL派とPD派)がそれぞれ学生組織を持っていて、現在はソウル市内の大学よりは全羅道など地方の大学のほうが運動的に盛んだと聞いた。それ以外に、学生のNGOグループも多く存在し、All Togetherなどの左翼グループも学生を組織しているようだった。

東アジア経済フォーラム反対の集会は、まず民主労総の前段集会(グローバリゼーションと戦争および米国に反対し、朝鮮半島の自主的統一を求める民主労総・前段集会)からはじまった。集会には、韓国外から日本、インドネシア、インド、ネパール、バングラデシュ、香港、台湾、ブラジル、 米国、ベルギー、タイなど200名近くが参加し、舞台前の集会最前列を占めた。日本の組合旗やATTACの「%旗」などが林立する中で、日本からの参加者を代表して、遠藤一郎さん(全労協常任幹事)が、話のところどころに韓国流の「闘うぞ!」を入れながら連帯の挨拶を行った。

2時半過ぎからは、この日の行動のメイン集会である「世界経済フォーラム東アジア首脳会議反対共同行動決意大会」が同じ会場で開かれた。この頃には、反対車線側も参加者であふれ、交通は完全に遮断された中での集会であった。労働組合の参加者は、各産別あるいは単位組合ごとにきちんと隊列を組んで座り込んでおり、それぞれ揃いのベストを着込んでいた。かつての日本新左翼の集会がヘルメットで色分けされていたのを想像してもらえばイメージしやすいかもしれない。よく言えば統制が取れている、悪く言えば官僚的に統制されている、と見る人によって評価が分かれるだろう。参加者の中では、ソウルで上京闘争を行っている保健医療労組の組合員が白衣(少し色がついていたが)を着て多数参加していたのが目立った。発言者は、チョン・グァンフン民衆連帯常任代表、イ・スホ民主労総委員長、ムン・ギョンシク全国農民会総連盟議長、民主労働党の段炳浩議員(確か民主労総の前委員長)など(これも後でサイトを見て分かった)だが、残念ながらリアルタイムでは発言内容はわからずじまい。

 

■1万人以上がデモ行進

いつの間にか集会が終わり、デモの時間が来たという感じだったが、3時過ぎに集会参加者はデモに出発、海外参加団はその先頭に立った。新羅ホテル近くまでは警察の影も見えない中で、道路いっぱいに広がってデモが続く。途中で露天商の組合員らが数千人規模でデモに合流してきた。彼らは、世界的規模で露天商のフォーラムを開いているとのことだった。

新羅ホテルに近づくと、マスクをした学生集団100人ほどがデモの先頭に飛び出してきた。事情を知る人によれば、この学生たちは韓総連や全国学生連帯会議に属していて、この日のデモの「決死隊」だと言うことだった。言葉は勇ましいが、要するに行動隊あるいは防衛隊なのだろう。警察は、新羅ホテル入口への道路に警察バスを横一列に停めて阻止線を引いている。以前にデモ隊にバスを揺すられ横倒しにされて突破されたという経験があったらしく、T字型にバスを停めて「万全」の構えだ。警察阻止線の一番手前では学生らがバスの前で機動隊と対峙し、 別の学生の1隊はデモ隊のいる道路に通じる横道にも配置された。阻止線の近くに巨大なスピーカーを積んだ街宣車が進出し、再び集会が始まった。演説や歌が繰り返される。海外の代表団は「少し離れているように」とのことで、私たちは少し小高い道路から見ていた。

 

■韓国のデモ参加者からビールをご馳走に

ハングルの分かる人に聞くと、代表団が抗議書簡をわたすために 新羅ホテルへ向かったが、WEF事務局は抗議書簡を受け取らなかったとのことで、その直後から機動隊と学生や露天商の「決死隊」との衝突が開始された。私が見たのは横道での「戦闘」だった。素手の学生たちに機動隊が襲いかかるが、学生らは一歩も引かずに機動隊の進出を許さない。後ろでは労働組合員ら(多分、学生運動の経験者なのだろう)が、旗ざおを折って「竹やり」っぽい棒を作り始めた。幸い(というか)機動隊は短時間の衝突のあと、後ろに下がったため、機動隊のデモ隊への乱入という事態には至らなかった。むしろ、一種のセレモニー的な「激突」という印象もあった。これは、日本新左翼のその種の街頭闘争を見慣れた者のねじまがった感想なのかもしれないが。

その一方で、集会は延々と続き、デモ参加者も三々五々解散して、道路上も大分寂しくなってきた頃、私たちも引き上げることにした。私は何名かの日本からの参加者とともに、香港・台湾から来た仲間と一緒に近くの食堂に入った。お互いの運動状況の交流などしていると、表の席でビールを飲んでいたデモ参加者らしい人がしきりに話しかけてきた。どうも韓国の自治体労働者のようで、研修で日本に来たことがあるらしい。何分にも言葉がわからないので、身振り手振りも含めて何とか意思を通じさせようとするのだが、どうもうまくいかない。そのうちに彼は、ピッチャー入りのビールをご馳走してくれて、お互いの今後の健闘を確認しあって(多分)、握手をして別れた。

■アジア民衆運動・社会運動総会

翌14日から2日間、ソウルの高麗大学でアジア民衆運動・社会運動総会が開かれた。会場の高麗大学は、日本で言えば早稲田大学か、慶応大学をイメージさせる大学のようで、キャンパスを入ったところには青々とした芝生が広がっていた。会場の学生会館らしい建物の周辺には、受け入れを準備してきた高麗大学の学生ボランティアたちによって、スローガンをハングル、英語、日本語などで書いた横幕などが多数掲げられていた。この総会の全体像や詳細な分科会報告などについては、すでにAPWSLのMLでも報告されているし、評価について分析することは私の能力を超えているので、とりあえず私が参加した範囲での報告にとどめたい。

1日目の全体会は2部構成で、まず型通りの韓国側主催者、来賓のあいさつがあり、2部ではパネル・ディスカッション方式での「アジア社会運動の課題」についての討論だった。学生食堂に並んで、昼食をとった後、午後からは、各テーマごとの分科会に日本からの参加者も分かれて参加した。私は、「21世紀の社会主義」というAll Together(韓国のイギリスSWP系左翼グループ)が主催したワークショップと非正規雇用問題の分科会をのぞいてみた。夜は、移住労働者問題のワークショップに参加したが、これは、移住労働者籠城闘争団、全国不安定労働撤廃連帯、社会党、韓労政研により主催されたもので、ネパールからGEFONT、香港の工盟、APMM、韓国の平等労組移住労働者支部、日本のレイバー・ネットがそれぞれ報告を行った。

ここで印象的だったのは、韓国で移住労働者(日本では外国人労働者を指す)を極めて劣悪な条件で実質雇用するシステムとして悪名高い「研修生」制度が、実は日本のそれを輸入したものという点だった。日本でも、福井県における中国人女性労働者がこの制度のもとで苦しめられた実例が、実際の争議として明らかになったが、同じような状況が韓国に働きに来るネパールやバングラディシュなどの労働者に襲いかかっている現実が報告の中で明らかにされていた。

ワークショップが終わったのは10時近くになっていたが、私たち関西のAPWSLメンバーは、チャン・チャンウォンさんらAPWSL韓国の人たちとサムギョプサル(豚バラの焼き肉)を食べながら、交流の集まりを持った。大いに食べ、飲みまくった交流会だった。その後、レイバー・ネットの安田さんらは移住労働者のろう城闘争が展開中の明洞聖堂にまで足を伸ばすとのことだったが、関西のメンバーは軟弱にもここでホテルに帰ることにした。15日には、帰りの飛行機の時間も気にしながらFTAの分科会に参加し、走り回った4日間の日程を終えた。


 


7/17〜18 APWSL日本委員会総会報告

丹羽通晴(共同調整委員・関西)

 


7月17日〜18日、大阪でAPWSL日本委員会の総会を開催した。もう長い間、関東と関西の交互開催でやっていて、ここ数年は関東開催の場合は潮見教会での合宿スタイル、関西開催では一部をAPWSLの紹介・勧誘も兼ねたオープン企画を交えて行っている。今年もそのパターンを踏襲したのだが、せっかくのオープン企画がAPWSL関係者以外の参加がほとんどなく、高い会場使用料を払ってまでやった意味があったかどうか、反省の要ありというところ。

 

1部 海外活動報告

 

