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『ACT―市民の政治―』184・185号(2003年1月1日)

Line Up

  ◆新春メッセージ
     「生きる力」  絵:上渕翔
  ◆尼崎市長選の総括と展望――酒井一さん(尼崎市議)に聞く
  ◆沖縄の基地・環境・経済 食い物にされる現実       宇井純(沖縄大学教員)
  ◆富山・大山町選 野入美津恵さんが出馬
  ◆戦争はもうイヤ・渋谷で反戦集会
  ◆いずみ(編集長コラム)
  ◆脱・原発ニッポン!
      浜岡      伊藤実(浜岡町原発問題を考える会)
      六ヶ所村    六ヶ所・牛小舎
      島根      芦原康江(島根原発増設反対運動)
      上関      木原省治(原発はごめんだヒロシマ市民の会)
      東海村     相沢一正(東海村村議)
  ◆関西発・Green Youth Campaign対談
      稲村和美(白井文選挙事務局スタッフ)
      大野拓夫(「みどりの会議」事務局)
      桂睦子(茨木市議)
      清水耕介(関西外国語大学教員)
  ◆狭山事件から40年・第2次再審請求のたたかいの今
      石川早智子さんに聞く
  ◆183号・丸山茂樹さんからの批判文をめぐって
  ◆韓国・市民運動のいま     丸山茂樹(参加型システム研究所/韓国農漁村社会研究所)
  ◆BOOK Review  清水直子・わたなべゆうこ 著  今井理恵 監修 『“ほっ”とする生理痛の本』
              ジョゼ・ボヴェ+第11回市民派遣団 著  コリン・コバヤシ 訳
                    『パレスチナ国際市民派遣団 議長府防衛戦日記』
              ジョエル・アンドレアス 著 グローバルピースキャンペーン有志 訳 きくちゆみ 監訳
                    『戦争中毒』
  ◆CATCH UP
  ◆広告(5面) 『人生のお汁』ほか……偕成社
            『記録』1月号/『車掌の本音』……潟Aトラス
            『QUEST』NO23……オルタ・フォーラムQ
            『創』1・2月号/『オバハンからの緊急レポート』……創出版
       (8面) 『軍縮』2月号……宇都宮軍縮研究所
            健康食品ケンコウキン……泣Jルティエ
            『みんなの森』創刊号/『愚かな国の、しなやか市民』……ほんの木

      関西発 Green Youth Campaign対談     

私たちが考える
赤と緑/緑の政治と市民

稲村和美(白井文選挙事務局スタッフ)
大野拓夫(「みどりの会議」事務局)
桂睦子(茨木市議)
清水耕介(関西外国語大学教員)
 2003年の新春特別対談は、Green Youth Campaignの4人の方々に登場していただきます。このキャンペーンは、次回の統一地方選に出馬する20代、30代の若手「市民派」候補を応援しようと関西を中心に企画されたもので、所属や運動を超え、新しい「緑」の息吹をつくっていこうと現在、広く活動を展開中です。なお、今回の対談は、夏の合併号で、関西で活動する「緑のワカモノ」を紹介していただいた清水耕介さんにコーディネートをお願いし、清水さん自身も対談に参加していただきました。

