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貧乏記者のアフガン現地ルポG  (11月11日号/181号)

I dismis you.

 夜明けとともに宿を発った。ドライバーのサルドールは鼻歌まじりで機嫌がいい。恐怖の一夜を無事に超えたという安堵感と、オレから追加料金をいくらふんだくれるか皮算用でもしているのだろう。200ドルとはよくも言ったものだが、おそらく落としどころを150ドルくらいにおいているのだろう。おまえなんかには15ドルでも余分に払う気はない。
 遠く山のすそ野にはいく筋ものたつ巻が煙のように立ちのぼっている。細かい土ぼこりにやられてとうとうカメラが動かなくなった。予備のカメラはカブールの宿に置いてきてしまっている。


「アイゲロオフヒア」車を降りた

 相変わらずのノロノロ運転で午後2時をまわってやっとカンダハールに着いた。とりあえず町の中心部まで行ってくれと言うと、ここが中心だと言う。
 車の中から見回すとそこは泥でできた商店街だった。サルドールがあらためて助手席の私に向かい、「追加料金を払わないなら他の車を探して1人で帰れ」と言った。
 私はまったく取り合わなかった。「アイディスミスユー(きみを解雇する)。アイゲロオフヒア(ここで降りる)」
 そう言って、やつの反応も見ずに車を降りた。歩きながら頭のなかでこれからなすべきことの優先順位を急いで整理する。とにかくまずは安全な宿を見つけて荷物を置き、それからカブール行きの乗合自動車の発着場を見つけ、そこへ行って料金の相場を確認し、その後とりあえずユニセフにでも情報をもらいに行ってみよう。
 商店街のなかに入っていって少しでも英語が話せそうなやつに片っ端から話しかけるが、まるで通じない。カブールとはえらい違いだ。カブールでは外国人と見ると放っておかない。大人たちは通訳に雇ってもらおうと、子どもたちは「生きた英語の勉強」とばかりに、ひどいアフガン訛やボキャブラリーの乏しさなどまるで気にせずに話しかけてくる。
 それがカンダハールでは私を取り囲んでいる誰1人として英語を解さない。バザールの雑踏のなかでヒゲづらのおじさんたちに囲まれて、ジェスチャーを交えてなんとかコミュニケーションをしようと悪戦苦闘していると、いつのまにか横に通訳のファクールが立っている。
 「きみも彼と一緒に行っていいんだよ」と言うと、ファクールは「彼は誠実じゃない。あなたとの約束を守らなかった。私はあなたと一緒に行きたい」と殊勝なことを言うではないか。賢いやつだ。
 バカなサルドールは通りの向こうに車を止めてときどきクラクションを鳴らしてこちらをうかがっている。もうおまえとは交渉しないんだ、あっちへ行け。カンダハールに来るのは5回目だというファクールは、安くて安全な宿をすぐに見つけてくれた。

カブール以外は外国人にはまだ危険


 サルドールとの一件以来、ファクールははっきりそれとわかるほどに、きちんと私をサポートしようとするようになった。取材先の所在地を探すにも自分からどんどん通行人に声をかけて確かめてくれる。私のセキュリティーには特に気をつかってくれる。ホテルで部屋の外にある共同シャワーやトイレを私が使っているときは、必ず部屋とシャワールームの両方が見える廊下の角に立ち、終わるまで待っている。
 ちょっとした買い物でも「1人で街に出るのはよくない」と、必ずついてきてくれる。どこにいても常に私と荷物から目を離さず、立つ位置も的確だ。カブールへ帰るときのタクシーを50ドルで雇ったときも車のナンバーを控えていた。あるとき、「誰かのボディーガードをしたことがあるのか?」と聞くと、「イランにいたときにしていた」と言った。
 確かにカブール以外の街は外国人にはまだ危険だった。われわれが着いた前日には、普段着で歩いていたアメリカ兵がバザールで狙撃されて死んだと、カンダハールのユニセフの職員が教えてくれた。カブールで買った英字新聞には「東部のホースト州一帯で、『外国人のソルジャー、エイド関係者、ジャーナリスト1人につき、殺した場合は5万ドル、生け捕りにしたら10万ドルの賞金を出す』というビラが撒かれている」と報じていた。
 しかし私にはカンダハールは穏やかな街に見えた。何よりも物乞いが少ない。カブールの街にあふれていた、しつこくまとわりついてくる子どもの物乞いは1人もいない。大きな寺院の門などには、おそらく夫をなくしたのであろうブルカをまとった女性たちが数人物乞いをしているが、決してしつこくつきまとうようなことはない。「保守的なまち」、「タリバンの拠点」などと言われるカンダハールだが、別の見方をすればイスラムの道徳が人々を律していてドルに汚染されていない、とも言えるのだ。
 バザールを歩いていると刺すような視線が私に注がれる。私も強い視線で見返し、それから少しだけ表情を和らげ胸に手をあて「サラームレイクム」と挨拶する。と、相手も穏やかに応じる。そして「どこから来た」と聞かれ「日本からだ」と答える。すると決まって「お茶を飲んでいけ」と勧められるのだ。 (つづく)


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