それはともかく、今回は3部構成で開催した。第1部は「活動報告」で、初日の午後にゼネラルユニオンの会議室で開催。最初のソウル6月行動については、冒頭にビデオ映像を流し、基本報告を秋本さん、さらに参加したメンバーからも感想を含めた報告を受けた。インドの世界社会フォーラムのときもそうだったが、(たとえ素人制作でも)映像があれば報告をよりリアルに感じられると実感。続いては、稲垣さんによる「東アジアの中心で連帯を叫ぶ」と壮大な(あるいは便乗的な)テーマの、要するに中国の労働運動の現状報告。産業と労働力構成の変化から公認・非公認の労働者組織の現状も含めた詳細なものだった。最後は山崎さんから、アメリカの最大食肉会社のBSE問題をめぐる来日闘争(チームスター・ローカル556)の紹介がなされた。いずれも内容の詳細は別に掲載される予定なので、そちらを参照されたい。

 

2部  プレ・レイバーフェスタ

 

第2部はその日の夕方、会場を近くのドーンセンターに移して、人集めに失敗したオープン企画「映像でとらえる労働・労働運動」。実は今年、レイバーフェスタを大阪で開催する運びとなり、そのプレイベントという位置づけも込めていた。昨年の東京での3分ビデオを5本ほど上映し、同じく中編ビデオ『立ち上がるマイノリティと女性たち』を上映して、山崎さんからアメリカ労働運動の解説を受けた。そして終了後は、近くの居酒屋で例によって交流会を開催。

 

3部  総会議事

 

翌日は朝から再びゼネラルユニオンで総会議事。まず来春に多国籍企業問題での国際会議の共同開催が実現し、それに合わせてAPWSL総会も開催される見通しとなっている件だが、書記局からその後の連絡はまだ来ていない。これについては問い合わせを続けるとともに、書記局から要請されている2ヶ月ごとのレポート提出を日本委員会としてもきちんとすることなどを確認。機関誌については、榊原さんが8月からスウェーデンに留学するため、「リンクス」の編集長を再び山崎さんにしてもらうこと、英文ニュースを関西が責任をもって編纂することなどを確認。ただ、日韓でレイバーネットのアジア版発足の話が、インドでの世界社会フォーラムを契機に進められており、そのスタートの際には日本からのニュースと英文ニュースとの重複の回避や、役割分担などの調整が必要と思われる。ところで、役員人事は、「リンクス」の編集長以外、共同代表や共同調整委員をはじめ大きな変化はない。懸案であった会計の関西移管についても、1年越しでようやく会計担当を池田さんに了解(押し付け?)してもらった。

 

APWSL日本委員会 役員

 

共同代表    稲田  順一

        原田  恵子

共同調整委員  稲垣   豊

        丹羽  道晴

会計      池田  良二

リンクス編集長  山崎  精一

英文ニュース編集 関西受け持ち

会計監査      関西から 


 

APWSL国際書記局より

■□■APWSL in ムンバイ会議の報告■□■

 以下訳出したのは今年の1月ムンバイで行われたは世界社会フォーラムで、日本委員会の提案で開催されたAPWSL会議の報告書です。書記局から3月に送られてきたものですが、その後重要な通信はありませんので、これを掲載します。

 


2004年1月APWSLムンバイ会議報告

  APWSLを再活性化する

参加者

チャン・チャンウォン 韓国

チョー・ミュンスク  韓国

秋本 陽子   日本

原田 恵子   日本

小山 帥人   日本

安田 幸弘   日本

河添 誠    日本

バイラ・ライ  ネパール

ウメシュ・ウパジャヤ ネパール

パラット・ナ・ナコム  タイ

パン          タイ

スリパイ・ノンセ    タイ

イレーヌ・ザビア    TIEアジア

アントン・マルカス   スリランカ

ルーク・コクソン    ニュージーランド

 

会議の冒頭、故リー・スンキュンを追悼した。リーを失い悲しみに暮れながらも、彼女の想い出は来るべき闘いへの力を我々に与えてくれている。

 

1. 書記局の報告

アントンは前のバンコク総会ではAPWSL展望と焦点について全く話し合われなかったことを報告した。次の3年間の優先課題が何であるか十分には決められなかった。またAPWSLの経済的状況が何を意味しているかについても話し合われなかった。

 2002年5月に書記局が開催されると事態は非常に困難であることが判明した。なぜなら、APWSLにとっての焦点が何であり、資金なしにどうやって存続し続けるかはっきりしなかったからである。各国委員会は活動計画を提出していたが、その多くは国内の活動計画であり、しかも書記局はその計画を実行する資金を持っていなかったのである。書記局は地域の真正な労働組合運動の建設を助けるような地域活動計画を優先する決定を行った。計画を作成しその資金を探すことを決定した。そのことにより、書記局が機能すると同時に、地域的な活動と労働者交流のための資金を獲得することを目指した。

 計画の草案を各国に送付し意見を求めた。日本委員会から返答があり、その提案は検討された。そこで活動計画を作成し、資金提供団体に送付した。アントンは訪欧中に資金提供団体を訪問した。しかし、これまでのところ資金獲得に成功していない。資金提供団体は地域活動計画より国内活動計画に資金を与える傾向があり、資金獲得の競争も激しい。活動計画全体を支援する資金提供団体は現れなかった。自由貿易地域労働者と青年労働者のプロジェクトについてノビブとミスアリから資金提供を受ける可能性が残っているので期待している。

アクション・アラート】 

APWSLの主要な活動の一つであり、6回出された。多くの各国委員会が反応しなかったか、結果を書記局に通知してこなかった。今後は各国委員会が反応したか、確かめることが検討された。

【機関紙】 

一回しか発行されなかった。情報の収集も問題の一つである。

 

 アントンは自由貿易地域の労働者と労働組合の抱える問題を訴えるためにヨーロッパを訪れた際に、APWSLを代表した。まてアジア社会フォーラムにも参加した。ルークは東アジア労働円卓会議にAPWSL書記局を代表して参加し、その運営委員に選出された。インドネシアにいる時にマレーシア、タイ、フィリピン、インドネシア委員会からの参加者によりAPWSL会議が持たれた。

 

2. 各国報告

参加した全部の国から活動報告が行われた。各国の活動を要約し全参加者に配布した。

【ネパール】

刊行物を一回発行。「労働者の声」は資金の問題から発行されていない。

【韓国】

移民労働者の権利のための宣伝と組織活動に関わっている。韓国多国籍企業の搾取に苦しむ他の国の労働者との連帯活動に関わってきた。インドネシアのスラバヤ地域労組(SBR)と韓国のハンコク合成繊維労組(HKU)との間の連帯関係が確立された。この二つの労組の間の相互訪問がHKUの資金提供により実現した。故リー・スンキュンの生涯と闘いを称えるための追悼集会が毎年取り組まれている。またテグの繊維労働者たちのための場として故リー同志が創設したユリンテオを支えていく活動も取り組まれる。

【日本】

外国の労働争議の支援に取り組んでいる。中国からの移住労働者の闘いを支援してきた。中国での労働争議の情報を国内に伝える役割を果たしてきた。フィリピン・トヨタ争議の支援に関わってきた。イラク戦争に際してはAPWSLとして単独での取り組みはできなかった。しかし、多くの日本委員会の会員はそれぞれの所属団体の中で反戦活動に取り組んできた。2002年には台湾APWSLからチェン・ボエイを日本に招待した。英語と日本語の機関紙を定期的に発行している。ホームページはwww.jca.apc.org/apwsljp/

【タイ】

タイ委員会は二つの独立したグループからなっている。一つはNGOのネットワークであり、もう一つは労働者のネットワークである。この報告は後者のものである。他の労組と一緒に社会保障、出産休暇を支給し、最低賃金を設定することを政府に要求してきた。職場内での下請け化を阻止するよう労働法を改正するよう政府に要求してきた。また労働安全衛生のための機関の設立も要求してきた。解雇されたリード・ライトの労働者と会い、弁護士を探してあげた。

【ニュージーランド】

戦争に反対する運動に労働組合が参加するよう組織してきた。テロ対策法により投獄されたアルジェリア移住労働者アーメッド・ザオウィの釈放運動に関わってきた。グローバル化反対運動の組織化に関わってきた。移住労働者の問題を取り上げる運動を開始しようとしている。ニュージーランドのタイ移住労働者の状況を調査するためにスリパイをニュージーランドに呼ぼうとしている。この機会によりスリパイは英語を学習し、書記局に充分に参加することが可能となる。シンカポールの移住労働者オルグのサミー・シナパンがニュージーランドを訪問し、労働組合や政治家との会合が行われた。

【スリランカ】

自由貿易地域での団結権のための運動が主要な活動。これは半年にわたる運動で国際自由労連、ILO,AFL−CIOから支援を受けた。4000通もの支持の手紙が集まり、最終的にAFL−CIOが介入して政府は解決を余儀なくされた。ILOも関わって組織化に関する制限を改正させた。インフォーマル・セクターでの組織化も行われている。

 

これらの各国報告から各国では多くの活動が展開されていることが分かる。しかし、通信がうまく行っておらず、書記局の調整不足により、何が行われているか分からない状況であった。

 

3. APWSLとは何か?

 APWSLは20年以上も前に、真正の労働組合と労働者が戦略を共有し、お互いの闘いから学び、支援しあうためのネットワークとして結成された。主な目的は真正の労働組合運動を発展させ草の根の労働者連帯を目指すことであった。主要な国際的、地域的労働組合組織が労使協調的で、労働組合の進歩的な地域組織が存在しないという当時の状況の下で結成された。

 

4. 状況の変化は?

