一坪反戦通信 Vol.81 一坪反戦通信 83(1997.4.2)

軍用地を生活と生産の場に!
No. 83
1997年4月2日
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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック


◆本号の主な記事 ◆


 第三回公開審理がかでな文化センターで開かれた去る3月27日、政府は「特措法」改悪の内容を明らかにした。それによると、公開審理中に使用期限がきれた場合でも裁決が出るまでは継涜使用ができるという「暫定使用」がポイントだ。しかも裁決で却下された場合でも、建設大臣に審査講求すればその決定までこれまた「暫定使用」可能だという。そのうえ知花昌一さんのケースも、経過措置として施行日前に使用権原が得られていないケースとして適用できる、というからムチャクチヤだ(改悪案の法的問題点については「特措法は有事立法」参照)

 これではとても「不法占拠状態を回避するための必要最小限の改正」どころではない。収用委員会も公開審理も存在意義がなくなってしまう。社民党が賛成できないのは当然だ。「特措法」については抜本改正論の新進党も賛成できるほどの内容。

 来たる4月4日には閣議決定、4月中には本会議で可決の動きにある。国会請願行動や4・6代々木公園大集会の圧倒的成功で、この特措法改悪を阻止しよう


国会・首相官邸に対して連続して緊急行動を展開

特措法改悪阻止に全力を

 5日14日の強制使用期限切れ後も継続使用しようと、政府は「特借法」改悪をめざしている。この動きにストップをかけようと私たちは、沖縄百万人署名運動などの市民団体・個人とともに「沖縄繋急行動」を結成。3月10日の檜町公園での緊急集会・国会請願行勤を第一波に、17日・18日と27日・28日に国会周辺への連続行動を展開したほか、25日の大田ー橋本会談時には国会前座り込みと首相官邸への要請行動を行った。(以下、17日・18日と25日行動の報告)

 米軍用地特別措置法の「改正」をめぐり、政権のゆくえも取り沙汰されるなか沖縄緊急行動では3月10日の国会要請行動に続いて17・18日と参議院議員面会所での集会を提起した。連日100人の人たちが呼びかけに応え、駆けつけた議員ともども、法案を許さない闘いを国会内外で盛り上げていこうと誓った。

 挨拶に立った島袋宗康(しまぶくろそうこう)・参議院議員

「公開審理中にもかかわらず『改正』を出すのはルール違反。米軍がわれわれの財産をおびやかしていることが大きな憤激を引き起こしている。多くの問題を抱えながらなお、基地のための上地を収用し続けようとすることに大きな怒りを感じる。多くの団体にも呼びかけて、一昨年の10・21に劣らない集会を開こうと努力している。みなさんと一緒にがんばりたい」。

 衆議院議員の照屋寛徳さんは「基地問題を考える時、各々節目があったと思う。復帰前に沖縄の置かれた状態は違法であり不当なものであった。しかし復帰後も同じであった。今回、公開審理を迎えているが、「本土」ではすでに必要のない特措法が沖縄だけに適用されている。政府は全国が対象であるとうそぶいているが、まったくの詭弁だ。沖縄選出の議員としてみなさんと固く心を結びあっていきたい」と決意を述べた。

 また自衛隊も違憲であるとする栗原君子議員は、「私は広島出身だが、沖縄でも戦争の傷跡がたくさん残っているのを見た。政府はいま、ACSAを結んで軍事同盟を拡大しようとしており秋にはガイドライン見直しを詰めようとしている。この時点でしっかりと見据え闘っていかなければならない」と連日の挨拶で思いを述べた。

 3月25日の大田・橋本会談当日、沖縄緊急行動はこの会談が特措法改悪の「通過儀礼」となることを防ぐため、国会前で座り込みを行った(大田知事は会談で橋本首相に対して「特措法改悪には反対だ」と伝えた)。

 当日は天気がよく、気温も23度まであがり、絶好の座り込み日和。1時から5時まで50人余りが「特措法改悪阻止!」「沖縄に平和を!」などと書かれた横断幕を広げながら座り込んだ。

 座りこんでいる間、スロバキアのジャーナリストが写真を撮ったり、社民党の中川智子衆議院議員が「数は少ないけれども、土井議員とともにがんばっています。がんばりましょう」と声をかけて行ったりした。座り込みの前を通りかけて署名用紙に署名する人もいた。

 沖縄からは、反戦地主会会長の照屋秀伝さんと違憲共闘会議・前議長の宜保幸男さんから電話メッセージをいただいた。

 照屋さんからは「沖縄・ヤマトを貫く壮大な闘いによってこの正念場を乗り切りましょう!」と。宜保さんからは「橋本はナチスのように嘘を言い重ねることで危機を乗り越えようとしている。しかし私たちは、生活と真実と正義を求めて闘っていかねばならない」というものであった。

