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貧乏記者のアフガン現地ルポ@  (5月28日号/170号)

ケシ栽培の復活と軍閥支配

 アフガニスタンにはいま、大量のドルと英語と欧米文化がなだれ込んできている。カブールの街を歩くと、このままではアフガンはあっという間に西欧化されそうな錯覚を覚える。しかしカブールを一歩出ると、昔ながらのアフガンが厳然として残っていることに衝撃を受ける。たとえば地方の支配構造は従来と少しも変わっていなかった。

世界トップのアヘン産地

 4月下旬のアフガニスタン東部国境付近はケシ問題で騒然としていた。
 アフガニスタン東部、ニンガルハル州の首都ジャララバード近郊の幹線道路を走ると、青々とした麦畑のなかに白とピンクの色鮮やかなケシ畑が点々と広がる。タリバン時代に厳しく禁止されていたケシ栽培が復活しているのだ。
 1990年代、アフガニスタンは世界の8割以上のアヘン(およびそれを精製したヘロイン)産地だった。しかし国連の勧告にそってタリバン政権がケシ栽培を禁止した結果、昨年の生産量は1割程度にまで激減、トップの座をミャンマーの三角地帯に譲った。
 一方の旧北部同盟陣営は戦費を稼ぎ出すためにケシ栽培を積極的に利用した。その北部同盟の勝利で「ケシ解禁」と農民が錯覚したのかもしれない。
 しかし国際社会の批判が高まるなか、アフガン暫定政府はケシの刈り取りに動き出した。ニンガルハル州のハジ・カディル知事はケシ栽培農家に対し、刈り取るかわりに栽培面積1ジェリブ(2000u)あたり250米ドル(後に350ドルに増額)を補償すると提案。これに対する農民の要求は3千ドルで大きな隔たりがあった。
 そうしたなか農民の要求を押し切ってケシの刈り取りを強行したため、周辺のアチン郡やロダット郡では住民と軍の間で戦闘が起き、ホギャニ郡では住民2万人が銃を持って集まるなどして気勢を上げた。4月22日には政府軍がガニヒール郡のポピーバザールを急襲、6トンもの生アヘンを押収したが、その後も地元民兵と銃撃戦が続いている。これとは別に隣りのパクティア州では、地元軍閥と現職知事派軍の戦闘が26日夜から始まり。数日間で少なくとも死者25人、負傷者100人が出た模様。
 [ニンガルハル州ソルフロッド郡のケシ畑]

生きていくために…


 タリバン政権崩壊後、アフガニスタンは軍閥配下の武装グループが支配する地域に分断されており、ケシ問題も絡んで騒然とした状況下にある。首都カブール以外では暫定政権の支配力は弱い。地方軍閥の多くがアヘン取引によって資金を調達しているといわれる。
 暫定政権の力がおよぶ地域で、やむなく刈り取りに応じた農民も、刈り取られる前に少しでもアヘンを採取しておこうと一家総出で畑に出ている。
 写真の農民はハミドラーさん(36歳)。細かな爪のついた棒で、ケシの頭に下から上へ縦に引っ掻き傷をつけると薄紫の液がにじみ出てくる。これを翌朝、ほどよく固まったころにこそぎ取って収穫する。本来の収穫時期より1週間ほど早いが、明後日には軍隊がきて刈り取らされるのでやむを得ないという。
 アフガニスタンではケシの液は古くから咳止めや傷薬など万能薬として使われてきた。彼らにアヘンを吸引する習慣はなかったが、今ではアヘンやヘロインの中毒患者が徐々に広がっているといわれる。大麻からつくるハシシは南部カンダハール地方では青年層に普通に吸われている。
 ケシ栽培は麦に比べ100倍近い収入にはなるが、それでも先進国の暗黒社会が麻薬取引で得る利益に比べたらきわめて微々たる金額でしかない。
[収穫に追われるハミドラーさん]                      

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