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貧乏記者のアフガン現地ルポD  (7月22日号/174号)

銃声とクラクションと札束

 今回の取材旅行ではパキスタンのイスラマバードからアフガニスタンに入って出てくるまですべて陸路を行った。道々目にしたこと、考えたことなどを数回に分けて報告したい。

貧乏人は陸路を行く

 なぜ陸路で行ったかというと……。その通りです。お金がないから。イスラマバードからカブールまで国連機で行くこともできるが、片道一時間半ほどのフライトで600ドル(7〜8万円)も取られてしまう。去年の秋、カイバル峠からカブールへ行く途中で4人のジャーナリストが車から降ろされて銃殺されたが、そのころが一番高くてなんと片道3500ドルもした。45万円というと日本を出てから帰るまでの私の全旅費に相当する。
 別に国連が人の弱みにつけ込んでぼったくりをやっているわけではない。料金は機材代、燃料代などの経費を頭割りして出しているらしいが、なかでもとりわけ原価を押し上げているのが保険料だ。先の3500ドルのころは1回の離発着につき4万ドル(500万円)の保険料を払っていたそうだ。引き受けているのは外国の保険会社だが、これまで一度も事故や戦禍に出会って被害を受けたとは聞いていないから、保険会社はぼろ儲けをしていることになる。博打の胴元みたいな商売だ。カブールから国内各都市へも国連機は飛んでいるが料金は距離によって算出されるので似たようなもの。
 これを陸路で、かつ庶民が利用する乗合自動車中心で行くと……。イスラマバードからペシャワールまで70ルピー(140円)、ペシャワールから国境までは「トライバルエリア(部族自治地域)」となっていて国境警備隊兵士一人を同乗させねばならず、タクシーをチャーターせざるを得ないので400ルピー(800円)、そこからカブールまで乗合自動車で15万アフガニー(600円)、計1540円で行ってしまう。

山の向こうのお花畑


 カイバル峠は西遊記の火焔山を思わせるような荒涼とした山岳地帯。峠を越えたところに国境の町トルハムがある。ここまでは道も舗装されていて快適にたどり着けた。国境を挟んで数キロにわたって小屋がけした雑貨屋、カバブ屋、チャイ屋、そして露天の両替屋、タバコ屋などが続く。本来国境とはこうしたにぎわいがあるものだろう。ここは国と国、民族と民族、文化と文化が行き交う地点なのだから。
 そうしてみると去年越えたタジク・アフガン国境がいかに厳しく閉ざされていたかがあらためて思い起こされる。タジク側には一軒の店舗もなく、わずかにアフガン側に2軒の露天雑貨商が煙草や飴など乏しい商品を並べていただけだ。
 それにしても、ここ数年、取材目的国へ入るのにバスや汽車、飛行機などの乗り物に乗って国境を越えたことがない。3年前のコソボ、去年のアフガン北部、そして今回も。国境を歩いて越えてアフガニスタンに入り、しつこく声をかけてくるタクシーを振り切り、乗合自動車乗り場まで1キロほど歩く。昼過ぎ、10人乗りの車に15人ほど客を押し込んで車は出発した。
 アフガン側の山麓を下り平野部に入ると、青々とした麦畑が広がりはじめる。街道に沿って松並木の緑のトンネルがどこまでも延びる。果樹園らしいものもある。柔らかい風に穂をそよがせている緑の絨毯のなかにどういうわけかお花畑もちらほらする。白やピンクの花々、菜の花の黄色、麦の緑、空の青。まるで高画質カラーテレビやフィルム会社の宣伝写真のよう。でもなんでこのアフガニスタンで花卉栽培が行われているのか? ひょっとしてこれポピーか? ケシ畑か、これって! 作付け面積にして全体の2〜3割はあろうか。しかし街道沿いでこうも堂々とケシ栽培が行われていようとは……。緑のトンネルを抜けると再び見渡す限りの土漠となる。涸れきった川筋に沿って廃墟が連なり、避難民のキャンプが陽にあぶられ乾いた風に吹きさらされながら大地にへばりついている。

                     
                    

アフガニーの値打ち


 運転の荒さはパキスタンもアフガニスタンも共通している。「男は誰よりも速く走らなければならない」という土地柄だそうだ。そしてけたたましくクラクションを鳴らし続ける。「パパパパパパパパパーン」と機関銃のように鳴らす。数えたら1秒間に6〜7回鳴らしているから1分間で360発。まさに機関銃並みだ。対面から迫ってくるトラックとすれすれのところで正面衝突を避けながら「パパパパパパパパパパパパパパーン」と鳴らし続ける。よくそんなに小刻みにクラクションを押せるな、と感心して手元を見ていると、クラクションは押しっぱなしだ。つまり「パパパパパパパパパ……」と鳴るように最初から改造されているのだ。
 ジャララバードを過ぎると再び山が迫り、舗装もとぎれる。うねり出す道すがらドライバーが客から集めたアフガニーの札束を数えはじめた。左手に札束を持ち右肘でハンドルを押さえつつ右手で札束をシュッシュッとさばいて器用に数える。対向車が来ると右に左にハンドルを切りながら、パパパパパーンを連発し、目は前方を見据えつつ視線の片隅に札束をとらえながら数えている。思わず「ヤメテクレー」と心の中で叫んでいた。
 アフガニスタンは「札束社会」だ。なにせ一アフガニーが0.0037円だから札束を持ち歩かなければ買い物ができない。
 恥多く銭少なき我が人生の来し方を振り返ってみると、「札束でホッペタをはり倒してやりたい」奴にも幾度ならず出会ったものだ。しかしそれはかなわず一人歯ぎしりするのみだった。それがアフガンでは物理的に可能なのだ。私のリュックには100万アフガニーの札束が5〜6個、無造作に放り込まれている。「フフフ……」などと不敵に笑ってみたが、だからどうなんだ。
 街道沿いの食堂で飯を食べた後、運転手はよほどすきっ歯なのか、しきりに歯をせせっている。最初は小指の爪先を歯の間に立てて食物の残滓を掻き出そうとしていたが、どうにもうまくいかないようだ。そのうち1000アフガニー札を二つ折りにしてその折り目のところで歯をせせりはじめた。爪楊枝程度の値打ちなのだな、アフガニーというのは。
 国境の町を出発して6時間、日が暮れかけている。運転手が不意に車を道ばたに寄せて停車した。男数人が運転手とともに降りていく。トイレタイムかな、と思ってついていくと、小さな山の中腹で西の方に向いてお祈りを始めた。運転は荒いが信心深い。
 日もとっぷり暮れてスロビーの町にさしかかった。このあたりで去年、4人のジャーナリストが殺されたんだ。町はずれで銃を持った男3人が停車するように何か言っている。運転手も何か言い返して、止まらずにそのまま通り過ぎた。後ろを振り返ると人が銃を構える仕草をした。思わずシートの後ろで頭を引っ込めた。
 夜九時、カブールに着いた。 (この項、次回につづく)

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