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貧乏記者のアフガン現地ルポF  (10月14日号/179号)

フリーの記者をなめるなよ!

 カンダハールは遠かった。ドライバーは相変わらずノロノロよたよたと車を走らせている。
 ワゴン車が土埃をあげて追い抜いていった。ボディーに「下町タイムス社」と書いてある。思わず声に出して笑った。通訳のファクールがなんと書いてあるんだと聞く。「ザッツミーンズダウンタウンニュースペーパーズカンパニー」と答えておいた。ほかにも笑える車が何台も行きすぎる。「三万石せんべい本舗 三浦市宮沖町420」(ワゴン)、「笑顔の食卓文化ニコニコのり」(ライトバン)、「公認 御殿場自動車学校」(マイクロバス)、「陸中海岸国立公園 気仙沼湾岩井崎 民宿先野屋」(ワゴン)、「熊本営林署」(ライトバン)。車体に日本語が書いてある方が高く売れるそうだ。「株式会社 福田組」のワゴンが猛スピードで追い抜いていった。後部ドアに「わが社の自慢・安全速度」というステッカーが貼ってある。ちゃんと守ってほしいものだ。

砂漠のなかの月光仮面

 アフガニスタンの乗用車の99%は日本車だ。それも中古車というより廃車に近い。そういえばペシャワールで乗ったリキシャ(ダイハツミゼットみたいな三輪タクシー)の運転手が言うとったなあ。彼は去年の夏ごろまで埼玉県春日部市にいて、中古車を買い付ける仕事を手伝っていたそうだ。行き交う車を指さして「これもゴミ」「あれもゴミ」「ここの車、日本ではみんなゴミ。500円でも誰も買わない。逆にお金払わないといけない」と自嘲気味に言っていた。しかしそんなことで優越感に浸るわけにはいかない。使えるものをゴミにする社会のほうがおかしい。
 ちなみにアフガンのタクシーはほとんどが白と黄色のツートンカラー。白地に黄色のペイントだ。塗り方はいろいろで、上が白で下が黄色、その逆、ドアだけ白、ボンネットとトランクだけ白、などバリエーションは抱負だ。10年以上前、日本の乗用車のほとんど八割近くが白だった時代があったがそのころの車がアフガンに回ってきている影響ではないだろうか。
 で、おもしろいのは、ボディーに「National Panasonic」と大書してあるタクシーが多いこと。最初は松下電気関係のセコハンが何らかの理由で大量に輸入されたのかと思っていたが、よく見るとどうも様子が違う。第一あまりに数が多すぎる。たぶんステイタスマークのようなもので、自分たちで勝手につけてあるのだ。日本でもすこし前、UCLAシャツやUCLAバックが流行りましたね。シャネルやグッチのカバンを持って得意げに歩いているお姉ちゃんもフランス人やイタリア人から笑われているかもよ。
 ときどき自転車に乗って砂漠を渡って行くおじさんとすれ違う。中国製の頑健な自転車だ。デコボコだけど土地は平坦だから結構気持ちよさそうにペダルをこいでいる。去年アフガン北部に入ときは馬にも乗ったがあれは快適だったもの。車でも20〜30キロしか出せないのなら自転車も悪くない。ヒゲ面とターバンと砂漠と自転車か。もっともっと平和になって道もよくなればアフガニスタンは中国並みの自転車王国になるかもしれないな。バイクもときどき見かける。白いターバンの端をタリバン風に肩から垂らし、砂漠を疾駆するおじさんは月光仮面みたいでかっこいい。

こだまする不気味な声


 日が傾いてきた。これでは今日中に着かない。だんだんイライラしてくる。もっと早く走れないのかとサルドールに言うと、逆にこの辺で宿を探そうと言いだした。暗くなったら危険だから走れないと真顔になっている。仕方がない。街道沿いのシャージュイという村でようやく宿を見つけた。カンダハールまでまだ200キロもある。
 窓が一つあるだけの泥の部屋に通された。ドアには頼りない錠がついていて、床には汚れたブランケットが敷いてある。電気もない。「サソリや毒蛇が出るかもしれないから気をつけて」とファクールが言う。どうやって気をつけたらいいんだ。
 部屋に落ち着いて硬いナンを囓っているとサルドールがとんでもないことを言い出した。「もう200ドル余計にくれ」というのだ。「余計にかかった日数分の日当は出すがそれ以上は払わない」と拒否すると、「それなら他の車を雇って帰れ」という。この野郎、足もとを見やがって。しかしここはグッとガマン。「どうするかはカンダハールに着いてから決める」とだけ言って話を終わりにした。カンダハールに着いたら、こいつの言うとおりクビにしてやる。200ドルもあったらランドクルーザーでも雇えるぞ。カンダハールからカブールまで1人で帰れずにフリーの記者が務まるかってんだ。なめるんじゃねえ。
 埃っぽいブランケットを被り床についた。ファクールはドアのすぐそばに敷物を敷いた。用心のためだという。サルドールは車が心配だから車の中で寝るという。
 寝付けない。ここに100ドル札十数枚を腹巻きに隠し持つ非力な外国人がいる。カネを奪い取るのはわけもない。犬がしきりに遠く近くで吠えたてる。そこに「オウ」「オウ」と人の声が混じる。それが一晩中続く。ファクールも眠っていないことが気配で分かる。
 窓のすぐ外で「ダーン」と銃声が轟いた。飛び起きた。ついに来た。腹をくくった。「何が起きた!」とファクールに声をかける。以外にも彼は落ち着いている。ヘッドランプをつけ時計を見ると午前3時。「心配ない。不審な人がいたので警備の者が『オウ』と声をかけたが、返事がないので威嚇のために撃ったんだ」
 それで思い出した。「オウ」というのはペルシャ語で「はい」の意味だった。辻々にこだましていた不気味な声は、互いに不審者ではないと確認するためのものだったのだ。犬が多いのも警戒のためだ。結局一睡もせずに夜明けを迎えた。空がぼんやり明るくなってくると心底ホッとした。砂漠の果ての山の向こうから太陽が出てきた。アフガニスタンの夜明けはこころに沁みいる美しさだった。(次回につづく)

   
[砂漠のなかを走る自転車]           [シャージュイ村の宿での筆者]
                    

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