 最後には、代表者が「特措法改悪反対」の首相あて要請書を官邸に提出した。


米軍用地収用特措法改悪は「有事立法」の制定である

一坪反戦地主会   

 米軍用地収用特措法の「改悪」は単なる「改悪」にとどまらず、土地収用法体系そのものを抜本的に変更するものであって、「有事立法」の新たな制定に他ならない。

(条文の内容)

  1.  使用認定のあった土地について、裁決申請がなされ、使用期間末日前までに裁決が認められない場合にも、裁決において定められる期間まで引き続き継続して使用することが出来る。(使用期間が過ぎても、継続して使用することが出来る)
  2.  その際には、地代ではなく、六ヶ月毎に自分の見積もった損失補償額を当該土地所在の供託所に供託する。(地代相当の損失補償の支払いではなく、いきなり供託する)
  3.  裁決申請が却下された場合も、直ちに継続使用できなくなるのではなく、防衛施設局長から建設大臣に対して審査請求がなされ、審査請求が却下されるまでは、継続して使用することが出来る。
     建設大臣が、「却下」と取り消せば、裁決申請中となり、継続使用することが出来ることになる。(県収用委員会が裁決申請を却下し、土地取り上げが出来ないことになっても、土地を返さず、継続使用することが出来る)
  4.  供託した金額は、地主が請求するまでは支払う必要がない。
    請求があった時は、損失の補償の内払いとして、供託金の全部又は一部を支払う。
  5.  暫定使用による損失補償は、地主と防衛施設局長が話し合って決める。決まらないときは、収用委員会が裁決する。
  6.  改正法施行前に裁決申立をしていた土地で、施行期日に従前の使用期間が満了しているのに権利取得のための手続きが済まない土地(象のオリ)についても本法を適用する。従前の使用期間満了から暫定使用期間までの損失補償は、損失を受けた者と施設局長が話し合う。決まらないときは、収用委員会が裁決する。

(問題点)

  1.  米軍用地収用特措法は、土地収用法の一法体系であって、使用認定、使用裁決とそれぞれ手続きが法定され、補償金の支払いを完了してはじめて使用権限を取得することになっている。その理由から、反戦地主には長期使用の対価を一括払いし、過大な負担を強いてきた。
  2.  現行法では、決定に不服があれば、審査請求、裁決取消訴訟等司法的、行政的救済手段が補償されている。
  3.  ところが、暫定使用では、収用のための法的手続きは何ら必要でない。内閣総理大臣が、強制使用の対象となる事業であると「事業認定」をし、裁決申請手続きさえすれば、使用期間が過ぎても、「暫定」ということで使用することが出来る。収用法上の法定手続きは保障されず、憲法の保障する適正手続き原則に反する。
  4.  県収用委員会が裁決を却下しても、防衛施設局長が建設大臣に審査請求をして却下を取り消せと争えば、その結論が出るまでは、継続的に使用することが出来る。
     審査請求には、決定を中断させる効力がないので、使用裁決が出て、これに対して審査請求をしても、土地は取り上げられてしまう。
     これに対して、却下を争えば、継続して使用できることになる。
     建設大臣は国の意向を受けて取り消すことになるのであって、収用委員会の権限は全く形骸化されてしまう。
     一坪反戦地主会では五年前の裁決に対して、審査請求をしたが、未だに手続きが進んでいない。
     防衛施設局が審査請求をし、その審査手続きが進まなければ、長期にわたって、暫定使用されるということになる。
  5.  その場合の司法的、行政的救済手段はない。
  6.  使用することによる損失補償は、いきなり供託すれば足りることになっている。
     損失補償金の支払いをしないで、使用権限を取得することになり、適正補償の原則に反する。憲法の財産権保障に反する。
  7.  法律を遡及して財産を取り上げることになる。
     不利益処分に関する不遡及の原則に反する。

 結局、今回の法改悪は、単に条文を追加し暫定使用を認めたというのではなく、法的手続きを経ることなく、また、その使用を争うための法的救済手段も認めない「有無をいわさず土地を取り上げる」法律であり、新たな「有事立法」である。

 収用委員会制度そのものの否定であり、憲法の瓦解である。

 法「改悪」は、沖縄に対する差別立法に止まらず、有事立法の新設であり、ファシズム国家への突入を意味するものである。


辺野古からのメッセージ

普天間代替の
ヘリポートは来るな!

