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駐留軍用地使用裁決申請事件に係る公開審理(第9回)

日時:2005年3月23日(水)13:30
       場所:沖縄市民会館中ホール



(午後3時25分 再開)

○渡久地会長 
 それでは、審理を再開いたします。

 ご発言をいただく前に当収用委員会からの提案として、先ほどの問題の処理を次回の事前協議のテーマとして扱いたいと思いますが、いかがでしょうか。

 次回の事前協議は、通常の事前協議より若干時間をたっぷりとりまして、そのことがどういう質問の意図であるのか、あるいは資料とすればどういう資料を要求をしているのか明確にして、これを提出できるのかどうか。そこらあたりの協議調整をしたいと思いますがいかがですか。
○阿波根代理人(土地所有者側) 
 地主会の阿波根ですけれども。

 基本的にはそのような方向でよろしいかと思います。

 ただ、聞いている皆さんが何を議論しているのかちょっと分からないみたいな感じですので、どういう問題意識でこういう討議をしているのかについて、ちょっと説明させてもらえませんか。2、3分ですけど。
○渡久地会長 
 阿波根先生、前回、15分程度とおっしゃっていながら25分ぐらい使っておりましたので、2、3分程度でお願いします。
○阿波根代理人(土地所有者側) 
 はい。
 要するに、防衛施設局と私の考え方は、対象土地の特定がどうあるべきかについての考え方の違いなんですよ。

 だから、施設局は実測平面図等をつけて、対象土地はもう特定されていますよということをおっしゃりたいんです。私たちは対象土地の特定ということは、対象土地のそうする一帯が地籍不明地、この土地だけじゃなくて、この小字一帯が地籍が不明になっている土地だと。そのような大きな全体が不明になっている土地でどうして特定できるんだという問題意識があるわけです。そうすると、対象土地そのものを見るんじゃなくて、小字全体を見ないといかん。小字全体の中には先ほど言われた未登録地ですか、有銘さんのおっしゃった。そういう土地が何筆かあるところがある。特にその未登録地がこの石根原と伊森原に集中してたくさん存在するという事実があるわけですよ。それとの関連でどうもここらへんは全体として大まかにいっても、この地域はばらばらになって特定ができない状況になっているんじゃないかと、そういう問題意識を私たちはもっているわけです。そういう中で収用委員会に出された裁決申請書の実測平面図等での特定で十分なのかどうかという問題意識をもっているものですから、このような議論になっているのです。以上です。
○渡久地会長 
 分かりました。

 それでは、きょうの議論をこの点についての議論を収用委員会のほうで要約をしまして、地権者サイドと那覇防衛施設局のほうにお渡しをします。これを基にして次回の事前協議の場にのせることにしましょう。

 きょうの議論の取り扱いはそのようなことでよろしいでしょうかね。

 それでは、次の発言予定者の方。時間の制限がございますので、手短にお話いただければ有難いと思います。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 手短にですか。実は、先ほど収用委員長の開会の挨拶の中で意見も言っていいよというお話があったものですから、若干の意見を述べてから求釈明を申し上げたいと思いますが、よろしいでしょうか。
○渡久地会長 
 収用委員会の希望としましては、手短にということです。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 私は、米軍基地として今使用されております嘉手納飛行場に土地を所有しております真栄城玄徳といいます。

 私の所有している土地は、361の2と、362と、359、それから385の4筆でございます。この土地については、どうして私の所有になったのか、その経過をどうしても前段に申し上げたほうがいいと思いますので、若干申し上げておきたいと思います。

 私の所有している4筆の土地は、1962年に79歳で死んだ私の祖母から相続をした、かけがえのないとても大切なものでございます。祖母は生前故郷の話をよく私にしてくれました。戦前は、その故郷は農業を正業として生活をしていたようです。サトウキビや稲を栽培し、あるいはまた家畜等を飼育して、本当に平和のうちに生活をしていたと言っていました。村遊びというんですか、村に、嘉手納についていた軽便鉄道の話のこととか、あるいは那覇のまちに子豚を頭に乗せて売りにいった話とか、いっぱい故郷の話を自慢気に私にしてくれたことを覚えています。祖母は1909年に結婚いたします。1912年に祖母の伴侶であります祖父と死別をいたします。祖父と暮らした時間というのは、わずか2年という短い期間であったと言っていました。私の父と、それから叔父の2人の幼子を抱えて、本当に必死になって働いていたそうです。家畜の世話や家事労働するときは、2人の子供を柱に結わえ付けて、それから野良仕事をするときは畑に杭を打って、2人の子供を帯で結んで仕事をしたと言っておりました。