 この10年間にSIGTUR(グローバリゼーションと労働組合の権利に関する南のイニシアチブ),TIE(多国籍企業情報交換),CAW,民主労総地域連帯会議などの進歩的な労働組合の新たな地域的、国際的な組織が発展してきた。APWSLが結成された前提が変ったのである。今では重要な闘いに関わっている新しい組織が存在している。これは勇気づけられる事態であり、我々はこれらの組織に参加すべきであり、屋上に屋を重ねるべきではない。

ネパール委員会の見解: APWSLはグローバル化に反対する闘いに長く関わってきた組織の一つであり、その中で重要な役割を果たしてきた。今では多くの組織がグローバル化と闘っている。SIGTURなどの組織の活動の繰り返しをする必要はないのであり、多くの仲間が既にしているようにそこに参加すべきなのである。

韓国委員会の見解: 韓国ではかつてAPWSLは多くの人から過激すぎると見られていた。しかし、今では皆がAPWSLのことを知りたがっている。今、民主労総は国際連帯に活発に取り組んでいる。これはAPWSLが蒔いた種の結果として見られており、APWSLはこのような国際的な変化に貢献してきた。

 

5.  その他の地域ネットワークや組織との違い

 APWSLの主な目的は真正な労働組合運動の支持と発展であり、他の新しいネットワークは進歩的ではあるが、地域の真正な労働組合運動の発展を目的としていない。また労働者の相互交流を目的としている地域ネットワークはAPWSLだけであり、この活動は労働者階級の階級意識と連帯を国際的に形作るものでAPWSLにとって重要な活動であった。

 もう一つの違いはAPWSLは次世代の労働組合活動家を育成することに関心を抱いている点である。青年の参加を促すことにより、若い世代が真正な労働組合運動の発展の中心を担えるようになる。

 

6.  APWSLはまだ必要か?

【タイ委員会】 タイの労働組合は依然としてAPWSLを必要としている。労働者にとって教育は非常に重要である。労働者の運動を作り上げるにはタイでの闘いについてはっきりとした考えを持っている必要がある。

 APWSLの価値はまだ重要であり、真正の労働組合運動の発展を中心目的としているネットワークはまだ必要である。

【ネパール委員会】 

真正な労働組合の地域的な連帯は非常に大切であり、これがAPWSLの中心的目的であるべきである。APWSLは連帯と行動を通じてこの地域の労働者の闘いを支える上で重要な役割を果たせる。労働組合活動家の次の世代を登場させる役割を果たすことができる。

【日本委員会】

 グローバル化反対運動の高まりの中で、APWSLは労働組合とその他の社会運動を結びつけるという独自な役割を果たすことができる。独立したネットワークとしてAPWSLは異なるナショナル・センターに組織された労働者の間の団結を促進するという重要な役割を果たすことができる。また女性労働者と指導者をエンパワーするという重要な役割も果たすことができる。

 

7.  資金

 ACFODからの資金が紛失した経過とこれから資金を得る困難性について討議された。(その後ACFODは独立した会計監査を行うことに同意し、この問題が解決されるであろうと期待している。)

 APWSLが結成された時には資金はなかったし、資金がないからといってAPWSLが機能できないわけではない。APWSLは連帯と行動に基礎をおくネットワークだからである。ネットワークを維持しているのは各国委員会の間の連帯であり、ネットワークの力は各国委員会の行動力である。皆が参加して行動している限り多くのことを成し遂げられる。資金に頼るより自らの行動に頼るべきである。

 しかし、資金がなければ、これまでの活動を維持できない。このことが何を意味するのか正しく理解しなければならない。調整委員に支払う給料がなければ、書記局に以前と同じことを期待するわけにはいかない。これまで以上に各国委員会の独自の活動の力に依存しなければならない。各国委員会はAPWSL全体のプロジェクトや活動にもっと大きな責任を持ち、日常活動の費用を自ら得る必要がある。ネットワークの中の責任は分散化されねばならない。

 運営の仕方について創造性を発揮し、他の国際集会を利用してAPWSLの会議を持つようにするべきである。我々の多くは既に他の進歩的なネットワーク(TIEアジア、東アジア円卓会議、SIGTUR)で活動しており、これらの会議に参加している時にAPWSLの会議を持つことができる。会議に参加するAPWSLの会員はAPWSLを代表することができる。

 現在の状況では組織全体のための資金より、個々のプロジェクトのための資金の方が得やすい。しかし、地域的なプロジェクトを持つときでも、資金が得られた場合は何ができ、得られなかった場合は何ができるか、という風に考えるべきである。資金が得られなくても何かやらなければならないことには変りはないからである。

 この例は非典型労働者のプロジェクトである。インドネシアで討議されたとき、地域会議のための資金を探すが、見つからなくても弱い立場にある労働者の搾取を可能している労働法についての各国の情報を集めることにした。

 APWSLの最も重要な活動のいくつかは金を必要としない。資金なしに機関紙を作ることができる。連帯活動には資金は要らない。知識や経験を共有化するのに資金は必要ない。行動には必ずしも資金は必要ではなく、必要なのは行動する人間である。

 労働組合や各国委員会から資金援助を受ける仕組みを探る必要がある。豊かな国の各国委員会は貧しい国の委員会を支えることができる。韓国委員会とインドネシア委員会との間にあるような連帯関係を築くことができる。連帯と行動に力点を置けば、外部の資金提供団体に依存しなくても多くのことを成し遂げられる。

 

8.  通信

 全体として通信が不十分であり、このことは書記局の責任である。通信とメールの責任をルークに移すことが決定された。APWSLの全ての通信はルークに送信され、そこからアントンに転送される。全ての各国委員会が活動報告を送るよう要請する。通信のためにインターネットを利用することができる。日本委員会と韓国委員会はレイバーネットに参加しており、これを利用して通信を促進し、さらに我々の闘いを多くの人に知らせることができる。韓国委員会はウェブサイトを持っている。各国委員会はそのサイトにページを持つことが可能である。韓国委員会はメーリングリストも持っている。各国委員会は会員の最新のメールアドレスを送ってもらいたい。

 

9.  機関紙

 APWSLの会員が参加しているストや闘いを中心に報道する機関紙を隔月に発行する。この機関紙を成功させるためには各国委員会はその活動を定期的に報告すべきである。文章は分かりやすいものでなければならない。

 

10. 不活発な委員会と新しい委員会の設立

 APWSL各国委員会が不活発になった国では新しい関係を模索する必要がある。インド委員会との通信がないので、インドの労働組合などとの関係を作り始める必要がある。世界社会フォーラムの後、ルークはムンバイの労働組合と接触するためにムンバイに残った。

 シンガポールで移住労働者の組織化に携わっているサミョドライ・シナパンと接触している。APWSLとの関係を作ることに関心を持っていると言っている。地域調整委員会が誰であるかはっきりとしなければならない、マレーシアと太平洋地域。そして地域調整委員が書記局と充分に接触するようにしなければならない。これまで接触が充分ではなかった。

 

11. 労働者交流

 討論の結果、労働者交流はAPWSLにとって重要で欠くことのできない分野であるとされた。このための資金を得るのは困難なので、実現のための方法を考えなければならない。その一つは会議があればこれに参加してその後に交流を行うことである。そのための資金は裕福な国の各国委員会から得る。

 

