在留特別許可取得一斉行動

「7月12日,13日出頭者のプロフィール」

 7月12日、13日に集団出頭した7家族、1個人のプロフィールは以下の通りです。12日に3家族13名が、13日に4家族1個人が、入管に書類を提出し、10指の指紋をとられたのみで、収容されることなく無事帰宅しました。今後は在宅での取り調べを受けることになりました。

※出頭者の年齢は2000年7月12日現在の満年齢です。


S.H.さん一家:父親(39歳)母親(38歳)長女(15歳)長男(14歳)次男(10歳)1991年一家5人で入国、短期滞在【国籍:イラン・イスラム共和国】

S.H.さんは、イラン・テヘランでスーパーマーケットを経営していたが、経営不振のため1989年にマーケットを閉鎖。その後はタクシーの運転手をして生計を立て、一家を養っていた。しかし生活は苦しく、日本に行くことを決意。1991年、一家5人そろって入国。入国後は、友人からの紹介でプラスチック成形工場に勤務。現在は職も安定しており、長女、長男は中学3年生、2年生として、次男は小学校5年生として公立学校に通学している。中学校、小学校高学年になった子どもたちにとって、イランでの生活や教育に慣れることは非常に困難であると考え、子どもたちのためにも、在留特別許可を取得し、日本で安定した生活を続けていきたいと考えている。


M.S.さん一家:父親(39歳)母親(33歳)長女(4歳)長男(6歳)次女(10ヶ月)父1991年4月入国、母と長女1991年10月入国、短期滞在。長男と次女日本生まれ【国籍:イラン・イスラム共和国】父

 Mさんはテヘラン市内で机製造の仕事に携わった後、1984年に妻と結婚、1986年には長女が誕生している。徴兵制で軍隊の仕事に従事したあとは、ミニバスの運転手などをしていたが、国内の政情が不安定なため、経済的に苦しい状態が続いていた。ちょうど従兄弟が日本で働いており、従兄弟の誘いで日本行くことを決意した。1991年4月Mさんは単身で入国、入国時の在留期間は90日間だった。1991年10月には妻と長女が来日、94年には長男が、99年には長女が誕生し、一家5人で暮らしている。長女は現在中学2年生になり、友人も多く、日本の生活になじんでいる。今、帰国しても宗教の戒律の厳しいイランで14歳になった長女が生活することは困難なため、このまま日本で教育を受けさせたいと在留特別許可を希望している。


A.S.さん一家:父親(49歳)母親(39歳)長男(15歳)次男(11歳)父1986年入国、母1988年入国、長男1990年入国、短期滞在。次男日本生まれ。【国籍:フィリピン】

 A.S.さんは、フィリピンでコンビニエンスストアを経営していたが、フィリピンの政治不安による急激な物価高で、経営が困難になる。父親は、コンビニエンスストア経営時の借金返済をできるまで稼ごうと1986年日本に入国。2年間精肉店で働いた後、現在のダンボール製造会社に勤める。1988年には、妻を呼びよせ、夫婦そろって借金返済のためのお金を貯めるため懸命に働いた。1989年には、日本で次男が生まれ出産費用として貯金を使ってしまい、滞在は長くなっていった。次男の出産を手伝うために、1989年母方の祖母が入国。翌年には親戚に預けていた長男を呼び、一家5人での幸せな生活が続いていた。現在では会社の中でも重要な位置を占めるようになっており、Aさん夫妻は、会社で欠かせない存在となっている。中学3年生の長男と、小学校5年生の次男は、地元のサッカークラブなどに入り、日本人の子どもたちの中で生活しており、フィリピンに帰国することなど考えることも出来ないと言っている。子どもの教育・将来のためにも在留特別許可を取得し、日本で安心して生活していくことを望んでいる。



Fさん一家:父親(53歳)母親(35歳)長女(12歳)長男(5歳)父1990年、母と長女1991年入国、短期滞在。長男日本生まれ【国籍:ペルー】

 Fさんはペルーのリマ市で20年以上電気ケーブル関係の会社に勤務していたが、1980年頃からペルー国内で活発になったテロ組織の活動によって、国内の政情や経済が悪くなった。数年間は我慢したが、昼間でも町中でテロ活動が頻繁に起こり、妻や子どもが安心して外出できない治安の悪さを考えると、安定した仕事を捨ててでも、一家で安心して暮らせる国への移住を考え始めた。当初は距離的にも近いアメリカやカナダを考えていたが、知人からすすめられ、日本へ行くことを決意する。1990年12月、Fさんは単身で日本に入国、1991年5月には妻と長女を呼び寄せた。入国時の在留期間は夫、妻、長女とも90日間であった。現在は1992年から勤務している会社で働き、社長からの信頼も厚い。長女はこの春から地元の公立中学に入学し、弁護士になることを夢見て、勉強をしている。ペルー国内の不安定なニュースを見るたび「ペルーに帰るのは怖い」と話している。日本で生まれた長男は生まれつき心臓の病を抱えており、昨年、大きな手術をしたばかり。現在は大学病院で定期的に治療を受けており、今後も長期に渡って治療が必要と診断されている。ペルーでは心臓病の手術などに対応できる医療技術はないため、子どもたちの教育だけではなく、長男の治療も安心して日本で継続したいことを理由に在留特別許可を希望している。