 このように、まさに骨身を削る思いで守ってきた大切な土地、それは生活の糧を得ていた本当に大切な土地であったということなんですね。

 1950年代の中頃なんですけれども、そこで一緒に土地に入った記憶がございます。土地はその頃すでに立ち入ることができませんでした。アメリカの基地になっているわけですね。ゲートで立入許可証を発行してもらってようやく中に入ることができたんですけれども、その入る目的は基地の中にある祖父のお墓があるわけですけれども、そこにお骨をそのまま置いてあるんですよね。その祖父の骨を拾うためだったんです。祖母は戦争のあと、ちょっとしか経っておりませんので、燃えカスがいっぱいまだ残っていた屋敷跡にたたずんで故郷の話を私にしてくれたんですよ。母屋はこのへんにあってとか、あるいは桑畑がここにあったよとか、糸芭蕉の畑はここだったよとか、そんな話をしてくれたんです。屋敷の母屋の後ろにはクスノキが何本か植えられていて、そのクスノキでタンスをつくるというのが夢だったんだということで目を輝かせて話しておりました。でも、そのときにはもうそのクスノキも全く戦禍でなくなっておりました。そして、ずっと言い続けていたことなんですが、生きているうちに絶対にここに帰って来るんだということを言い続けていたんですね。

 私自身、戦争のときは2歳ぐらいですので、父の顔を全く知りません。父はその戦争で死んでしまいました。死んでしまった多くの人たちがそうであるように、死んだ場所もそれから死んだ日にちも全く分かりません。仕方がありませんので、米軍が上陸をした4月1日、それを父親の命日にしています。もちろんお骨があるわけではありませんので、墓の厨子甕の中には骨に見立てた数個の石ころが入っているだけです。沖縄戦におけるこういう父の死と、それから私の祖母の土地への執着というんですか、故郷への限りない思いというんですか、それがその後の私の生き方に大きなインパクトというんですかね、これを与えたように思います。

 また、私の母は1913年の生まれですので、今年もう93歳になります。戦争で男たちが全部死んでいってしまいました。全部ではありませんね、多くの男たちは死んでいってしまいました。生き残った女たちは厳しい米軍支配下の中で、家族や子供たちのためにまさに骨身を削る思いで働いてきました。母もその例に漏れず、米軍基地の中に職を求めました。戦争の傷痕というんですか、それを引きずりながらまだ生きてきた1950年の初め頃です。職場は知花弾薬庫、今で言う嘉手納弾薬庫です、そこに職を求めました。
 当時、弾薬庫は今のように屋内弾薬ですから、弾薬は今のように屋内に保管をされるのではなく、屋外に野積みをされていたと聞いています。風雨にさらされた弾薬は錆がひどく使いものにならないということで、錆を落とすというのが毎日の日課であったと言っておりました。いつ爆弾が爆発をするかもしれない、こういう死とのまさに隣り合わせの中で仕事をしていったようです。

 その頃、ちょうど朝鮮戦争との関係があって、沖縄基地の重要性というのか、それがずっとあって基地建設等も頻繁に行われていた頃ですよね。特に、新しい中国の誕生とか、そういうのもあって、とても厳しい社会環境の中だったといえます。戦場の中からやっとの思いで生き延びたのもつかの間だったわけですけれども、生活の糧を得るためにとはいえ、どんな思いで母はこの弾薬庫の中で仕事をしていたのだろうかと、今でも思うんです。

 このような子供の頃の私の生活の体験ですから、住民の生活は全く無縁、むしろそれを脅かす軍事基地、それに自らの土地を提供しないという立場に立つのは、私にとっては当然のことであったし、別にそんなに特別なことでもないわけです。私の日常生活の延長線上でしかないということなんです。

