軍用地を生活と生産の場に!
 
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX:03-3386-2362
郵便振替:00150-8-120796

『一坪反戦通信』 毎月1回 28日発行 一部200円 定期購読料 年2,000円

第98号(1998年10月31日発行)

米軍基地の「本土」移転論

「民の」対立は何をもたらすか

仲田博康

 「あなたのようなナイチャー(内地人。蔑称のニュアンスで使われることぱ)がいろいろかき回すから沖縄の問題が混乱するのだ」。二年前、意見広告を呼びかけた時に(九六年九月七日付けの沖縄の地元紙に基地をめぐる県民投票ヘの参加を呼びかけた広告を指す)複数の人から言われた。

 「ヤマトゥーにチラシを撒いても意味がない」。ある講演会の後で、街頭チラシ撒きについて話し合っているのをそばで聞いていた時の言葉である。いずれの時もショックを受けると同時にむなしさを感じた。神奈川に来て二五年、原発や神奈川を中心とした色々な市民運動の人々との交流、その中で沖縄・「ヤマトゥ」ということを意識したことはなかった。日常生活でもなかった。しかし、意見広告以降、沖縄問題に若干関わるようになってどうしても避けて通ることのできない問題、かつ重い課題であることを認識させられてきた。

 もちろん、そのことを目的意識的に追求したことはなかったが、沖縄県首脳陣の発言を機に「盛り上がってきた」ように思える「本土移転論」を聞く度に、複雑な思いにとらわれていた。今回、会員でもない私が一坪通信に書くことは、私自身もいくらか抵抗があり同時に皆さんも異論があろうが、一つの問題提起として許していただきたい。


 「本土移転論」を考えるときに、その主張はそれぞれに論点が分かれている。今回は、根底にあると思われる「沖縄・ヤマトゥー」の対立ということに絞って考えてみたい。現在の閉塞した状態をうち破るために、ひとつの議論として提起をするという意見もあるが、それは本来の「本土移転論」とは視点が異なると思われるのでその是非については別に譲りたい。

 一般に基地を「本土」に持っていけという場合に在日米軍基地の七五%を押しつけるのは、沖縄に対する差別であり、「本土」の人は沖縄の苦しみを理解してくれない、安保が必要ならば国民全体で平等に負担すべきである、このことが論拠になっている。それに一部の「本土」文化人や活動家の間にも、沖縄を現在の姿にしたのは自分たちにも責任がある、沖縄の人が基地を本土に移転せよというのは当然だという声がある。

 即自的にはもっともらしい意見に思える。しかし運動論として考えた場合にはどうであろうか。「本土へ」をもっと具体化して神奈川へとしたらどうか。その人たちは言うであろう。神奈川は、沖縄に次ぐ第二の基地県である。基地のないところに持っていくべきだと。

 騒音を撒き散らす厚木飛行場における離着陸訓練を三宅島でやってくれという意見が実際に出された。反対ばかりでは、いつまでたっても、いつまでも解決しない、騒音が少なくなるのならば、現実性のある手段をとるべきだと言う。

 三宅島にも基地は存在しない。最も騒音被害の大きい大和市の人々が、三宅島の人々も安保を負担すべきであると言ったならば、「本士移転論」を唱える人々はどう答えるのであろうか。大和市に許されないものが許される道理がない。

 基地の問題は大小の問題ではない、存在自体が許されないのである。神奈川は沖縄に次ぐ基地があるといっても沖縄に比べればはるかに少ない。しかし、厚木基地周辺に住む人々は嘉手納基地と変わらぬ騒音被害を被っている。

 横田・北富士・三沢等、基地の被害はどこでも同じである。

 沖縄における反戦地主と同じようにそれぞれの地で闘っている人々、その人々も含め「本土」の人として沖縄基地の責任を追及できるであろうか。

 基地撤去という運動の原則だけは曲げたくない。もう一度、原点を見直そうではないか。

 先に述べた「責任論」にも疑問を感じる。四半世紀前と相も変わらぬものに思えるのである。沖縄を「異民族支配下」においた責任は我々にもある、可哀想な沖縄を救え、ひとまず「祖国復帰」だという声が大半を占めていた。

 しかし「祖国復帰」の実現とともに自己へ向けられたかに見える責任論も消滅してしまったのではないか。

 現在も言われはじめている「沖縄に対する謝罪」、そのことでは何も解決しない。自民党を中心とした保守勢力、彼らの進める軍事政策、それらに対する有効な運動をつくりだし得なかった陣営の弱さを含め、自らの運動にメスを入れることも必要ではないか。我々は正しかったが自民党が酷かったでは、何も生まれてこない。我々の正しい方針が、なぜ一般に受け入れられることなく権力の攻撃を許してしまったのか、そのことを反省することが重要である。結果と方針、両側面からの分析が必要ではないか。

 沖縄においても「本土」においてもお互いの運動を検証しあう、そのような作業を通してはじめて「沖縄の問題を全国の問題へ」という言葉が意味を持つものではないか。

 きれいごとを、という反論もあろう。しかし、今や沖縄は、哀みや救済の対象ではなく、日本の反戦・平和運動の主体になるべきである。それを担いうる運動体つくりだすことなしに日本の反動化をとめることはできない。このことを絶えず追求していきたい。

 闘う相手は、「本土」一般ではなく、政府.自民党であり、その取り巻きである。「衆愚の民」の対立は、敵を利するのみである。