虹≠チてのに魅かれたんだよね

 清水 今日は、緑の政治に参加している若者ということで、3人の方に集まっていただきました。3人ともGreen Youth Campaignに参加しているんだけど、一応紹介すると、「みどりの会議」の大野拓夫さん、虹と緑(「虹と緑の500人リスト運動」)のスポークスパーソンで茨木市議の桂むつ子さん、虹と緑の会員で、この前の尼崎の市長になった白井文さんの選挙事務所を取り仕切ってなんとあの『赤旗』の1面に写真の載った稲村和美さん。ほんで、僕は虹と緑の会員/政策アドバイザーで関西外国語大学教員の清水耕介です。それでは、自己紹介的な話からスタートしてみましょうか。まずは、みんな「緑の政治」に興味を持ったのはなぜなのかというところからでどうでしょう?
 稲村 私は「緑の政治って何?」っていうレベルなんだけど……。まず、そこから教えてって感じ。
 清水 ありゃま、いきなり根源的な問題に直面しちゃった(笑)。でもさ、それって実は皆わからないんじゃないの? まぁ、とにかく今日は気楽に進めていこうよ。それで、今日のディスカッションになったわけだし。じゃ、とりあえず虹と緑に興味をもったのはなぜなの?
 稲村 私さ、虹と緑が始まったときには、あまり緑の政治ってのにこだわってなくて……。どちらかというと「虹」ってのに魅かれたんだよね。
  初期のころには、「虹」ってのに焦点をあてていたよね。
 稲村 そうそう、特に関西はそっちを主流に議論したから。
  グローバルーグリーンズ(※2001年にオーストラリアで開催された「緑の党」の世界大会)以来、みんな緑の党の方に走っちゃってさ、虹の部分――民主主義の部分ってのが忘れられてたような気がする。もっとも世界的な流れを見ると緑の党の「緑」のなかに民主主義って重要な概念として入っているのは明らかなんだけど、日本のなかでは「緑」を正確に定義しないまま「緑の政治」の議論に入っていったような気がするのよね。
 それで、私たちは2002年2月の関西でやったの虹と緑の研究会でもう一度「虹」を強調したわけ。
 稲村 私の感覚でいうとさ、私がOLやっている間にいつの間にか「虹」がどっかへ行ってしまったという感じ。(笑)
 大野 虹と緑のなかでも、感覚・意識の違いってのはあったんだ。
 桂&稲村 ある! ある! むちゃくちゃあるよ。
  っていうか、そもそもから違いがあったのか……。
 大野 それともみんなに十分理解されていなかったのか?
  もしかしたら理解されてなかったっていう方が確率的に高いんちゃうかな〜。
 清水 ただ、緑の党といっても結構バラつくんやない? ヨーロッパとオーストラリアでは力点の置き方がかなり違うやろうし。オーストラリアは自然環境中心だけど、ヨーロッパの緑は自己決定を強調するみたい。で、僕自身は自己決定に拘っていて。ま、だから関西の水が合うんだけどね。その点からいうと、虹と緑でちょっと気にかかるのは、「『緑』とはかくあるべし」という規範っていうのかな〜、そんな感じが強いような気がする。
  それってね、日本の革新の流れっていうか……。たとえばね、「原発反対」ってのを打ち出すと、それが縛りになってしまって、なぜ反対なのかが問われなくなってしまっているようなことやよね。それが、虹と緑のなかにも持ち込まれていたのかな〜って思うわ。
 清水 それは憲法の問題なんかもそうでしょ?
  そうやね。議論しないまま「護憲」とかまだ平気で言っちゃうやん?
 清水 「非暴力主義=9条守りますってことなの?」って思っちゃうよね。やっぱり、この国が9条を盾にしている間にも世界中のいろんなところで戦争が起きているわけやん? こうした問題が語られない――語っちゃいけない、というような雰囲気って虹と緑のなかに意外とあったような気がする。「九条を守る」というのと「9条の精神を守る」というのは違ってると思うし、その意味で「護憲」のレトリックから解放されなければならないと思うんだけど……。
  これまで、いろんな局面で、虹と緑のなかでどうやって合意点を見つけるのかって難しかったような気がする。
 清水 声明を出したりとかってこと?
 稲村 そうそう。具体的には誰かを入れるといったときにさ、どういう基準で入れる入れないを決めるのかとかっていう、非常に具体的な問題があったわけよ。
  この問題は、少なくとも関西ではクリアーできないままに来てるよね。

以下、本紙をご覧ください 

稲村 和美
奈良県出身30才。神戸大学在学中、阪神・淡路大震災での避難所ボランティアが原体験に。「神戸大学総合ボランティアセンター」設立、初代代表。被災者支援を求める政策提言活動のなかで「市民派議員」と遭遇。「虹と緑の500人リスト運動」関西ブロックの立ち上げに参加、市民会員に。1998年、証券会社に入社。2002年「出馬退職」。白井文尼崎市長選挙事務局専従スタッフも務めた。

大野 拓夫
愛知県出身34才。中学生の頃学校則の問題で民主主義や国家というものに目覚める。19才で上京し、環境問題などの勉強会を始める。その後環境問題の出版プロジェクト「グループ環」を立ち上げ、国際青年環境NGOのA SEED JAPAN、エコ・リーグ(全国青年環境連盟)などの立ち上げに関わる。自然食品の販売、林業などに従事。現在は日本での緑の党設立をめざす「みどりの会議」事務局を務める。

桂 睦子
大阪府出身34才。相愛高校卒(1984年奈良国体新体操で優勝)。大阪体育大学を怪我のため中退し、服飾メーカーに勤務。その後、フィリピン支援ボランティアや祖母の介護を通し政治に興味を持ち、97年、28歳で茨木市議選に。その時に応援してくれた仲間たちと「元気フォーラム」をつくり、市議として、市民として主に環境、人権問題、行政改革、情報公開に取り組む。現在2期目。虹と緑スポーク・スパーソン。