 また、そうすることが祖母や、あるいは父母の意思を引き継ぐための大事な私自身の役割とも思っているわけです。

 しかし、国・政府は土地の所有者である私の意思を全く無視をして、1970年から今日まで公用地法や米軍用地特措法を適用して、さらに高度の公共性を有するといって何十年も私の土地を不法・不当に米軍に今提供し続けているわけです。

 私は、米軍基地は先ほど有銘さんもお話していたんですけれども、けして公共の利益や福祉に寄与するものではないと思っております。むしろそれを著しく脅かすものでしかないと今思っているわけです。

 国側は、日本と極東の安全のために寄与していると言っているわけですけれども、どんな寄与をしているのか、私には全くそのことは分かりません。具体的に、前段を置いて、これから施設局のほうに出してあります求釈明に沿って、施設局、国側の見解をお聞きしていきたいと思っております。

 まず、1980年の4月頃だったと思います。4月から12月にかけて私たちは地籍明確化作業過程で新たに出てきた土地所有者の権利回復について、私たちのでき得る最大限の努力をしたと思っておいます。結果として権利回復した地主への補償に関する確認書というものを、当時の施設局長との間で取り交わしをいたしました。そのことをまず施設局ご存知でしょうか。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 今のお尋ねでございますけれども、私ども求釈明をいただきまして、土地資料等調べさせていただきました。

 1980年という古い時代でございましたので、その関連のきちんとした全体の資料が整っているという状況ではございませんでしたけれども、今の求釈明の中にご質問にございます権利回復した地主への補償に関する確認書ということで求釈明をいただいておりますが、そういった文章ではなくて、1980年12月26日付けの地籍明確化作業の過程において土地の復元が可能になった地主への補償に関する確認書だと思われますけれども、そういった文書があることは承知をしております。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 その確認書は、今完全に履行されているかどうか、その経過をお聞きしたいと思います。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 今、私どもの手元に三つの項目について確認をしたということでございます。当局が先ほど申し上げました承知をしていると申し上げました確認書の中に、土地の復元が可能となった土地のその取り扱いにつきましては、私どもとして所要の手続きをとることが必要でございますけれども、そうした手続きを経たうえで1980年度、昭和で申しますと55年度でございますけれども、以降の借料相当額を支払う、そういった措置など適切に処理をしてきたということでお答えをさせていただきたいと思います。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 その中で、つまり復帰前を含めて講和前補償というんですか、そのことはどうなっていますか。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 今、復帰前のというふうにおっしゃいましたので、あるいはさらに講和前ということがございましたけれども、私ども確認書の中に復帰前の賃借料については年度内に結論を出して回答をすると、そういう趣旨のことが書いているわけでございますけれども、そのことにつきましては、私、資料を少し調べてみましたけれども、そのことに関して具体的に対応した資料というものを確認をすることができませんでした。しかしながら、復帰前の賃借料については支払った事実はないというふうに承知をしております。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 まだ、じゃ確認されたすべてのことについてそれが履行されているかどうか、そのことを確認しているというわけではないわけですね。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 3番目の項目につきましては、こういうふうに書かれてございます。復帰前の賃借料については支払う方向で1980年度中に結論を出し、回答をするというふうに書いてございます。
 3項目は、したがって回答するということが具体的な措置の内容だったかと思いますけれども、具体的に回答したのか、どういう回答をしたのかといったことについて、今、私確認をしてございません。しかしながら、先ほど申し上げましたように、復帰前の賃借料について支払った事実はないというふうに強調しております。繰り返して恐縮でございますけれども、お答えとさせていただきます。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 私たちのほうにもその回答が寄せられたという記憶はないですね。それでこのことがどのように処理をされたのか、これをぜひ明らかにしていただきたいと思います。よろしいでしょうか。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 大変恐縮でございますけれども、先ほど来申し上げますように、1980年の確認書でございます。年度内にその結論を出し回答をするということでございます。そうした一連の私どもの書類をずっと求釈明事項をいただきましてから調べてみました。私どもとしてそういった関係の書類をいまだに発見をすることができておりません。なかったから発見できないのか、何らかの都合で処分したから文書廃棄の時期がきたから廃棄したためにできないのかわかりませんけれども、そういう状況でございます。私どもとしてもしあれであれば、次回の審理までにもう一度さらに資料の点検等をさせていただきますけれども、そのことをもっても確認できないことがあるということを申し上げたいと思います。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 ちょっとこれはおかしいなと思いますね。ぜひそこらへんは次回の審理の中で出していただきたいと思っております。
 それから、今、賃貸料というのか、新しく権利を回復された方々への賃貸料が支払いをされているというお話があったわけですけれども、賃貸料が支払われているということは、要するに所有権が回復をしたということですよね。どうぞ、お願いします。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 所有権という定義をどういうふうにお使いになっているか分かりませんけれども、私ども通常、所有権と申し上げますときには登記がなされて財産に対する対抗力を有した状態を言うんだろうと思います。そういう意味においては、先ほど来ご質問ございましたけれども、それの際にもお答えをいたしましたけれども、位置境界明確化作業の中で種々の手続きはとってございますけれども、一部の土地の所有者の方々が現地確認書等に書名・押印されていないという状態で、そういった認証の手続きがとられてない。したがって、登記にも反映をされていないという状況でございます。
 他方、先ほど来ご質問がございます、確認書をめぐりましては、私ども公開された新聞等で見ますと、その中に大変お名前を申し上げて恐縮でございますけれども、有銘政夫さんも入っておられたというふうに新聞等で報道されておりますので、お名前を出すことをお許しいただきたいんですが、そうした方々と私どもの担当局長とあわせたいろいろな話し合いの中で、そういった位置境界明確化作業を進める中で、合意形成がなされれば土地の復元が可能であるというふうに客観的に認められる土地の所有者といいますか、そういう方々に対する何らかの救済が必要だろうということで、復帰以降の賃借料相当額等々については施設局として今お支払いをしている、今現在はそういう状況にございます。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 私の認識としては、この賃貸料を支払うということは、本人自身の地権者の所有権が回復をしているからだという認識があるんですね。そういう認識は間違いということですね。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 所有権というのをどういう意味か分かりませんけれども、私が先ほど申し上げたように登記をされている状態で、第三者に対する対抗力があるという状態から照らせば、そういったものではないと思います。