12. 連帯関係

 韓国とインドネシアのHKUとSBRとの姉妹関係は国際連帯の良い例である。各国委員会同士のこのような二国関係は推奨する必要がある。

 

13. 連帯行動

 全ての人がアクション・アラートに答えるようにする必要がある。

■APWSLプロジェクト

1.  女性指導者プロジェクト

 APWSLの中で女性のエンパワーメント、参加、指導性に大きな力点を置く必要性について討論された。世界社会フォーラムの中で労働運動の中での女性の指導性についてのワークショップを成功させることにより日本委員会はこの面での指導性を発揮した。日本委員会はAPWSLの中での女性の参加と指導性を保障するためにこのプロジェクトをどのように発展させることができるか、日本に持ち帰って議論することとなつた。一つの可能性は、女性の地域的なワークショップをまた開催するか、あるいは女性会員のエンパワーのための事業を各国で行うか、あるいはその両方を行うことである。

 この関連で次の調整委員は女性であるべきだと議論された。

 

2. APWSL青年労働者

 青年労働者と活動家が真正な労働組合運動について学び、青年労働者の組織化の戦略を共有化するためのプロジェクトが承認された。そのための資金申請が成功すれば書記局に連絡が直ちに入る。

 

3.  テロに対する戦争と労働者

 テロに対する戦争と労働者についての調査に資金を出すことが当初計画されていた。その後AMRCのレイバーアップデイト誌がこの問題で特集を出すことが分かった。各国委員会はこの雑誌に投稿するように奨励する。この調査が完成したら各国で討論会を行うことも提案する。

 

4.  労働者教育カリキュラム

 真正な労働組合運動の建設にとって労働者教育は重要な要素であることがインドネシアでのAPWSL会議で議論された。政治経済、帝国主義、資本主義的搾取、イデオロギー、戦争、グローバル化などについて労働者教育の教材を作っている団体は少ない。各国ごとに応用できるような柔軟な一般的な労働者教育カリキュラムを作ることを促進することがAPWSLの非常に重要な役割であることが話された。基礎、中級、上級レベルの労働者教育コースを作るための系統的な計画を持つことが決定された。このプロジェクトの詳細についてフィリピン委員会とインドネシア委員会が話し合いを持つ。ニュージーランド委員会もこれに加わる。

 

5.  レイバーネツト

 日本委員会と韓国委員会はレイバーネットに参加している。レイバーネットは我々の闘いを多くの人に知らせる効果的な手段である。

 

6.  非典型労働者プロジェクト

 東アジア労働者円卓会議の結論の一つは非典型労働者の組織化の戦略を共有化する必要性であった。非典型労働者の組織化についてのワークショップのための資金獲得を円卓会議の開催の機会に努力してみる。もし獲得に成功しない場合は、非典型労働者の搾取に各国の労働法が゛とのように貢献しているかについて情報交換し、この問題についての調査報告書を作成する。

【総会】APWSL総会の開催の仕方について議論された。SIGTURの会議が8月に開催される際に限られた予算で行うか、他の団体の了承を得てもっと後で開催するか、二案が提案された。(ムンバイ会議の後、2005年5月に開催されるTIEアジアとAPWSL共催の真正な労働組合についてのフォーラムと同時に総会を持つことが決定されたことに注意していただきたい。)

会議の最後に日本委員会が世界社会フォーラムへの参加を継続するべきだと提案した。

(翻訳  山崎 精一)

 

フィリピントヨタ労組を支援する会 

ILO総会、パンフレット完成

一部200円で発売中!

 

 


フィリピントヨタ労組と支援する会は6月のILO総会に出席し、トヨタ自動車とフィリピン政府の不当性を訴えました。また、フランストヨタ社のCGT(フランス総同盟)を訪問しフィリピントヨタ労組の闘いの支援を全世界のトヨタ労働者に発信していくことを確認しあいました。地元の新聞は―

 

「労働組合の自由」を認めないトヨタ社 (Simon Petite記者  Le Courrier誌 2004.06.22号)

“フィリピン・トヨタ社はフィリピンの工場にある独立系の労働組合の存在を認めない”

解雇された労組代表の証言―  基本的な人権を認めない多国籍企業を告発する素晴らしい人を迎えた。先週、エド・クベロ氏はジュネーブにトヨタの企業行動を告発しに来た。彼は1999年に発足したTMPCWAという労組の委員長である。彼はフィリピンの二つのトヨタ工場で活動する労組を指導したということで、226人の仲間と共に2001年3月16日に解雇された。「会社は常に独立系労組の誕生を最初から拒否してきた」とエド・クベロ委員長は言う。その理由は明らかである。非常に辛い流れ作業の労働条件。会社は休暇の取得をほとんど許可しないだけでなく、残業を命令し、週末にも労働をさせる。労組は政府に認可されているのに、トヨタ社は二つの工場にある労組を認めようとしない。

 

と報道しました。フィリピントヨタ社はサンタ・ロサとビクータンの両工場内でエド・クベロ委員長は観光を楽しんでいるとニセの情報を流したり、フィリピントヨタ労組が計画したエド委員長のILO帰国報告会をじゃまする目的で急な残業を命じたりしています。フィリピントヨタ労組と支援する会のILO総会への参加はトヨタ自動車とフィリピン政府に対して大きなプレッシャーを生んでいます。

 

フィリピントヨタ労組はこの9月に再度来日しトヨタ東京本社とトヨタ愛知本社へ抗議申し入れ行動を行います。ILO総会パンフレットの売り上げはこの来日行動の資金となります。ぜひお買い求めください。

 

■申込先■フィリピントヨタ労組を支援する会  横須賀市追浜東町3−63−901  

TEL/FAX 0468-69-1415

eメール;protest-toyota@jca.apc.org

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



スウェーデンからHej(こんにちは) その1

    榊原裕美(APWSL日本委員会)

 


 APWSLの皆さんこんにちは。先号までリンクスの編集をしていましたが、今回からまたもと編集長の山崎さんに戻りました。

なぜか8月なのに10度と言う「寒さ」のここスウェーデンに来ています。暑い最中の811日に出発したのですが、もう長袖でないと寒いのです。これから冬に向けてどうして行ったらいいのやら。日本では台風が来たりしてるという話、なんだかまだ夏が続いていて羨ましいです。

どうしてこんな所に来ているのか、自分でも不思議な気分です。書くのは先だと勝手に勘違いしていて締め切りが迫り、仕方なく身の上話などここに至るまでのお話をします。

 

■なぜスウェーデンに

 

83-84年に11ヶ月ベルギーで国際交換生として暮らして、反核運動などをしていたことがあるのですが、そのあとすぐ、子どもが生まれて(85)、就職と重なり、何も縁がないまま十数年が過ぎました。せいぜいAPWSL98年頃から関わって国際運動の片鱗に触れる程度。しかもAPWSL日本委員会ができた頃はそんなわけで、子育てと仕事に塗りつぶされていましたから、運動にも関われず。88年に職場の生活クラブ生協で労働組合を作りました。ちょうどPP21 が神奈川であったとき、生活クラブが共催してる会場に、生活クラブの労働問題を告発するビラを労組の若い男性たちがまいて、神奈川地連(当時の上部団体。共催していたようだった)の秋本さんが主催者の北沢洋子さんに抗議された話を、綱島の組合事務所で聞き、なんだか「あーあ」と思った覚えがあります。

そのあと神奈川おんなのユニオンで活動したり、コミュニティーユニオンで活動しつつ、海外にもめったに行かないまま過ぎました(韓国と、勤続10年のリフレッシュ休暇を利用してのILOツアーくらいかな)。子持ちの女性労働者としては普通のことですが。

結局、15年勤めたあと生活クラブをやめて、PP21のあといろいろ経てできたPP研で1年半ほど仕事をしました。その間に3回も海外に行くことがありましたが、結局現在近所にある横浜国大の国際社会社会科学研究科というところの大学院生になりました。なんとなく転落の果て、ていう感じなので、心機一転を、と思って、大学の短期留学の奨学金制度に申し込んでみたら、なぜか通って、ここに居るという感じです(なんとなくますます転落してる気もしますが)

大学院には選択肢がアメリカ・カリフォルニアとスウェーデンしかなくて、だいぶ迷って、結局確率の高いセンを狙ってスウェーデンに。この短期留学制度は学部生対象なんで、院生で行く人はほとんどおらず、ましてや博士課程の院生は多分初めてじゃないだろうか。でも一応資格はあって、通ってしまったので、20歳くらいの息子と同世代の子たちと一緒に留学生活を送っていると言うわけです。