清水 耕介
佐賀県出身37才。国際関係学博士。虹と緑の政策アドバイザー。著書に『市民派のための国際政治経済学:多様性と緑の社会の可能性』(社会評論社)。来年には『新国際政治経済学』(ミネルバ書房)を出版予定。

いずみ

 65年に締結された日韓条約に反対する運動は、60年日米安保条約改定反対闘争以来の盛り上がりであった。この頃、私は大学に籍を留めおかれたまま、ショッカク(「職業革命家」という言葉があった!)の修行のために労働組合の書記局に勤めていた。だから学生運動としては休暇をとって神戸で数千人の学生デモを率い、労働運動としては組合動員で数万人の国会包囲デモに出かけるという現在のチンタラした生活からは想像できないエネルギッシュな活動をしていた。韓国では、60年の4・19李承晩政権打倒以来の学生運動が、朴正熙政権の屈辱的韓日交渉に抗議して命がけで蜂起していた。
 我々のスローガンは、南北朝鮮の分断を固定化し、軍事独裁政権の延命に手を貸し、極東の平和を脅かし、日本の帝国主義的アジア進出の橋頭堡を築く日韓会談粉砕であった。共産党は日帝より米帝の策動を強調する違いはあったが、日本の運動はおおむね、このようなものであった。
 日本の運動に決定的に欠落していたことは、戦前の植民地支配と戦後も続いた在日朝鮮人に対する差別と抑圧についての反省と自覚であった。安保も、日韓も、さらにはさきの戦争も、加害者は帝国主義であり、天皇制ファシズムであり、人民はいつも被害者であるという図式を疑うことはなかった。しかも人民には日本国民(それも沖縄人やアイヌは除いて)は入っていても、朝鮮人、中国人、アジアの人びとはすっぽり抜け落ちていたのである。
 朴正熙を筆頭にする戦前からの親日派が政権を延命し、金と利権欲しさに日本にすり寄っている。植民地支配の謝罪をしないどころか「植民地の文明化作用」を得々と語る日本の傲慢と開き直りを許している朴正熙政権に、韓国の学生は二重の屈辱を味わい蜂起したのだ。しかし当時の我々はうわべの連帯は叫んでも、彼ら彼女らの蜂起の根底にある被抑圧民族の恨に思いを馳せる想像力も歴史的認識も持ち合わせていなかった。帝国主義打倒をスローガンにするだけで、強制連行や、ましてや従軍慰安婦を具体的事例として知ることになるのはずっと後日のことである。
 在日朝鮮人の戦前戦後の受難の歴史を知り、現在に至っても解消されていない差別と抑圧に対する闘争と具体的に連帯するようになったのは、さほど昔のことではない。日本にはカッコを付けなくて、韓国にはカッコを付ける矛盾に気づかない左翼の傲慢はほんこの前まで続いていた。
 60年代後半の青年学生叛乱の最良のスローガンの一つに「内なる帝国主義」がある。反日武装戦線は反省も謝罪もしない三菱重工業ビルを爆破し、多くの無辜の日本人を殺傷した。彼ら彼女らはそのことを自己批判しているが、日本人の内に潜む帝国主義的心象を剔抉したことまで自己批判する必要はないのである。
 剔抉しながらも、アジアとの連帯を具体的かつ地道に営んでいくことにおいて間違っていたのだ。しかし、戦後平和運動の一国主義、加害者としての責任を不問にする被害者意識一辺倒の運動を、反日武装戦線だけでなく、60年代後半の叛乱が鋭く告発したことは、しかと記憶されるべきことである。
 拉致議連、家族会、救う会の言動と、それを煽り北朝鮮バッシング一色に塗り潰すマスコミの論調には、かつても今もこの国とその国民が朝鮮人にくわえた犯罪の数々を直視し、謝罪する良心の一片もみられない。これはいつか来た道ではないか。

                                                         小寺山康雄    


店・モノ・活動を‘ECOひいき’!!

 ACTの名物コーナー「ECOひいき」に登場してくださるみなさんを募集しています。「ECO」なお店、会社、グッズ、運動、などを是非、ACTで紹介させてください。自薦・他薦は問いません。紹介文は、本紙だけでなく、ACTのウェブサイドにも掲載させていただきます。
 @お店・グループ名 Aお店の紹介や商品説明、活動案内(500字以内) B連絡先(お店などの場合、「行き方」も) C執筆者氏名 D掲載紙送付先・原稿に関する問い合わせ先 ―を明記し、EメールかFAX、もしくは郵便でACT編集部[act@jca.apc.org]までお送りください。地図・写真などを添付していただければ、それも一緒に掲載いたします。(編集部)


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