 また、私どもいろいろな形で実際の問題として土地を借りる、買う場合に、いろいろなケースがあろうかと思いますけれども、登記簿でお借りする場合もあれば、実測でお借りする場合もあろうかと思います。そういう意味において、けして登記にないから、あるいは登記と違うからそういったものでは契約できないとそういったものでもないというふうに考えております。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 ちょっと納得しかねるような答弁だと思いますけれども、やはり所有権者への補償金というんですか、賃貸料の支払いというのは、国の財政から支払われると思うんですよ。そういう意味ではやはり所有権というとても大事な基本的なもの、これがベースになって支払いがなされるんだろうと思います。所有権がある意味では登記されてなくて、賃貸料を支払いするという法的な根拠なんていうのはあるんですか。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 私どもといたしましては、先ほど来申し上げておりますけれども、位置境界明確化法という法律ができ、その法律の中におきまして、位置境界明確作業というものを私ども手伝いをさせていただいたわけでございます。関係の資料を土地の所有者の代表の方にお渡しをし、土地の所有者の代表者が中心になって種々の位置境界の確認作業をされた。そうした中に確かにこの方はこの位置にこういう形状でこれだけの面積の土地があるということが確認をされて、そういう客観的な事実をもって私どもとしてお借りをしているということでございます。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者)
  客観的な事実に基づいてということであるわけですね。よく分からないですね。
 実は、地籍明確化作業の段階で権利が回復をした皆さん方からのいろんな申し入れが私たちにありました。まずはお前たちが地籍明確法の作業に協力をしないから、自分たちの権利の回復ができないんだというのが1980年の3月頃ありました。そのために当然もらうべきはずの賃貸料とか、そういうのがもらえないんだというふうなのがあったわけです。とても困ってしまいました。現に日本政府は、アメリカに基地として提供しているわけだから、それに対するこの見返り、つまり賃貸料は当然支払うべきだということで、私たちは国側と交渉したわけです。だけども、あいも変わらず国側は「いや、それは払う法的な根拠がないんだ」というふうなことで、ずっと突っぱねていたわけですね。これは3万人近い軍用土地連の会員の皆さんの申し入れにも、やはり国側は耳を傾けなかったわけです。そういう権利を回復しようとしている人たちの声をまさに私たちに向けていく、そして私たちを矢面に立たせていくという、そういうことがあるんじゃないかと、私たちは思ったわけですよね。
 それで、国側と約10カ月近い交渉を経て、先ほどの確認書というのか、これを先週、局長との間で取り交わしをしていたわけです。支払っているかどうかという資料が見当たらないというのがあるわけですけれども、私たちは施設局長との間で交わした確認書が、やはりそれだけの拘束力をもっているだろうと思っているわけですね。ぜひとも次回に経過がどうなっているのか、それを明らかにしてほしいとこう思っています。
○阿波根代理人(土地所有者側) 
 復帰前の賃貸料について、支払ったかどうか分からないと。それから文書を作成前の賃貸料についても支払ったかどうか分からないというふうに回答があったと思うんですけど、そのとおりなんですか。合意書に従い。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 先ほど、私お答えをさせていただきましたけれども、そういうふうにお答えはしておりません。私がお答えをさせていただきましたのは、復帰前の賃借料につきましては、支払った事実はないというふうに申し上げました。