高須さんのサンフランシスコ通信の夏の暑さの記述に強い羨望を感じ誤ったか、と思う私でした。でもアメリカは、情報が多いので、まあヨーロッパのことも少しお伝えできればいいかなと。

 

■ヨンチョンピン大学博士課程に

 

私の通う大学ヨンチョピン大学は、日本で言うと長野県みたいなところにあって、できて10年の新しい大学。グローバル化とIT化に対応する、として設立され、企業との連携の深い大学なんですね。小さな企業の起業精神、みたいなのが売りのビジネススクール。なんでそんなとこに、と思われると思うのですが、自分でもそう思っているんですが、横国大の提携大学がスウェーデンではここしかないんですわ。

一応私のやってきたのは生活クラブで、結局研究テーマもそれしかないわけです。女性労働の視点で、これから先のオルタナティブを見ていくと言う視点で修士論文をでっち上げ、間違って博士課程に入ってしまい。今回の留学はかなりこじつけで、ワーカーズコレクティブの起業にとって、関連が一応あるということなんですね。これからは大企業の労働者が典型労働の時代は終わって(いわゆる「先進国」での話になるけど)、小さい企業や非典型労働者の時代になると思うが、いわゆる正規労働者(の権利保障)化が世界の中でも最も進んでいるスウェーデンで、こういうケインズ主義的社会の崩壊したあと、グローバル化や、非正規雇用化のなかで、どんな適応が行なわれているかを見てみたい、という、新自由主義者にも、反グローバル主義者にも耳障りのいいことを言って(もちろん後者に私の立場はあるのですが)面接を通ってきてしまったのでした。これは嘘じゃなくて、本当にそういうつもりで来てるんですけどね。つまり下への競争、ウォルマートに見るようなアメリカ化ではなく、福祉国家後、スウェーデンモデルと呼べる、非正規労働への対応があるのどうか(ないかも)。日本はそれをモデルに(もとが違うからできないけど)考えることで、今の状況を抜けられないだろうか。

いずれにしてもパートを正社員と同じにしたら中国に負けてまう、と言う議論が厚生労働省で堂々とリアリティがあって行なわれ、パートの労働条件向上のための法的措置は全くないのと同じになってしまい、そうや、均等待遇ちゅうんやったら正社員をパートと同じにしたらええんや、というウォルマート式になりつつあり、若者が遅ればせながら、ようやく80年代のヨーロッパのように職なしになりつつある(しかも社会保障は不備すぎる)日本での運動の展望を、ここでちょっと見つけたい、と思うのは人情と言うもの。

 

■スウェーデンの働き方

 

スウェーデンの労働状況(特に女性)は、少ない日本での予習を見ても、信じられないレベルにあると思う。ここに生まれていたら生活クラブでの私の15年の苦闘は必要なかったんじゃないかと思えるくらいだ(なんか悔しい)。どうして可能なのか、それはつまりそれで「儲かってやっていける」のか、の秘密を探りたいのです。「儲かろうが儲かるまいが、労働者には関係ない」ということでは難しい言う趣旨を、熊沢誠さんさえされていた、先日の「職場の人権」での発言の報告を読んで、感慨無量だった。つまりそれはイギリスの労働組合の敗北への苦い思いがあるのだと思うのですが。改良主義といわれても、このグローバル化の中でよりましな選択をするための労働組合の持続可能性をやはり探らなければならないでしょう。マルクス主義を捨てても、社民主義で生き残ってきて実践をして、少なくても生きやすい社会をこの地上につくってきたスウェーデンにその「日和見方」を教わりたいと思うのでした。またその秘密も実は、暗黒の中にあるかも。所詮ヨーロッパ帝国主義です。それでも、よりまし、選択ってあるはずだ。韓国の仲間がOECD諸国だとどこか胸を張っている(ように見える)のを見て、わが身を振り返り、彼らも同じ轍をふみはしないか、結局、ゼロサムゲームの中でメンバーチェンジするだけか(日本はそろそろ降りるかも)、ゲームをチャラにすることも視野に含めつつ、それでも今できることは、私たちにはよりまし選択以外はありえない、と思うしかないのだ。そしてそれはそれで結構な大変な作業でもあるのだ(たぶん革命よりも)

PP21の会場の外でビラをまいてるだけの労組に私は違和感を禁じえず、また展望をもてなくて、どうして中に入って積極的な議論をしていこうという方向性をもたないのか、抗議する「だけ」の労組でいいのか、第3世界と連帯する労働組合と事業体のあり方を追求するのにどこと連帯するのかを広い視点で考えるべきなのに、とその時だって思ったし、それを思ってて実現できないそのときの自分の無力さを悔しく思ったし、今だって同じことを思っているから。

 

■生活雑感あれこれ

 

スウェーデンは日本の1.2倍の広さなんですが、人口は890万人、880万人の神奈川県と同じくらいです。この人口12万人ストックホルムとコペンハーゲンの真ん中にある(どっちかと言えばコペンに近い)小さな町ヨンショピンでも第1党は社民党です。80強の議席の33議席は社民党で、右派は、野党。そんなわけで議会の議長は社民党の町の代表者。感じのいいおじさん。ここには自民党の利権みたいなのは存在しないのか。

この町、と、この大学は町おこしでも連携していて、またもちろん企業も貢献。産学と行政の連携というわけです。大学の施設も24時間コンピュータ使い放題だし、すごくきれいで、でもIKEAていう家具の企業と連携してるんです。また新入生に配られたしっかりしたバッグも企業の名前が書いてあって、多分タダだったんだろうな。

IKEAは、安くてデザインも良くて、物価の高いスウェーデンで貧乏学生の強い見方。ベトナムの小さなガラスカップが4個で150円とか、中国製の無印良品みたいな大きな皿が、145円とか。枕カバーは125円だったし、シーツも400円くらい。海外で製造して、デザインは北欧風、安くてよい品、を売りにしている。これだけ大量発注だったら、かなりなことができるだろう。向こうでの労働条件とかはどうなんでしょうかね。北欧流にやっているのかほかと同じなのかどうなのか。

またストックホルムまでの深夜バスに乗ったら、さすが男女平等で深夜労働解禁先進地域で、若い女性やベテラン女性運転手が乗り込んできた。が、たった6時間の走行時間の間に4人の運転手が代わったので、1時間ちょっとしか、深夜労働(少なくとも同一運転現場での)がない(もしかしたら別のバスに乗ってるかもしれないが)!これは東京―大阪間の12時間(仮眠3時間)を一人で運転する日本の深夜バスとは大違い!しかもカロウシや交通事故が頻発してると聞きます。こういう条件があればこそ深夜労働の男女平等が成り立つわけです。しかし、そんなんで経営はやっていけるのか。確かにバス代4500円で安くないんだけど、でも平日なんかは、学生往復5000円くらいだし。鉄道はすごく高いんですよ。乗り換えに1時間も待つような乗り継ぎ電車で7500円くらい(新幹線―X2000じゃなくてね)。女性の車掌さん(「若い女の子」じゃなくて)が普通にいます。

最近はスーパーは朝8時から夜9時までやっているし、路線バスも5時から深夜2時半まで走っています。またATMは町のいたるところにあって、銀行を問わず引き出せます。これは80年代と違うなと思えるんですけど、でもきっとこういう交代システムなんでしょうね。普通の店は、土曜日は半ドンか3時までだったりして、遊園地だって日曜日は12時から!やっぱりヨーロッパだ、と思う。KEAと並んでの貧乏人への強い味方のリサイクルショップも、週に2.3日で長くて6時間、短きゃ3時間しかあいていないから、時間をちゃんと把握していないと一生いけないんじゃないかと思う(しかも時間にすぐしまってしまうというか5分前に片付けてる)。お店の時間に合わせて自分の生活が、計画されるわけです。

まだ(もう)半月しかたってなくて、しかも学生生活に慣れることや、英語ストレスとパソコン通信の難渋と、漠然とした将来への不安に耐えることで無駄に時間を使っているので、こんな旅行者風に感じたことを書いただけの通信になってすみません。

労働問題を調査するところにまで全然行っていない(いったい行けるのか)のですが、この報告をはげみに、頑張りたいと思います。まずは英語に慣れなくては話にならないのでそのレベルです()