 少し古い話しで恐縮ですが、ヤマトーの新聞が伝えないことなので、ぜひみなさんに知っていただきたく、この紙面で報告します。(O.T.=会員)


 2月21日は公開審理。翌22日はP3C基地建設反対の豊原地区援農。そして23日、普天問基地の代替ヘリポート建設候補地を訪れ、漁港の岸壁の上で有刺鉄線で仕切られた砂浜と海を目の前に地元の方からお話しを伺った。

島袋・名護市職労委員長

 ここは珊瑚礁の海。魚がたくさん捕れる。跡地利用ができるからと、この海を埋め立ててヘリポートを迎えようという動きがある。辺野古の住民は、地域の10分の1に押し込められている。40年前に、どうせ銃剣とプルドーザーで取り上げられるならと、条件闘争で基地(キャンプ・シュワブ)を認めてしまったからだ。

 しかし今度は違う。

 行政が黙っているので、部落の中からヘリポート建設阻止協議会(「命を守る会」)が生まれた。

命を守る会会長

 ここに生まれてきて50年親しんで来た海。この美しい自然がこの年になって失われようとしている。後世に向けて、これを残さねばと思う。

 このリーフ(珊瑚礁で浅瀬になっている所=礁縁。砂洲)では、もずくの養殖が行われている。満潮時でも水深は3メートル。旧暦3月31日には、向こうまで歩いて渡ることができ、磯遊びができる。

 基地反対闘争はまったく初めての経験だ。

嘉陽宗儀さん

 1922年(大正2年)生まれの76歳。国のため、天皇のためと教えられ、海軍兵学校へ入り、ベトナムで戦傷を負い、送り返されて命を長らえた。

 「ありがとう」の上はなんと言えばいいのですか?来てくれたお礼をどう言ったらいいか……。沖縄香水の匂いがしませんか?いま、畑で鶏糞をまいていたんです。みなさんの援助がなければ、大きなアメリカ、大きな政府と闘えない。人の命を守るためには何でもします。私はいつ死んでもいいが、遣言だと思ってお願いをきいて下さい。

 反対の大会の第一回は、名護市議会を中心に昨年7月16日に。第二回は、労組中心で区長会・老人会など商工会を除く11団体で昨年11月29日に行われました。

 名護市長は反対しているが、本当は誘致したいのではないか?と地域の人は思っている。「県が同席すれば、話し合いに応ずる」と言っているのが不安のタネなんです。

 過日、防衛庁の役人を市の助役らが案内してきたのを、30人で阻止しました。

 来ることは、名護市からの連絡でなく報道陣からの問い合わせでわかったんです。

 名護市の財政は、公設・民営の大学建設のためにたいへん苦しい。予算は10%減。97年〜2001年に、返済のヤマ場がやってくる。へリポート関連の金でなんとかしようとしているのではないか?

 補助金はまやかしですね。補助金で地域がよくなることはありませんね、よくわかりました。昔は純真な気持ちで兵隊になったが、今はそうはさせません。

 こう結んだ嘉陽さんは、関東ブロック・上原成信さんの差し出す闘争資金カンパの袋を、いかにもウミンチュ(海人、漁民)らしく日に焼けた額を地面に擦りつけんばかりにして受けとり、目には涙さえ浮かべていた。

 七六歳といえば、悠々自適の日々を送っていてもいい歳。しかも「六年前に大手術を受け、体がボロボロで、あした命があるかどうかわからない。へリポートがきたら、私に死ねということか」(97年1月25日の『沖縄タイムス』)と言う嘉陽さん。沖縄の痛みは、ますます深まるばかりだ。


緊急カンパのお願い

 会員のみなさん!

 反戦地主の粘り強い闘いが人々の共感を呼び、50年代半ばの島ぐるみ闘争に匹敵するような「米軍用地の強制使用反対・基地撤去」の闘いが盛りあがりました。今や「基地のたらいまわし反対!海兵隊の削減・撤退!」は沖縄で強力な世論になっており、しかも移転先候補の「本土」でも「沖縄でいらないものは『本土』でもいらない!」の声が強くなっています。

 闘いを強化し、支持の声を広げていくために、関東ブロック運営委員会ではこれまで以上の活動の強化・発展を決意しました。とくにこの四月、五月の闘いのヤマ場では専従的に運営委員会のメンバーを配置することにしました。

 つきましては重ねてのお願いですが、このための緊急カンパを同封の郵便振替用紙で関東ブロックに送金していただきたく、協刀をお願いします。

 会員のみなさん!

 現地・沖縄での闘いが孤立することのないように、関東ブロックの私たちの名誉にかけてたしかなものにしていこうではありませんか!

 その実現のために、ぜひともお願いします。


 本カンパは関東ブロック独自のものです。現地・沖縄をバック・アップするためのものではありますが、現地・沖縄へのカンパではありません。


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