■■ 在留特別許可 ■■

 

国賠訴訟の意見書

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 東京入国管理局に出頭した7名のバングラデシュの青年たちが在留特別許可を認めないとの裁決直後に、国費で送還されてから1年余が経過しました。突然の送還によりバングラデシュの青年たちは、いまだに就職することができず、苦悩の日々を過ごしています。在特弁護団の弁護士が中心となって裁判を受ける権利を侵害したなどを理由として国賠訴訟の準備をすすめてきましたが、5月15日に東京地方裁判所において第一回の裁判が行われました。以下は、弁護団の児玉晃一弁護士が行なった意見陳述です。

 

国賠訴訟 意見書

 

原告ら訴訟代理人 児玉晃一

 

第1 はじめに

 まず、裁判所におかれましたは、ご多忙の中,このようにお話させていただく機会を頂いたことに深く感謝申し上げます。

 私から、原告らに代わりまして、本件訴訟の意義について、申し述べさせていただきます。

 

第2 原告らの裁判を受ける権利の侵害

 まず、第一に、本件訴訟は、原告らの裁判を受ける権利を横暴に奪い去ったことについての責任を問うものです。

 私も、弁護士登録をして13年目になりますが、この間、非常に多くの様々な外国人の方、あるいはその近親者、支援者の方から退去強制令書や在留特別許可を巡る相談を受けてきました。また、同じような事件を手がける弁護士仲間や、外国人支援NGOの方々と情報交換をしてきました。

 そのような体験の中で、はっきり言えるのは、本件は、前代未聞の方法で、原告らに対する強制執行を敢行した、ということです。

 通常の実務では、退去強制令書が発付されても、直ちに国費で送還されるということは、、まずありません。例えば、オーバースティで執行猶予判決を受け、すぐにでも帰りたいといって自費出国を希望するものであっても、チケットや旅券の手配、航空会社のフライトスケジュールの関係で入管に1週間くらいはいるのが普通です。裁判を起こす予定ですぐに送還に応じるつもりのない人たち、あるいは送還費用を用意できない人たちは、一定期間東京入国管理局(現在は品川にあります。)の収容場に収容された後、長期収容に対応できる施設がある、茨城県牛久市所在の入国者収容所東日本入国管理局センターに移送されます。

 そこで、本件では、2005年1月21日の午前7時頃に退去強制令書が発付されたことが告げられ、その僅か4時間後には、国側が準備していたビーマン航空の飛行機に乗せられ、原告ら6名を含む8名のバングラデシュ人が強制送還されたのです。当時は、丁度バングラデシュのお祭りの時期と重なっていて、チケットが取りにくい時期でした。かなり早い段階から、このような問答無用の強制送還が計画されていたのだと思います。私たちは、この訴訟に先立って、入国管理局職員が原告らに、強制送還を告げるところから飛行機に乗せるまでの状況を撮影したビデオを証拠保全という手続きによって見ることができました。みな、在留特別許可は認められないということを告げられ、呆然としている中、今すぐ帰るという全く予想もしていなかったという命令を言い渡されました。その中には、弁護士に連絡を取りたいとはっきり言っていた人、支援団体であるAPFSの吉成さんに電話をしたいとはっきり言っていた人もいました。しかし、入国管理局職員は、決まったことだから、とか、時間がないと言うだけでした。彼らは、十数年間日本の中で真面目に暮らし、多くの友人や同僚に囲まれ、日本社会の一員として働いてくれたにもかかわらず、入国管理局は最後の挨拶の機会すら与えなかったのです。

 調べたところ、過去に同じような暴挙をした事件が一つだけありました。この事件は、1968(昭和43年)年に、日本で台湾独立運動をしていた台湾出身者が夕方4時ころに仮放免期間更新のために出頭したところ、収容し、翌日午前9時40分の飛行機で送還したというものです。しかし、この事件ですら、入管当局は収容から2時間後に保証人に連絡を取り、その夜法務省入管局長に接触を取ったり、その翌朝午前8時過ぎに執行停止の申立てを行い、裁判所からも入国管理局に連絡を取ることができた、というものでした。