そんなわけで、結構動機が自棄的なので、早晩煮詰まりそうな気がしているのですが、アジア太平洋労働者連帯会議の機関紙の中で、大西洋の方のことも刺身のツマにお知らせできたらと思います。息抜きコラムにしてください。

また質問やこの辺を教えてくれとかあったら、どんなレベルでも(ミーハーでも生活者レベルでも国家レベルでも)注文ください。頑張って報告・お答えしようと思います。

メールはつながっています。kuru@lily.ocn.ne.jp

では、日本の暑さを懐かしみつつ・・・・。(91日記)

 

P.S. 日本では、先日紹介した山野和子さんの裁判が勝利したと聞きましたが、その報告をしてただく算段をしないで来てしまいました。山野さんの闘いの意義を(つまり製造業でのあまりの女性正社員の低賃金―NGOや労働組合並みかそれ以下―という問題)を、考えてみたいと思いますので、ぜひご投稿ください。紙面を借りてのお願いですみません。

 

スウェーデン情報(スウェーデン大使館のサイトより)

・地理

 総面積:450,000平方km

 森林:53%、山地:17%、耕地:8%、湖沼と河川:9%

 最高峰:ケブネカイセ山(2,111m)

 南北最大距離:1,574km、東西最大距離:499km

・首都:ストックホルム

・言語:スウェーデン語

・人口:約900万人

・平均寿命:男性77歳、女性82歳

・国家の形態:立憲君主制・議会民主制

・国王:カール16世グスタフ

・首相:ヨーラン・パーション

・議会:一院制349議席

 



中国 香港資本の電池工場でカドミウム中毒

――― 蝕まれる健康と未来をとりもどす国際連帯を ―――

 


【解説】香港のメーカーで中国を中心に電池などを生産販売しているGold Peak Industries (Holdings) Limited――以下GPグループ―(http://www.goldpeak.com.hk/)の中国広東省恵州にある二つの工場で労働者がカドミウム中毒になるという事件が発生した。

 

経過は翻訳した香港の支援団体による報告に詳しいが、労働者の訴えを現地メディアは無視していたが、GP本社のある香港のメディアが一面トップで伝えたことから、問題が明らかになった、その直後から中国のグローバル化問題をあつかうNGOが、さまざまなルートを通じて中国現地の労働者を支援する運動を作ってきた。

 

GP電池工場のある広東省恵州市の副市長とGP現地工場の最高責任者が記者会見を行い、「軽度の慢性中毒と診断された2名の労働者に対しては責任を持って対処」し、177名の中毒の疑いのある労働者に対しては今後も継続して検査や治療を行うことを約束した。恵州市はこれまでも多数の電子産業を誘致してきたことから、資本との良好な関係を重視する一方で、雇用に悪影響を与える深刻な事態をも回避したいという思惑から今回の措置に踏み切ったといえるだろう。

 

9月始めに行われたGPグループの株主総会で、問題を指摘されたGPグループ代表の羅仲栄は、中毒として認定された二人の労働者に対して18000元の保証金を支払うことを明らかにし、現在経過をみまもっている70名の労働者に対しては適切な対応をすると発言した。しかし香港の支援団体のメンバーは、補償を受けられる労働者と受けられない労働者との分断を狙ったものであり、健康と命は金銭では解決できない、と語っている。現在は、現地工場でのニカド電池の生産は中止されているが、羅は今回の事件とは関係がない、としている。東南アジア諸国にあるGP関連工場で生産が行われていると思われる。

 

GPグループの中国展開は、80年代後半から本格化した中国の「改革・開放」政策とよばれるグローバリゼーションへの全面的開放政策のなかで発展してきた。このような資本の発展には何周も遅れてはいるが、中国の労働者につながろうとする社会運動の動きがはじまりつつある。

今回の事件の特徴は、正当な補償と治療を求めて闘っている中国労働者がメディアを通じて進出元の香港世論に訴えたこと、香港のNGOグループが迅速に連絡を取ったことで、その後のメディアの冷淡な対応を超えることが可能になったことだ。7月23日には香港の社会運動団体や宗教団体などの代表約40人が、GPグループの本社に抗議行動を行っている。GPグループは中国、香港だけでなく、台湾でも生産販売をしていることから台湾のNGOグループもこの問題に関心を持ち始めている。

また、GPグループの代表、羅が理事長をつとめる香港理工大学では、9月の新学期の開始に合わせて学生グループが、電池工場でのカドミウム汚染を告発する壁新聞を張り出すなど、支援の輪が広がっている。

 

香港の支援団体の中では、カドミウム中毒問題では、イタイイタイ病などの経験のある日本でもこの問題に対する関心と具体的な支援を期待している。日本ではGP電池はあまり市販されていないが、電気商品に付属している電池には安いGP製の電池が付属していることから他人事とはいえないだろう。(新田和夫)

 

事件の経過:全球化監察(香港)

 

2003年11月、中国の恵州にあるGP電池工場の加工部門(直接カドミウム粉末と接触する作業区域)の労働者が、一定期間にわたり体調の不調がみられた。広東省職業病予防治療医院を紹介され血液検査をうけたところ、血液中のカドミウム含有量が基準をオーバーしていることが明らかになり、また人体に対するカドミウムの被害を知ることになった。同じ加工部門の同僚たちもこの事実を知ることになり、すべての労働者に検査を受けさせるよう使用者側に求めた。その結果、30数名の労働者のうち20数名が血液中のカドミウムの含有量が基準を超えていたことが分かった。2003年11月から2004年3月までに、二回に分けて10数名ずつが同医院で治療を受けた。しかしこれら治療を受けた労働者は基本的に1−2週間入院したに過ぎず、職業病の診察結果も出ていない状況で退院を迫られた。一部の労働者は十数日間の入院で毒素を中和する注射すら受けなかった。病院の説明によると、国家基準では血液中のカドミウム含有量の基準超過では「カドミウム中毒による職業病」の根拠にはならず、尿中のカドミウム含有量が重要であり、入院していた労働者達は血液中の含有量は基準を超えていたが、尿中のカドミウム含有量は正常であることから、職業病患者として治療することはできない、とのことであった。

 

労働者達が現地の保健所と政府の労働部門を訪ねて問題を訴えた結果、保健所は工場への立ち入り検査を行い、工場は作業スペースの整理と改善を行った。この工場の3階の組立部門の500名の労働者はカドミウムなどの物質に直接接触することから、非常に不安がっていた。一部の労働者は自主的に広東省職業病予防治療医院で検査を行った結果、血液中のカドミウム含有量が基準を超えていた。かれらは検査結果を工場に持ち帰り、工場側に「誠意ある回答を求める」と迫ったが、工場側はさまざまな理由をつけて回答を固辞し、検査結果を疑いさえした。

 

テキスト ボックス:  
▲ 入院中のGP工場労働者たち(香港紙より)
5月25日、工場側は同医院に労働者の検査を委託したが、540名中121人しか血液中のカドミウム含有量が基準を超過していなかった。しかしこの540名の労働者の大部分が最近雇用された者であった。また以前自分で検査を受けて基準値を超えているという検査結果が出ていた労働者が今回は基準値を下回っていた。労働者達は今回の検査結果に疑問を持ち、多くの労働者が再度自費で検査を受けた結果(6月11日と16日)、やはり工場の委託で行った検査結果とは異なった。こういった事態が2−3回繰り返された。しかし工場側は自ら委託して行った広東省職業病予防治療医院と恵州市職業病医院の検査結果しか認めようとはしなかった。労働者が自費で行った検査結果は一切認めず、たとえ同じ二つの医院での検査結果でさえ認めようとはしなかった。労働者の多くが工場が検査結果に何らかの画策をしたのではないかと疑っている。

 

労働者達は香港の本社にFAXで状況を伝えたが、香港本社はFAXを恵州の工場に回しただけで、また恵州の工場もなんらそれに対して対応しなかった。工場は労働者に対して「諸君がわれわれを信用するのであれば話し合いもできるが、もし信用できないのであれば話すことは何もない」と語っている。しかし労働者達は「何度も検査をして、自費の検査結果と工場が委託して行った検査結果があまりにも違いすぎるのに、会社を信じることなどできますか?」と語っている。

 

労働者は会社に対して、尿と血液を一緒に検査するよう求めた。会社は血液検査で基準値以上の結果が出た121人については尿検査を行うが、労働者が自費で行った検査結果は認めないとしている。そして会社は次のように労働者に語っている。「カドミウムに接触をして癌を患うこともあれば、接触しなくても癌を患うこともある。われわれは今後何年も何十年も諸君たちが癌を患わないよう保証することはできない」。