 それから、復帰後の賃借料については支払っていると。それが賃借料であったか、賃借料相当額の補償額であったかは別にして支払っているというふうにお答えをしたつもりでございます。
○阿波根代理人(土地所有者側) 
 それで、復帰前の補償金ないし賃貸料について支払ったかどうかについて、支払ってないだろうといういうことをおっしゃっていました。
 それから、賃貸料補償金について払うべきかどうかについての回答をまだやっていないということでしたよね。そういうことでしたか、確認のために聞いています。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 その点につきましては、回答したかどうかについては確認ができないというふうに申し上げたつもりでございます。
○阿波根代理人(土地所有者側) 
 そうすると、回答やったということもないわけですから、合意したということは回答しますとあるわけですから、今からでも回答したらどうでしょうかね。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 恐縮でございますけれども、回答したかどうか確認できないと言っているので、回答してないと申し上げているつもりはございません。
○阿波根代理人(土地所有者側) 
 だから、回答したか回答してないか分からないわけですから、どんな回答したかも分からないわけですよ。払いますという回答をしたかもしれませんよ。そうしたら、債務不履行が残るんじゃないですか。だから、今からでもいいから回答すべきじゃないでしょうか、回答したか分からないということは、仮に回答したとしてもそんなに覚えてないということですから。やっぱり今の段階で明確にすべきじゃないでしょうか。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 そのことについて、解答してほしい、あるいは何らかの話し合いをしたいということであれば、私どもとして、そういったことについて一切応じないとか、そういう立場にはないものと思います。しかしながら、そのことを先ほども位置境界明確化作業とも関連しますけれども、この収用委員会の場で議論する問題とはまた別な問題なのかというふうにも思います。
○阿波根代理人(土地所有者側) 
 分かりました。
 どうもありがとうございました。請求できる、あるいは回答いただくというその可能性が少し見えましたので、公開審理の場でこられませんので、そういう関係で適切な処理をお願いしたいと思います。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 時間、4時になっていますが、どうしましょうか。
○渡久地会長 
 少々お待ちください。

 真栄城さん、また持ち越しということでもなんですから、15分くらいの延長は可能のようです。真栄城さんのご質問はどれぐらい時間かかるでしょう。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者)
  じゃとりあえず今回はあと15分で閉めて…。
○渡久地会長 
 「今回は」って、また積み残しが出るんでしょうか。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 向こうからの回答を得るということもあり得ると思いますので。
○渡久地会長 
 あと15分延長ということで、那覇防衛施設局ご都合いかがでしょう。
○大澤代理人(起業者側) 
 私どものほうは、会長がそういう指揮をされるのであればそのとおりにさせていただきたいと思います。
○渡久地会長 
 分かりました。それでは、できるだけきりがいいように、あと15分程度有効に活用してご質問をいただきたいと思います。どうぞ。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 分かりました。
 私、先ほど申し上げましたこの4筆の土地は位置とか境界がまだ明確になっておりません。そういう意味では有銘さんの土地と同じように、まだ確定が未認証というんですか、そういう地域になっているわけです。その中で国側は位置境界を通じて特定ができる状態になっているということを使用申請の理由の中でお話をしているわけですけれども、実はその根拠というんですか、何の根拠でそういうことを言っているのかよく分からないんですよ。