 本件では、そのような機会すら全く与えず、強制送還が行なわれたのです。

 退去強制令書に対する執行停止申立てを行なった場合、従来の決定例では、少なくとも送還部分については、「回復困難な損害を避けるための緊急の必要」(旧行訴法25条2項)が認められるのがほとんどでした。それは、本国に帰ってしまったら地理的・物理的なハードルで裁判を受けることが非常に困難になり、取り返しが付かないことになる、という理由からでした。

 まさに本件において、原告らは裁判を受ける権利を剥奪されました。このことが違法であることは、誰の目にも明らかです。

 

第3 必要性のない手錠の使用及び非人道的・品位を傷つける取り扱い

 これに加えて、今回の送還で、入国管理局は、全く無抵抗の原告たちに手錠を掛けて送還するという暴挙にでました。

 法務省が作った被収容者処遇規則というのが、手錠などの戒具を使える場面を定めています。そこでは、自分や他人を傷つける危険がある場合、物を壊す危険がある場合、逃亡する危険がある場合、そういう場合に限って手錠などを使えると定めています。

 そして、ここに、日本政府が、拷問禁止条約という条約をちゃんと守っているかどうかについて報告した文書があります。その中でも日本政府は、「被収容者に逃亡、暴行等のおそれがあり、かつ、他にこれを防止する方法がないと認められる場合は、必要最小限度の範囲で使用できる」としています。

 今回の手錠使用が、このいずれの場合にも当てはまらないのは、ビデオを見れば明白です。

 そして、彼らはその上、在任のごとく手錠で繋がれ、衆人環視の中でトイレに連れて行かれたり、あるいはお互いに手錠を繋がれる姿を曝されることになったのです。極めて非人道的な行為で、絶対に許せません。

 

第4 坂中英徳個人の責任

 以上から、私たちは国家賠償請求をすることを決意しましたが、本件では当時の東京入国管理局長だった坂中英徳も被告として、個人責任を追求することにしました。

 通常の場合であれば、公務員が職務上違法行為をしたとしても、その公務員個人が責任を負うことはないとされています。

 しかし、本件の3日前、国連難民高等弁務官事務所が難民として認定したクルド人を収容し、直ちに送還しています。この点からも、本件は坂中英徳によって、意図的に原告の裁判を受ける権利を奪おうとする強権発動をしたことの一環と位置付けることができます。このような場合には、公務員個人であっても責任を負うべきです。

 また、国家賠償法には相互主義という定めがあります。これは、今回とは逆に、バングラデシュで日本人がバングラデシュの公務員によって何か損害を受けたときに、その日本人がバングラデシュ政府に対して賠償を求めることができる、という規定がなければ、例えば日本の入国管理局職員がバングラデシュ人を殴り殺したとしても日本の国は責任を負わないという制度です。

 その制度自体、非常におかしなものですが、この制度が本件で適用されてしまいますと、国は責任を負わないことになってしまいます。しかし、それで誰も責任がないというのはおかしい。そこで、一般論に戻って、悪いことをした人が責任を取る、という当たり前のことを訴えるため、坂中英徳も訴えました。

 

第5 最後に

 原告らは、日本でオーバースティ以外の違法行為をしておらず、自らの意思で在留特別許可を求めて自発的に出頭したのに、収容されたばかりか、最後の最後に、友人たちと別れを告げる機会も、自分の荷物を整理する機会も与えられず、何よりも、憲法上保障された裁判を受ける権利を奪われ、最後には罪人のごとく手錠で繋がれて送還されました。

 なぜそんな仕打ちを彼らだけにしたのか、全く理解できません。

 裁判所におかれましては、是非とも入国管理局と坂中英徳による暴挙を認め、原告らに対する正当な賠償を命じてください。

(2006年5月15日)




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ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY (APFS)