 

この工場では去年からニカド電池の生産を減少しており、今年はすべての生産ラインを旧工場(恵州の恵州先進電池有限公司)に移転する予定であった。しかし旧工場の労働者達も今回の事件とカドミウムの被害を聞き及んでおり、勤務を拒否した。労働者がつぎつぎに辞めていき、在籍している労働者のうち、男性労働者は6月30日に、女性労働者は12月30日に労働契約がきれる(おそらく会社側は再契約を結ばないだろうと労働者は考えている)。会社側もプレッシャーを感じており、毎日のように労働者を採用しているが、この事件を聞いた労働者達は恐れてすぐに辞めていく。かつては採用試験があったがいまでは試験無しで就職できるようになった。

 

労働者たちの要求は単純だ。すなわち会社が真摯に誠実に検査を行い、ニッケルやカドミウムなどの化学物質が人体にどのような影響を及ぼすのかを包み隠さず明らかにし、すでに中毒あるいはその疑いのある労働者に対して妥当な治療をおこなえ、というものだ。

非常に多くの労働者、特に未婚や子どもを産んだことのない女性労働者が不安に感じている。ある22歳の女性労働者は、とても恐い、もし故郷の人々がこの事を知ったら自分の未来はどうなってしまうのか、と泣きながら話した。別の工場に恋人のいる労働者たちは、結婚に不安を抱く恋人たちから別れ話が持ち掛けられているという。

 

とはいえ、労働者達はいまだこの工場にとどまっている。なぜなら「賃金も高いし、福利厚生もいい(保険に加入している)」からで、この工場を辞めても待遇の良い仕事が見付かるとは限らないからだ。もちろんこの問題が解決するまでは辞めることはできない。一旦辞めてしまったら、もし今後何らかの問題が発生しても責任を問えなくなるかもしれないからだ。ある女性労働者は当初恐くて辞めたが、経済的プレッシャーが大きいことからまた工場に戻ってきた。もちろん全員がみなそうではないが、労災診断証明書を入手したらすぐに辞める、とある労働者は話している。

 

6月末、広東省職業病予防治療医院に入院していた労働者達は、会社が長期間にわたって問題の誠実な解決を拒絶したことから、広州(広東省の省庁所在地)のメディアに連絡して、事件を報道してもらい、解決を図ろうとしたが、メディアは一切それを無視した。資本の弾圧、政府の無関心、メディアの無視という状況のなかで、労働者達は自分たちが育った中国において頼れるものがなかった。このようなどうしようもない状況の中で、7月2日に香港のメディアに連絡をとり、翌日の東方日報の一面トップや他のメディアで報道された。プレッシャーを受けた香港のGP本社は7月5日に各紙に広告を掲載し、労働者の指摘に反論した。また恵州のGP工場の管理者たちも硬軟織り交ぜた手法をとった。法的な賃金補償と入院措置をとる一方で、香港メディアの取材を受けた4名の女性労働者に対して、再度取材を受けたら警察に通報して連行してもらう、と恫喝をかけた。4名の労働者は恐ろしくなってそのまま故郷へ逃げ帰ってしまった。しかし他の労働者達は動揺することなく、7月8日に資本側の主張に反論する公開書簡を発表した。しかし今回は香港のメディアがほとんど取り上げなかった。さらに恐ろしいことに、7月10日の広州日報に広東省職業病予防治療医院/広東中毒救急センターの陳嘉斌主任のインタビューが掲載され、「労働者達がカドミウム含有量の基準をオーバーしたのは、作業現場でマスクをちゃんと着用していなかったからです。・・・また出来高制賃金だったので、早く作業ができるように防護用の手袋を着用しなかった。だから手に付着したカドミウム粉末が、食事の前に手を洗うという習慣をつけていなければ、容易に体内に進入してしまうのです」と語った。これは使用者側の主張と同じである。

 

労働者達はこの記事を読んで憤った。そしてわれわれが労働者から聞いたところによると、会社側は警察を使って労働者を強制的に病院から退院させ、工場に連れ戻していたことが分かった。その一方で入院中の労働者には花や果物の差し入れをしている。しかしこのような手法は次のような事実を覆い隠すことはできない。現在も入院中の労働者は職業病であるという診断書を受け取っていないし、適切な治療を受けてもいない。さらに多くの労働者達は検査すら受けていない。7月12日には1000名の労働者が働く恵州の旧工場で、労働者がストライキを行い道路を封鎖した。

 

旧工場は、小金口の新工場の労働者に比較して、組織的な存在が欠けていた。新工場の労働者はすでに労働者代表を選出して使用者側と交渉を始めているが、旧工場ではまだそうなっていない。それゆえ旧工場の労働者に対する資本の態度は横柄である。しかし短いストライキと道路封鎖の後、健康診断を行うよう使用者側に譲歩させた。使用者側も安全衛生については若干の改善を行ったが、最も重要な労働者の要求を先送りにし、中毒になった労働者を強制的に退院させ、また少数の労働者にスパイをさせて労働者代表の行動を監視させたりしている。

 

争議はいまだ継続中である。香港の社会運動がGP電池の労働者を支援するのか黙って見過ごすのかということが、事件が労働者に有利に発展するかどうかを左右する重要な要素になっている。全球化監察が7月23日に行ったGP香港本社に対する抗議行動は、香港の多くの労働者や市民団体によって支持されたことは非常に喜ばしいことであるし、GP資本に対していくらかでもプレッシャーを与えただろう。もちろん本当の力は、GP電池工場の労働者自身いかんにかかっている。われわれはGP電池工場の労働者が最終的に要求をかちとることができることを切に願っている。

2004年8月


 


GP電池工場の女性労働者は訴える

 


私たちは、香港GPグループ恵州市先進電池工場の労働者です。私たちはみな先進工場で7−8年間勤めたものであり、尿検査でカドミウムの含有量が基準をオーバーしていました。各メディアの注目を集め報道して頂いたことで、恵州市のいくつかの病院で検査や治療を受け、7月16日には100人が、29日には140人が基準オーバーで入院しました。しかし、比較的症状が重い者を除いて、それぞれ7月28日と8月11日に退院しました。工場は、退院した労働者は「観察対象」或いは「尿中の含有量は正常」であると主張している。しかし私たちは退院した労働者達の検査結果に、6つの疑問点があることを発見しました。

 

【1】7月16日に入院した従業員100人の「尿レチノール蛋白」の検査結果はすべて40μg/Lであったが、7月29日に入院した140人が行った同様の検査結果は、それぞれ違う結果が出ている。

【2】7月16日に入院した従業員100人のβ2ミクロスフェア蛋白質の結果はすべて32μg /Lで同じだったが、7月29日に入院した従業員140人が行った同様の検査結果は、それぞれ違う結果が出ている。

【3】法律によると、血液中のカドミウムが基準をオーバーすると、尿検査を二回行い、二回の尿検査でも含有量が基準をオーバーすると、ミクロスフェア蛋白質の検査を行うことになる。しかし私たち240名は、二回目の尿検査と同時に、ミクロスフェア蛋白質の検査を受けている。これは法律に沿っていないことが明らかである。

【4】雷光漢を代表とした27人が蛋白質検査での五つの項目で基準をオーバーしていたが、尿検査では基準をオーバーしておらず、中毒として認定されていない。このような検査結果は極めて奇妙である。

【5】7月29日に入院した従業員達が8月11日退院した際に、広東省職業病予防治療院が出した退院通知書には、採尿時間7月22日と明記されていた。その時にはまだ入院すらしていないのにどうして採尿できるというのか。

【6】7月29日に入院した従業員達が受けた二回目の尿検査は基準をオーバーしていたが、退院証明書には「カドミウムの尿含有率は正常な範囲」と書かれていた。これは事実と異なる。

私たちは以上の6つの疑問を皆さんにお伝えしたいのです。検査結果が信用できないのに、そのような検査結果で私たちを退院させてしまうことなどできるのでしょうか。

私たちは全員女性です。中毒によって今後被る被害は計り知れません。私たちのからだは傷つけられ、様々な病気や痛みに耐えなければならないのです。一部の同僚は、別の工場で働こうと求職をしたのですが、先進工場で働いていたことが明らかになると、雇ってはもらえませんでした。またべつの同僚は、恋人が今後の結婚生活に不安を抱いたことから、恋人と別れざるをえなくなりました。私たちはカドミウムによる発作の恐怖を抱え続けなければならないのです。発作が起こってしまったとき、私たちの家族がこのような大きな負担に耐えうることができると思いますか。私たちは精神面でも大きなプレッシャーを感じているのです。私たちはGPグループと先進電池工場に責任を負ってもらいたいと考えています。私たちの要求は以下の通りです。