 実は、私の手元に3枚の地図があるんですが、一つは土地調書、国側が出している土地調書に添付されている実測平面図ですね。それから2枚目は法務局にいわゆる公図として置かれている地図です。3枚目は1948年、土地所有申請書というんですか、それに基づいて作成した地図があるわけです。その3枚の地図は3枚三様違っているわけです。それで、国側の言う土地調書に添付されている実測平面図というのか、これはどういう経過で作成をされたのか。それをまずお聞きしたいと思います。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 私どもといたしましては、今、真栄城さんの土地でございますけれども、石根原に4筆の土地をお持ちでございます。それぞれにつきまして、これまでも駐留軍用地特措法に基づきまして使用させてきていただいておりますけれども、それらと同様の考え方でございます。同様の考え方と申し上げますのは、位置境界明確化法による位置境界明確化作業を通じて本件土地4筆の土地を含む字等の区域等これらに隣接している字等との区域との境界は確定していること。
 それから、二つ目といたしまして、本件土地を含む字等の区域内で本件土地等その隣接地との境界を除きすべての土地の境界は関係土地所有者において確認済みであること。

 さらに、三つ目といたしまして、本件土地と隣接地との境界について隣接土地所有者は全員位置境界明確化法の所定の手続きにより確認済みであること。

 さらには、本件土地所有者は隣接地所有者と本件土地の位置境界について争っていないことから、現地に即して測定できる状態にあるということが明らかであるというふうに考え、駐留軍用地特措法を適用してきているところでございます。

 また、そうした考え方につきましては、先ほども有銘さんのところで申し上げましたけれども、平成12年11月17日の当時の建設大臣の裁決におきまして、その特定は可能であるというふうに判断をされているというふうに承知をしております。そうしたものとして特定をしているとい
うことでございます。

 なお、この4筆につきましても、私ども真栄城さんには現地確認書というものについて署名・押印をいただいてないために、国土調査の成果としての認証ができないという状態になって登記はできておりませんけれども、これは土地の確認書といいますか、そういったものには真栄城さんの確認をいただいているという状況でございます。
○真栄城玄徳(嘉手納基地土地所有者) 
 少し代理人に代わりたいと思うんですが、ちょっと言葉なんですけれども、この「確定」と「特定」の違いはどういうことなんですか。わかりやすいようにちょっと。
○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。
○大澤代理人(起業者側) 
 (返事なし)
○阿波根代理人(土地所有者側) 
 ちょっと時間が惜しいので、代理人が発言したいと思います。
 この件については、もっと時間をいただきたいんですよ。約30分ぐらいかかると思います。

 4筆の土地がありまして、土地ごとに代理人からも補充的な質問をしたいと思っているものですから、できましたらきょうの審議はこれで一応閉めてもらってやっていただきたいんですけど。ちょっと時間が、十分時間がある中で議論したい問題なものですから、あわててやるのはちょっとどうかなと思いますので、できたら確定と特定、あとでご回答いただきまして、きょうはこれでどうでしょうか。
○渡久地会長 
 そうですね。それでは、「特定」と「確定」の違い、語義の違いにつきましては、また機会を改めてご回答いただくことにしまして、真栄城さんの5項目の質問は、先ほど有銘さんの問題の際に出たことと同じ文脈にあると思いますので、これは次回の事前協議に乗せたいと思いますが、いかがでしょうか。

 もちろん有銘さんにもご出席いただきたいと思いますが、真栄城さんにも収用委員会事務局のほうから連絡をいたしますので、できるだけご都合をつけて出席していただければ、どういう資料、あるいはどういう疑問を持っているんだということを明確にしてもらえるんではないかというふうに思いますので、また連絡を差し上げます。よろしくお願いいたします。

 それでは、本日の審理はこれで終了したいと思います。

 次回の公開審理の日程は4月27日水曜日、午後1時30分から4時までです。場所は、本日と同じく沖縄市民会館中ホールで開催する予定です。詳細は文書で通知します。

 本日はどうもありがとうございました。お疲れ様でした。

(午後4時4分 閉会)


資料提供:安里秀雄さん


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