A.L.さん一家:父親(55歳)母親(52歳)三女(18歳)1990年一家で入国、短期滞在【国籍:ビルマ】

 A.L.さんは、第2等機関士としてシンガポールの船舶に乗船して仕事をしていた。妻は、3人の娘とともに、美容院を経営しながらビルマで生活をしていたが、1988年8月8日から勃発した大規模な軍事政権反対の抗議行動にビルマの治安は悪化したため、家族揃ってタイのバンコクに移住した。しかし、当時経済状況のあまり良くないタイで家族5人が生活するのは大変厳しく、1990年一家揃って経済成長の波にのっていた日本に行くことを決意する。入国当時は建集現場などでの仕事に従事し、現在は妻とともに美容院で洗髪などの仕事で安定した収入を得ている。長女は高校卒業後、単身でビルマに帰国、帰国後、ニュージーランドに留学し、現在はニュージーランドで働いている。次女は日本人と結婚し、日本人の配偶者として在留特別許可を求めている。最も幼い時にビルマを出た三女は、現在都立の高校に通う3年生で、日本人の友人たちと受験勉強に励みながら、日本の大学に進むことを希望している。入国から10年経ち、次女は日本人と婿姻関係を結び、すでに強固な生活基盤が日本に形成されていること、子どもが日本での進学を強く希望していることを理由に在留特別許可を求める。


M.S.さん一家:母(37歳)長男(16歳)母1992年入国、特定活動、1993年より超過滞在。長男1995年入国、短期滞在。【国籍:コロンビア】

 M.S.さんは、コロンビアの中学卒業後、働きながらタイピングの専門学校や裁縫の専門学校に通っていた。1992年、アルゼンチン大使館領事の家政婦として幼い息子を祖母にあずけ、ユーゴスラビアのベオグラードに行く。1992年、その領事とともに日本に入国。1年間家政婦として働いたが、主人の妻との関係が悪く、耐えられずに家を飛び出し、日本に住む友人宅に身を寄せる。養鶏場などの仕事をし、1995年に息子を呼びよせ、やっと親子そろっての生活を始めることができた。現在は植木の剪定の仕事をしているが、不景気の中、なかなか仕事はなく、日本での生活も決して楽ではない。しかし、コロンビアでは全く仕事はなく、息子を学校に通わせることもできない。息子は日本の生活に慣れ、工業高校に在学しながら日本で建築の勉強を続けることを強く望んでいる。息子の希望をかなえるためにも、日本での安定した生活をしていくことを望んでいる。


J.M.さん一家:父親(44歳)長女(18歳)父1988年入国、日本語学校生。長女1991年入国、家族滞在。1992年より超過滞在。【国籍:中華人民共和国】

 J.M.さんは、上海公電公司に勤務している間、日本の電気製品に触れ、高度な日本の技術に憧れを抱くようになり、1988年妻とともに入国。東京都の専門学校の日本語課で2年間日本語を学び、その後は日本の高度な技術を身につけるため、専門学校に入学し勉強に励む。1991年、娘を中国から呼び、一家そろっての日本での生活が始まる。専門学校を卒業後、運輸会社での職も決まり一家の生活は安定していた。
 しかし、1992年、技術者としての在留資格変更の申請が認められず、一家そろって超過滞在となってしまう。現在は1998年に姉、友人とともに設立した会社に勤務しており、将来的にも安定した生活を営むことができる。事情があり、現在は娘と2人で生活をしている。現在高校3年生になる娘は日本での進学を強く希望している。娘のためにも日本での生活を続けたいと思い、今回在留特別許可を求め出頭することを決意した。


N.U.さん:(40歳)1990年入国、短期滞在。【国籍:バングラデシュ人民共和国】

 N.U.さんは、1990年、バングラデシュでビジネスを始められる資金を作るため日本に入国。溶接工場などで危険な仕事をしながら、資金を貯めるため真面目に働く。1997年、現在も続けている染色工場での作業中顔面から肩にかけて負傷し、右目は水泡性角膜症となってしまい長期にわたった治療が必要である。バングラデシュに帰国しても治療のあては無く、日本での継続した治療を安心して続けたいと願い、在留特別許可を求め出頭することを決めた。


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