 

【1】徹底した治療を求めます。GPグループや各メディアがカドミウム中毒や基準オーバーの治療方法を提示してくれるよう求めます。不安を抱えながらこれからの生涯を送りたくはないのです。もしいま治療する薬がないのであれば、GPグループと先進電池工場には、検査結果に問題がなくなるまで、毎年定期検診と治療という責任を負い、同時に治療のための方法を探してもらいたいと思います。

【2】先進工場では従業員一人一人に「Q&A」が配られたのですが、続けて工場で働くか、8000元の雇用解除金で労働契約を解除するかという選択を押し付けてきました。そして15日以内に洗濯しなければ自動的に離職処理を行うというものでした。私たちはこのような強制的な選択に答えることはできません。私たちはGPグループ、先進電池工場が私たちに対して適切な補償を行いうよう要求します。そしてGPグループと先進遠地工場に対する精神面での負担を強いられたことによる賠償請求の権利を保留することを明らかにしておきます。

敬具

先進工場の中毒女性労働者

2004年8月26日


労働者の健康と命を軽視するGP電池の労働安全

 


テキスト ボックス:  
▲香港NGOによるGP本社に対する抗議行動
整理:「全球化監察」

 

労働者は生産現場に入る前には研修などは受けておらず、作業中に有害物質を扱うことなども知らない。作業で使うカドミウム粉末は、小さいビニール袋に小分けされており、袋には何の表示もない。彼女らによるとカドミウム粉は香港の本社から持ち込まれ、恵州の本工場で袋に小分けされて彼女らの工場に運ばれてくるという。

いまでは労働者達は、カドミウム粉を体内に吸入しないように気をつけている。開封する際は室内にある扇風機を消し、袋を触ったあとは選択用洗剤で手を洗うようになった(効果があるかどうかはわからないが)。また新しく入ってきた同僚に対しても、カドミウム粉を触ったときには「すぐに洗い落としなさい」と真剣に忠告するようになった。しかし事件が発覚するまでは、「そんな事は知りませんでしたし、そんなことにかまっ

てもいられませんでした」と彼女は話す。

 

工場の安全衛生は劣悪だ。1階から3階までの作業スペースは密閉されていて通気が悪く、換気設備もない。4階から上には排気扇しかなく、調子がよくない。工場と一階のカドミウム粉を扱う場所の排気扇は、非常に高いところにあり、労働者やカドミウム粉から離れすぎていることから、有害化学物質を排出する効果はきわめて限定されている。

 

工場の建物と労働者の宿舎が接近しており、工場からの排気口が宿舎の入り口や窓に直面している。労働者が生活する中でどれだけの有毒物質を吸入しているかは想像に難くない。

 

また工場が提供する防護用品のお粗末さもナンセンスである。マスクは、94年に工場がつくられたときから2003年のSARSの大蔓延までの期間、組み立て部(直接ニッケルやカドミウムを扱う部署)では白くて紙のように薄いマスクを着用していた。有害化学物質どころか、風邪のウィルスさえも防ぎきれない。このようなマスクを何年間も使い続けてきたが、2003年にSARS感染予防のために、工場では外科用の使い捨てマスクを、週3回配布するようになった。今年に入って、カドミウムの基準オーバーが明らかになって初めて工場は防塵用マスクを週に二回配布し始めた。労働者の要求によって配布は週三回に拡大された。それ以外に手袋と作業服も配布されたが、どちらも普通のもので、防塵効果のないものである。また工場には更衣室もないことから、作業服を宿舎に持って帰って洗ったり、作業服を着たまま食堂で食事をしたりしていた。こうしてニッケルやカドミウムなどの有害粉塵が労働者の居住空間に持ち込まれることになった。

 

工場の寮もあまりよいものではない。工場、宿舎、食堂が一列に並んでおり、それぞれの建物の間には壁もなく7−8歩しか離れていない。寮は5階建てで各階に12部屋あり、各部屋にはベッドが12床ある。シャワールームは寮にひとつだけなので、仕事が終わった直後は人でいっぱいになる。

 

労働者はみんなめまいや頭痛、四肢の脱力感、肩甲骨の痛み、痺れ、腰後部(肝臓)がけだるいといった症状を訴えている。今年26歳になるある女性労働者は腰をかがめられず、一旦かがめてしばらくすると、腰を伸ばせなくなると訴えている。また、おおくの女性たちが流産の経験を持っている。最近妊娠した女性労働者は(組み立て作業に従事)、妊娠初期でカドミウム含有量の基準をオーバーしていたことが検査で発覚した。しかし工場側は彼女の配置転換希望を認めなかった。結局妊娠4ヶ月目でやっと彼女はそれまでの有害物質を扱う部署から配置転換することができた。彼女だけでなく、これまで出産や子育てをしてきた女性労働者のおおくがこういったことを経験してきた。

▽編集部より▽

        前編集長榊原裕美さんがスウェーデンに留学されたので、一年間ピンチヒッターとして再登場することになりました。取り立てて抱負はありませんが、これまでの編集方針を引き継ぎながら、年4回の発行を忘れないことを最大の目標にしていこうと考えています。

        榊原さんには引き続き編集委員会に残っていただきます。インターネットのおかげで横浜にいてもスウェーデンにいても余り変りはありません。企画立案や原稿執筆に参加してもらいます。引越したばかりでまだ落ち着かないのに、早速今号からスウェーデン通信を書いてもらいました。しかも数日前に連絡しただけで。ホームページ上の高須裕彦さんのロサンゼルス便りともども、これからの連載を楽しみにしていただきたいと思います。

        もう一つ今年度の編集体制の特徴は関西から山原克二さんに編集委員会に加わってもらったことです。関西からの企画、記事を期待したいと思います。他の地域の会員からの投稿、意見もお願いします。いつでも受け付けていますが、12月、3月、6月を発行時期としますので、その一月前に日本委員会のメールアドレス又は私宛にお願いします。  apjpyama@blue.ocn.ne.jp

        この号から外見が変ったことにお気づきいただけましたか?これまでは編集長がレイアウトまでやっていましたが、今年からはレイアウトを分業して、稲垣豊さんに受け持ってもらっています。調整委員の仕事の上に荷重でしょうが、よろしくお願いします。その他の編集委員はこれまでと変らず、高幣真公さんと渡辺弘さんです。

        さてこの号は新編集体制になって最初の号です。まだ体制が整わないこともあり、最初に企画した記事が集まらず、編集委員による記事でなんとか穴を埋めました。目次だけを見ても、韓国、インド、アメリカ、フィリピン、中国、スウェーデンといかにも国際的です。しかし、「アジアの労働者をつなぐ」という副題が生かされた内容になっているか、いささか疑問ではあります。しかし、会員同士をつなぐ、あるいは会員とアジア・世界をつなぐ、という役目は最低限果たしていると思います。アジアの労働者をつなぐ、というのはAPWSLネットワーク全体の活動に掛かっていると言えるでしょう。この点ではムンバイAPWSL会議報告は重要な内容が含まれているのでぜひ目を通して下さい。

        私はこのリンクスを年4回出す、ということだけに専心するつもりです。内容がどれだけ豊かになるかは、編集委員の皆さん次第、そして会員の皆さんからのインプットがどれだけあるかに掛かっています。この号を読んだ感想、要望、意見などなんでも結構ですから、お聞かせ下さい。インターネットにつながっている人はAPWSLのメーリングリストを利用して下さい。


 

 

角丸四角形: LINKS―リンクス― No.39 2004年9月

●発行所 東京都台東区上野1-1-12 新広小路ビル 協同センター労働情報 気付
     電話 03-3837-2542    FAX 03-3837-2544
●関西連絡所 大阪市北区天満2-1-17 金屋町ビル ゼネラルユニオン気付
       電話 06-6352-9619
● Eメール  apwsljp@jca.apc.org   URL  http://www.jca.apc.org/apwsljp/
● 郵便振替  00180-3-137822
● 編集長 山崎精一 編集委員 高幣真公、榊原 裕美、渡辺 弘、山原 克二 
● 印刷 中原 逸雄 レイアウト 稲垣 豊
● 定 価 300円